<<ヨーロッパの左翼>>  20世紀と21世紀ヨーロッパの左翼の歴史・・・社会民主主義者から共産主義者まで

 ウィキペディアを主情報源としてヨーロッパ(西欧とアングロ・サクソン諸国)の左翼の動向を見てみます。
 地名・人名は発音、組織名は和訳に問題もあるかと思います。


<20世紀の西欧とアングロ・サクソン諸国の左翼の歴史と21世紀への展開>

 日本では左翼は蔑称のようになっているが、西ヨーロッパ大陸地域では左翼は共産主義にかわる左派の新しい結集軸となっており、
ヨーロッパ議会の最左派はヨーロッパ統一左翼・北欧緑左翼で、各国でもフィンランド:左翼同盟、ノルウェー:社会主義左翼党、
スウェーデン:左翼党、ドイツ:左翼(リンケ)、オランダ:緑左翼、フランス:左翼戦線、スペイン:統一左翼、ポルトガル:左翼ブロック等々繁用。

 左右の政治選択と左からの社民への緊張化のある政治社会がまっとうな政治議論、政権交代、民主主義を可能とする。
 右一色で政策の違いでなくグループ、個人間の醜い争いと、国民の捌け口を求めての、漂流と同調の日本では政治は劣化するだけ。

 余談
  世の政治学教科書が面白くない。特に細分化、技術主義化した政治学教科書はつまらない。本質喪失している。
  そこで生意気にも政治学について考えた。題して”政治学批判−政治学原論の確立のために”・・・・・・・・・・・・
  とりあえず概要であるが、・・・


 〔フィンランドの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 フィンランド共産党(フィンランド人民民主同盟)は冷戦期西側最大の勢力を誇っていたが1990年、左翼同盟に移行。
 
 〔ノルウェーの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 ノルウェー労働党より左の政党としてはEU加盟反対で労働党から分裂した社会主義左翼党と旧来のノルウェー共産党
および社会主義左翼党の前身の青年組織が急進化した労働者共産党が転換した赤などが主な政党である。

 〔スウェーデンの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 スウェーデンでは旧スウェーデン共産党、現在の左翼党が比較的勢力を維持し続けている。
 旧スウェーデン共産党から分裂した諸集団が林立する。

 〔デンマークの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 デンマーク共産党は1979年に議席を失い、1989年から左翼社会主義者VS、社会主義労働者党SAPと赤−緑連合を結成。
 社会主義人民党は1959年、以前の共産党指導者アクセル・ラルセンにより設立された。

 〔アイスランドの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 アイスランド共産党は1938年社会党(のち人民連合)となり、選挙で社会民主党より若干上回る結果を出しており、何度か政権参加。
 1999年、社会民主党と人民連合は合同、これに反発する左派が左翼緑運動結成。

 〔アイルランドの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 カトリックと民族主義が強い国では階級的立場の左翼の成長は困難である。

 〔イギリスの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 大衆的影響はなかったがかつて知識人に大きな影響を与えたイギリス共産党は1991年解散。トロツキスト諸組織が離合集散を繰り返す。

 〔ドイツの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 ドイツでは長い間共産党が禁止され、労働者は社会民主党に統合されていたため、左翼は学生運動からと社会民主党の青年組織Jusosから発生。
 しかしJusosの活動家はやがて社会民主党に統合されていき、学生運動から生じたグループは小集団に分裂していった。学生運動から生じた
グループは一部が1990年代にに参加して成功を収めた。
 ドイツ統一により東ドイツの社会主義統一党から転換した左翼党がWASGと統合し左翼(ディー・リンケ)を結成。

 〔オランダの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 1989年、オランダ共産党は緑左翼となった。毛派から転換したオランダ社会党が議会進出。オランダは宗教により労働者が分断されている。

オランダ初期社会主義者群像
オランダのアナーキズム運動
評議会共産主義

 〔ベルギーの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 2007年、ベルギー共産党やトロツキストが選挙連合を結成。これらは地域分裂の影響できわめて弱体である。
 ベルギーはフランス語圏(フランデル)とオランダ語圏(ワロン)での組織の分離があり複雑。

