政治学批判−政治学原論の確立のために


 <目 次

 [1] 政治学批判

 (1) 現状の政治学の問題点
 (2) 政治学の方法確立
 (3) 政治学原理論の確立
 (4) 段階論について

 [2] 政治学原論の構造

 (1) 政治学原論の構成
 (2) 政治要素論の構造
 (3) 政治本質論の構造
 (4) 政治機構論の構造

 [3] 政治要素論の素描

 (1) 個人と集団
 (2) 国家と社会
 (3) 権力と統治

 [4] 政治本質論の素描

 (1) 近代国家の原理
 (2) 人権原理
 (3) 民主制と権力抑制

 [5] 政治機構論の素描

 (1) 制度と過程
 (2) 政治と精神
 (3) 政治参加





 <政治学批判−政治学原論の確立のために>

 [1] 政治学批判

 (1) 現状の政治学の問題点−エリート主義と大衆操作主義の克服

  極端状況な設定による決断主義論と高邁な政治哲学的人間論がエリート主義を導き、無原理な実証主義、技術主義は
 大衆操作主義化を推進し、専門化、細分野化が総体的判断・思考を妨げエリート主義と大衆客体化と大衆操作主義を
 後押しする。
  実証主義、技術主義がイデオロギー的無色性を保証するわけでもない。
  参加的民主主義論もみられるが情緒的に先走り、体系性に欠けている。
  エリート主義と大衆操作主義を乗り越え、更に無原理あるいは単純な衝突論Conflict・亀裂論cleavage、紛争論に基づく
 政治学に対し明確な本質論を基礎とする政治学原理の確立が要請される。
  政治学原理の確立によって参加的民主主義論もより明確になっていく。

 (2) 政治学の方法確立

  ドイツ観念論に根差す体系確立思考を糧とし、マルクス経済学の宇野理論を修正した4分野構成を採用し、中心に
 イギリス政治学に存在する政治の本質を人権とする思想を据える。
  即ち政治学を近代的政治原理確立までの歴史的過程である政治史と近代的政治の理論である原理論、段階論、現状分析の
 4分野から構成する。
   更に政治学の基礎となる原理論の中心に人権論を置く。
   このことによって政治学理論全体の俯瞰が可能となり、総体的思考と判断が可能となっていく。
   これが現状の政治学のエリート主義、大衆操作主義、大衆客体化を暴露し主体回復へとつながる。

 (3) 政治学原理論の確立

  政治学原理論は我々の身近なものから、いわば小舞台から上昇、展開し、そのなかに本質を見出し、本質を踏まえての大舞台
 での具体的政治の理解という我々の体験と政治理解に適合した構造をもっている必要がある。
  そして最終的に我々がいかにして主体を喪失し、政治から疎外され、従っていかにして主体を回復するのかを展望するもの
 とならねばない。

 (4) 段階論について

   段階論についても簡単な展望を与えておきたい。
   段階論は単なる通史でなく、時代区分意識をもった通史である。
   宇野経済学では戦前までは宇野の重商主義、自由主義、帝国主義という段階区分が使用されていたが、戦後の区分、更に
  20世紀末から21世紀にかけての資本主義の変容によって時代区分に大きな論争と、種々な変更が発生した。
   これに宇野派以外の時代区分がからみ混乱状態といっていい。
   さらに宇野の区分は経済政策どちらかというと上部構造(政治)に寄っているが、下部構造ないし生産力に寄った区分もある。
   経済学の段階論は世界資本主義の発展を考えるわけだが、商品経済の一般性に比べると、政治は特に、その国の歴史性を
  強く受けるために経済学の世界資本主義の発展ほど、発展の一般的規定を与えることは簡単ではない。
   経済、特に生産力というのは物資的基礎をもつためある程度普遍性があるが、政治、特に、階級関係はかなりその国、特有の
  現れ方をする。