 〔ルクセンブルクの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 中欧で一般的なようにカトリック保守が強い。共産党は1994年に議席を失い、それに代わり緑が登場。

 〔スイスの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 スイスの政党は州ごとに結成され、仏語圏、独語圏、伊語圏で名称が異なったりするので複雑で、小グループが乱立する。
 最近はスイス共産党(労働党)系のグループと共産党から分かれた旧新左翼系のグループが選挙連合を組んでいる。
 右翼が勢力拡大、保守主義が右翼の政権参加を抑制。

 〔オーストリアの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 オーストリアの左翼はベルギーとともに低調で、オーストリア共産党もトロツキストと同レベルの弱小政党でしかない。
 カトリックの影響の強い中・南欧はファシズムの脅威を受けやすい。右翼の防波堤としての大連合。

 〔フランスの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 強大なフランス共産党の後退、民主集中制の放棄による内部分裂とトロツキストとの再編の可能性と種々な左翼運動の展開。
 1980年代に学生運動から社会党に移った元トロツキスト達が大きな影響を与える社会党。
フランスの労働組合運動   ⇒ 詳しくはこちら
フランスのトロツキズム  ⇒ 詳しくはこちら

 〔スペインの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 1986年からスペイン共産党は政治連合として統一左翼IUを結成。地域ごとに政党が結成されるためその関係は複雑で小党分立。

 〔ポルトガルの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 ポルトガル共産党が比較的力を残し、共産党は最近は緑と選挙連合を組んでいる。トロツキストなどが左翼ブロックを結成し議会へ。

 〔イタリアの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 イタリアでの過去のイタリア共産党の強力さはイタリアの先進性によるのか後進性によるのか。中央カトリック諸国の柱社会の結果か。
 旧イタリア共産党主流の転換はどこまでいくのか。共産主義者の党の再建の行方は厳しい。
イタリアの労働組合運動   ⇒ 詳しくはこちら

 〔ギリシャの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 ギリシャ共産党は比較的勢力を維持している。これに対抗するのは旧ギリシャ共産党国内派の流れをくむシナスピスモス(連合)。
 シナスピスモスは種々の左翼と急進左翼連合結成。
 
 〔カナダの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 カナダ共産党は解散は免れたが微弱な勢力でしかない。 
 カナダは米国とは違い、自由党も社会改革に積極的で、1党による絶対多数派政権が成立しにくいなか社会民主主義の
新民主党がこの立場を利用し社会改革に取り組んでいる。

 〔米国の左翼〕  ⇒ 詳しくはこちら 

 経済的・社会的に分断された社会の国家統合を善悪2元論による対外軍事覇権で補う米国、エスタブリッシュメント社会で
底辺の黒人、メキシコ系大衆が政治の主体性をもてない社会、広い国ですべてが市場モデルで政治にも巨額な金がかかる
米国で2大政党以外の全国政党、まして左翼の存在は不可能である。
 アメリカ・古参トロツキストの堕落ぶりは日本を上回り、その影響力は大きい。(ネオ・コンの主力となっている。)

 〔オーストラリアの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 アングロ・サクソン諸国はいずれも左翼が厳しい状況におかれている。
 オーストラリア共産党は1991年解散したが以前に社会党として分裂したグループが1996年共産党を再び名乗った。
 米英と異なるのは左翼傾斜の緑が急成長してきていることである。