   ともかく、一応、これを政治学で考えるとどうなるであろうか。
   ひとつ、考えられるのは、人権の変化で段階を規定することである。
   これで考えると、
     自由権→社会権→第三世代の人権(新しい人権)
  という段階区分が考えられる。
   もうひとつは、政治勢力の変遷から規定する方法である。
     保守(ブルジョア)対リベラル(プチブル)→保守対社民(労働者)→保守対中間派(新中間層、緑)対社会民主(多極化)
    (→右翼対保守対中間派対社民?)
  というような段階区分である。
   あるいは労働者階級を中心に考えると、
     階級未形成→階級対立→階級協調→階級分解(→階級衰退)
   これらは人権変化にもある程度対応する。社会権の登場が労働者階級の登場、第三世代の人権が新中間層の登場である。
   もちろん経済の変化にも応じている。
     産業資本主義の形成期→産業資本主義の盛期→脱産業資本主義期(→グローバル資本主義)
   具体的政治勢力関係は、国によって大きな差異があるので、階級関係のありかたから区分したほうが良いとも思われる。
   政治学での段階規定を
     重商主義→自由主義→帝国主義→福祉主義
   というような経済学的規定で行っても、大きな違和感はない。むしろ、資本主義での政治が強く、経済に規定されることから
  考えると、むしろ自然ともいえる。

   ところで、段階論の構造については経済学でも問題がある。
   経済学では段階論は世界資本主義経済史、一国資本主義経済史から構成されるが、これについては問題が指摘され、
  段階論と原理論の関係が希薄だという指摘があり、その中間にもう一つ理論が必要であるという考えが有力となっている。
   同様に政治学の段階論は
    政治概念や制度の世界的歴史での変容についての一般的・原理的理論(政治史の一般的・原理的理論)
    世界政治史の具体的・実証的分析
  の2段構造となるべきである。

  *政治学原論から世界政治史への移行はいくつかの段階が必要である。
    政治学原論は近代民主主義政治を前提としているが、現実の世界の国家には種々の非民主主義国家がある。
    従って、比較政治体制論が必要であろう。ついで国際政治論があって初めて世界政治史に入れる。
    ところで民主主義国家の政治と異なり、国際政治では原理があるのかどうか疑問となる。

    政治学原論と結びつく世界政治史は人権や政治機構の発展から見ることになるが、実際の国際政治の決定過程は
   これとは断絶が大きい。


 [2] 政治学原論の構造

 (1) 政学原論の構成

   政治学原理論の構造はどうあるべきか、これを宇野経済原論を参考に考えよう。
   宇野経済原論は流通論(形態論)、生産論(本質論)、分配論(現実機構論)の3篇から構成される。
   形態が本質に捉えられ、現実機構が展開していくという構成になっている。
   これを政治学原理論の展開すると政治要素論、政治本質論、政治機構論の3部構成になるだろう。
   各部の具体的内容は後にやや詳しく述べるが、これは政治要素が政治本質をもとに具体的舞台で展開されるという論理となり、
  これはなによりも我々の政治理解の具体的思考過程に適合したものではなかろうか。

 (2) 政治要素論の構造

   政治要素論は政治主体と政治要素形態すなわち政治の場と力を形成する形態の規定をなす。
   即ち政治主体としての個人から始まり集団、国家と社会、権力と統治が規定される。
   (*この方向は個人、集団、社会、国家とすべきであろうか。社会という言葉も曖昧であるが。)
   この部分は下からの展開のためまさに丸山真男が述べたように社会学的接近に大きく依存している様相を示す。
   個人と集団、国家と社会、権力と統治という上向は歴史的論理より構造展開的論理でなされる。
   これらの歴史的生成は政治史で究明されるべきである。
   (*政治要素論は市場経済論というういいかたに対比すると市民社会論とするほうが解りやすいが、市民社会という言葉
   自体が多義的、あいまいすぎる欠点がある。)

 (3) 政治本質論の構造

   政治本質論は近代政治のいわば大舞台である近代国家の特質規定と政治の本質としての人権論、その条件としての民主制と
  権力抑制論から構成される。
   この部分は憲法学的接近法に類似しているように見える。

   権力抑制の観念は従来の3権分立論は現代的ではない。
   3権分立は本来、絶対主義での、行政(国王)、裁判所(法服貴族)、議会(市民、貴族)の形態であり、民主制では議会主権が
  通常で、裁判所、行政も議会多数派が支配するものとなってしまう。
   現代の権力抑制は政治権力、経済権力、市民装置(政治・経済権力以外)といえるのではなかろうか。
   市民装置としてはその中心はマスメディアだがこれも報道権力化、商業化していて、市民運動が重要となるだろう。
   更に、専門家・知識人集団というのが重要となるだろう、一般的には学者と各分野の独立専門家や行政官僚、企業内専門家、
  いわゆるジャーナリスト等々。学者・専門家という人々がいかにしてその自律・独立性を維持するのか、それとも政治権力や
  経済権力に奉仕するのかが問われる。
   報道と専門家が権力、体制に従順化することは決定的に問題である。