 〔ニュージーランドの左翼〕   ⇒ 詳しくはこちら

 アングロ・サクソンの伝統で左派は極めて弱体。労働党は比較的左派色が強かったがだんだん薄まってきている。
 マオリ政党やマオリ語をとる左派政党が発生している。


コミンテルン由来を主とする欧米共産党の変遷>
           コ ミ ン テ ル ン 由来を主とする 欧 米 共 産 党 の 変 遷
ノルウェーNKP 1923年−
スウェーデンSKP 1917年−1967年、左翼党−共産主義者に名称変更−1990年左翼党に名称変更−
炎グループ:1977年左翼党から分裂、共産主義労働者党結成、1995年破産、1995年共産党(再建)−
デンマークDKP 1919年−(1989年選挙連合の赤緑連合参加)−
フィンランド SKP:1918年−1990年破産、左翼同盟結成−
人民民主同盟SKP傘組織):1944年−1990年
1987年SKPからタイスト派分裂、共産党(統一)結成、1997年共産党登録−
アイスランド 1930年KFI−1938年社会党結成、1968年人民連合合流、1999年社会民主連合結成−
アイルランドCPI 1921年社会党が共産党となる−1923年解散−1933年再建−1941年共和国(南)での活動停止、北では継続−
1948年南で労働者同盟として再建−1962年労働者党と改名−1970年北・南両組織が共産党として合同−
1977年シンフェインから労働者党発生−
オランダ CPN:1909年社会民主党結成−1919年コミンテルンに加盟し共産党と改名ー1926年一部が追放され共産党中央委員会結成−
1930年両共産党合同−1989年緑左翼合流(1991年公式解散)−
1991年反対派新共産党結成−
ベルギー 1921年統合共産党結成−1988年フランデルKPとワロンPCに分離−2009年KP活動停止−
ルクセンブルク KPL/PCL1921年−(1999年多くが左翼参加)−
スイスKPS 1918年−(労働党1944年合法組織)−
オーストリアKPO 1918年−
スペインPCE 1920年−(1989年政治連合統一左翼結成)−
ポルトガルPCP 1921年−(1987年政治連合統一民主連合結成)−
イタリア PCI:1921年−1991年、解散(左翼民主党結成、1998年左翼民主主義者、2007年民主党−)
1991年反対派共産主義再建党結成−
1998年共産主義再建党からイタリア共産主義者党分裂−
ドイツ KPD:1919年−1956年西ドイツで禁止、1968年DKP再建−
1990年KPD結成−
(2007年左翼結成−)
フランスPCF 1920年−
イギリス CPGB:1920年−1991年、(民主左翼、2000年新政治ネットワーク、2007年アンロック(開錠)民主主義−)
1977年新ブリテン共産党NCP分裂結成−
1988年ブリテン共産党CPB分裂結成−
ギリシャKKE 1918年−1968年国内派と国外派に分裂、1987年国内派はギリシャ左翼結成、1989年両派シナスピスモス結成、
ゾロタス政権参加、1991年KKEはシナスピスモスから撤退−
カナダCPC 1921年−
米国CPUSA 1919年−
オーストラリア CPA:1920年−1991年解散、新左翼党結成、1992年解散。
1971年分裂した社会党が1996年共産党となる−
ニュージーランド CPNZ:1921年−(1960年代毛派、その後ホジャ派更にトロツキズム)−1994年分解(一部トロツキストと合流)
1993年毛派アオテアロア共産党分裂結成、2002年停止状態


<ヨーロッパの学生運動>

 西欧とアングロ・サクソン諸国の学生運動と60−70年代反乱.、その後の学生運動の行方、2000年代における学生運動の再急進化、

 西欧の学生運動は戦後はしばらく穏健なものであったが、1960年代後半から急進化し、1968年、パリ5月革命を頂点に急激に没落する。
 しかし西欧の学生運動はその後日本のように解体・消滅し学生の保守化に終わる事はなかった。
 学生運動に強い影響をもつ社会民主主義者の政権獲得による学生に有利な条件の出現の可能性、学生運動活動家の順調な政治参加への道の
可能性、学生の教育問題での政府交渉への制度的参加の樹立等により、学生運動はほぼ健全に維持された。
 しかし保守党政権による教育の新自由主義化の強行、すなわち授業料の有料化、増額、学生給付の学生融資化、大学への企業の参加制度化、教職員の
有限期間雇用化、若者の解雇の自由化等により2000年代に入って西欧の学生運動は再び激しく燃え上がる事となる。
 学生の費用の面倒は親がみるものという考えの日本、そして著名大学は金持ちしかはいれないという日本、欲しい物はなんでも買ってもらえるという育ち方
をしてきた日本の若者、そんな日本では授業料がいくらあがろうと学生運動がおこる気配はまったくない。

北欧の学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら   

  北欧の学生組織は保守が強い。

フランスの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら   

  フランスの学生運動は1968年5月から長い間トロツキストに支配され、1980年代のトロツキストの社会党移行で社会党左派の
 影響下にはいる。(学生運動以外に活動の場を持たない急進派の前途は険しい。)
  中心のUNEFは1971年トロツキスト系と共産党系に分裂し2001年再統合。

イギリスの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

  イギリスの学生運動は労働党学生組織が支配。

ドイツの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

オランダの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

オーストリアの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

スペインの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

イタリアの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

ギリシャの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

カナダの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

アメリカの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

オーストラリアの学生運動〕   ⇒ 詳しくはこちら

  どこの国でも学生運動と一般社会運動との関わりが問題となっている。
  一方で学生利益追求を基礎とし過度な社会運動推進は慎むべきべきであるという意見があり、一方で学生運動、学生組織そのものを
社会運動化、政治組織化(これは一般学生の離反による学生運動総体の衰退と、更に財政破綻あるいは自発的参加組合主義という主張
をもたらす恐れがある)しようという勢力もある。
 更にここには学生運動を唯一の政治運動の場とする急進派(のあせり)と、政治活動の場として別個の政党を持ち、学生運動経験を政党経歴に
利用できる議会政党をもつ左翼との違いも見られる。


国際学連IUS hymn
  1946年8月27日62カ国の参加でプラハで結成。共産主義勢力の拡大で1948年非共産主義勢力撤退。
  1950年ストックホルムで米国全国学生協会などがアングロ・サクソン、スカンジナヴィア、ドイツを中心に21組織が
 国際学生協議会ISC結成(CIAの支援)。1956年ほとんどの西側学生組織がIUSから離脱。以降は両者でラテン・アメリカ、アジア、
 アフリカのグループの奪いあいで1968年IUSが広い基盤確保。1969年ISC事実上崩壊。
  IUSも1980年代末と1990年代事実上崩壊し、4分の3の組織が連絡不能。1991年チェコスロヴァキアがIUS追放しようとする。
  1992年キプロス会議で組織改革。2003年、115カ国150組織との接触が行われた。(UNESCOでは112カ国155組織

欧州学連
  1982年10月、ノルウェーNSU、英国NUS、スウェーデンSFS、フランスUNEF−ID、デンマークDSF、オーストリアOH、
 アイスランドSHIの全学連がストックホルムで西欧学生情報局WESIB結成、1990年西欧から欧州へと拡大。
  1992年欧州全学連ESIBとなる。
  1985年までスウェーデン政府の認可があったが以降便宜供与低下しNUS・UKがロンドンに事務所提供。
  1988−2000年まではウィーン、それからブリュッセルに移動。2007年ヨーロッパ学生連合ESUとなのる。
  現在36ヶ国、47組織参加。
  高校生組織はOBESSU(欧州学校生徒組織局)で1975年創設。

  ESIBの主な加盟組織はオーストリア全学連OH、ベルギー・フランス語圏学生連合フランデル学生連合デンマーク全学連
 フィンランド応用科学大学学生連合フィンランド全学連フランスFAGEフランスUNEFドイツ全学連アイルランド全学連
イタリア全学連UdUオランダ全学連LSVB、オランダ地域間学生協議会ISO、ノルウェー学生連合NSU、ノルウェー学生全国同盟StL、
スウェーデン全学連スイス全学連英国全学連など。

国際学生連合
  1919年フランス学生一般協会(AGE)全国連合のシュトラスブール会議の際に第一次世界大戦の中央同盟国に対抗する連合国の学生代表により結成。
  1924年ドイツとの接触が行われ投票権なしの参加許可。
  主な活動は世界大学競技(ユニバーシアード)。
  1940年消滅。
  前身は国際学生連合


世界の労働組合・・・全国中央組織(ナショナル・センター)>   ⇒ 詳しくはこちら


<左翼国際組織・グループ>  関係各国組織は欧米だけ紹介しています。


ヨーロッパ共産主義者・労働者党イニシアチブ

  2013年ギリシャ共産党の主導でブリュッセルで結成。29党が参加。
  主な西欧の党は
   オーストリア労働党 2013年オーストリア共産党から分裂。
   デンマーク共産党
   フランス革命的共産党
   フランス共産主義復活党
   ブリティン新共産党
   ギリシャ共産党
   アイルランド労働者党
   ノルウェイ共産党
   スペイン人民共産党
   スウェーデン共産党