   実際的に重要なのは、複数政党制、政権交代、連立政権、情報公開という制度と思われる。

 (4) 政治機構論の構造

   政治機構論は現在の政治学の接近方法に最も近い部分を含む。
   しかしながら観察的視点と主体的視点を総合した思考がとられる。
   即ち、制度と過程を基礎とする制度的機構(物質的機構)−これは現状の政治学の政治過程論に相当する−と、政治文化
  あるいは政治風土などと呼ばれるような観念的機構、すなわち丸山真男の述べた人格面からの接近を含み、最後に総括的に
  政治主体の客体化と主体回復の機構が解明される。

   政治本質論から政治機構論への移行は本質が機構(権力闘争と利益闘争)によって形骸化される過程でもある。
   従って、機構論は参加論によって補足されねばならない。




 [3] 政治要素論の素描

 (1) 個人と集団
 (1−1) 個人と家族
 (1−1−1) 近代的個人
 (1−1−2) 家族
 (1−2) 個人と基礎的集団
 (1−2−1) 生活基礎集団(地域集団)
 (1−2−2) 生活共同体と観念共同体
 (1−2−3) 近代労働(経済)集団
 (1−2−4) 教育・学校と年齢集団
 (1−3) 近代集団
 (1−3−1) 社会集団と結社
 (1−3−2) 集団論
 (1−3−3) 社会集団と機能集団
 (1−3−4) 職業軍隊・警察と職業官吏の集団
 (1−3−5) エリート集団
 (1−3−6) 組織の国際化

 (2) 国家と社会
 (2−1) 近代国家
 (2−1−1) 近代国家の成立
 (2−1−2) 近現代国家論
 (2−1−3) 統治の階層性と地方自治
 (2−1−4) 国家と国家の関係―国際政治
 (2−2) 社会
 (2−2―1) 近代社会の基本的性格
 (2−2−2) 産業社会論
 (2−2−3) 大衆社会論
 (2−2−4) 市民社会論
 (2−2−5) 部分社会論と中間団体
 (2−2−6) 社会における情報・通信と教育・知識
 (2−3) 公私と公共
 (2−3−1) 公と私
 (2−3−2) 人間関係領域と公共圏
 (2−3−3) 公共と経済
 (3) 権力と統治
 (3−1) 権力
 (3−1−1) 国家権力
 (3−1−2) 権力論
 (3−1−3) 諸権力とエリート
 (3−1−4) 内部自治と社会的権力
 (3−1−5) 懲罰と制裁
 (3−2) 権威
 (3−2−1) 権威の形成
 (3−2−2) 権威の維持
 (3−2−3) 社会的権威と人気
 (3−3) 支配と統治
 (3−3−1) 支配と統治
 (3−3−2) 統治形態
 (3−3−3) 民主制形態

 [4] 政治本質論の素描

 (1) 近代国家の原理
 (1−1) 国家の近代化と自立
 (1−2) 国家体制の確立
 (1−3) 国家の変革
 (2) 人権論
 (2−1) 人権の展開
 (2−2) 国家からの自由
 (2−3) 国家と国民
 (2−4) 国家による自由
 (2−5) 社会権力と人権
 (3) 民主制と権力抑制
 (3−1) 民主制
 (3−2) 権力抑制
 (3−3) 民主制の危機

 [5] 政治機構論の素描

 (1) 制度と過程
 (1−1) 世論とマスメディア
 (1−2) 政治と集団
 (1−3) 政治制度
 (1−4) 政治議論と意思決定
 (1−5) 政策形成過程
 (1−6) 立法過程
 (1−7) 政策執行過程
 (1−8) 政治監視・異議申し立て(訴訟)と不服従
 (1−9) 地方自治

 (2) 政治と精神
 (2−1) 政治精神と人格
 (2−2) 観念・伝統と規律化
 (2−3) 政治思想
 (3) 政治参加
 (3−1) 政治参加
 (3−2) 政治疎外過程
 (3−3) 政治主体回復



目次 次へ





inserted by FC2 system