〇 ヨーロッパ左翼党


国際共産党会議 1957−1969年

  コミンテルン(191−1943年)、コミンフォルム(東欧とイタリア、フランスの共産党参加、中国、ベトナムの共産党は招待されず、
  1947−1956年、最初ベオグラード、1948年からブカレストに所在)のあと1957−1969年に開催。
  この時期は国際共産主義者運動の内部抗争で特徴付けられる。
  即ち一方でソ連共産党と中国共産党との、他方でモスクワとイタリア共産党に代表される勢力との。
  1957年11月会議は68共産党の参加でモスクワで開催。
  1960年11月はモスクワで81共産党が参加、アメリカ帝国主義、会議に参加せずアルバニア共産党と結ぶ中国共産党の
 教条主義、ユーゴスラヴィアの修正主義が焦点となる。
  1965年3月はモスクワで、中国の反乱でアジアの多くの党が参加せず。
  (当時の世界の共産党色分け、111党中、うち67党親ソ派、27党親中派、アジア中心。)
  1968年2−3月ブカレスト開催、アジアの多くの党が参加せず。会議はソ連の正統性崩壊を印象付ける。
  1969年6月モスクワ開催、1968年のチェコ騒乱と中ソ紛争でソ連中心主義終焉。諸共産党は国内問題で正統性を追求。
   参加75党

共産主義者と労働者党国際会議  連帯ネットワーク・リンク

  1998年5月アテネで共産党宣言150周年とギリシャ共産党結成80周年を記念しギリシャ共産党により”現状況下での
 共産党”というテーマで最初の協議会が開催され50カ国から57の党が参加。以降毎年開催。

  第1回参加はオーストラリア共産党(1971年共産党から分裂、社会党として結成)、ベルギー労働者党(1960年代末毛派から発生)、
ブリテン共産党(1988年英国共産党から分裂)、ブリテン新共産党(1977年英国共産党から分裂)、カナダ共産党、デンマークKPiD
(1990年共産党DKPから分裂)、フランス共産党、ドイツDKP(1968年西ドイツで結成)、ギリシャ共産党、イタリアPRC(1991年結成)、
日本共産党(第1回だけ)、オランダNPCN(1991年共産党解散し反対派新共産党結成)、ノルウェー共産党ポルトガル共産党
スペイン共産党人民共産党PCPE(1984年結成)、統一左翼IU(1986年結成の政治連合、共産党が主)、スウェーデン共産党
(1977年左翼党から分裂)、米国共産党など。メッセージはオーストリア共産党フィンランド共産党(1980年代共産党から分裂した
グループが1997年正式登録)。デンマークDKPは2002年から。他にアイルランド労働者党シン・フェインから発生)など。
 キューバ共産党、ベトナム共産党、ソ連共産党、アルバニア共産党、中国共産党、朝鮮労働党なども参加。

  2008年11月サンパウロの第10回参加カナダ共産党、デンマークDKPKPiDフィンランド共産党フランス共産党、ドイツDKP
ブリテン共産党ギリシャ共産党、アイルランド共産党労働者党、イタリアPRCイタリア共産主義者党ルクセンブルク共産党
オランダNPCNノルウェー共産党ポルトガル共産党、スペイン人民共産党PCPEスウェーデン共産党米国共産党など。

新ヨーロッパ左翼フォーラム

  1990年ソ連崩壊の余波で結成。オーストリア共産党、デンマーク社会主義人民党、フィンランド・左翼連合フランス共産党
 市民運動、ドイツ・左翼党、英国・開錠民主、ギリシャ・シナスピスモス、イタリア・共産主義再建党イタリア共産主義者党
 オランダ・社会党、ノルウェー・社会主義左翼党、スペイン・統一左翼、スウェーデン・左翼党スイス労働党など。
 
 後のヨーロッパ議会の欧州統一左翼北欧緑左翼に参加する多くの政党が参加。

平壌宣言

  1982年、金日成の80歳の誕生に集まった世界の70の政党の代表が署名。正式には”社会主義偉業を擁護し前進させよう”。
  最初の署名はベルギー労働者党ブリテン共産党ブリテン新共産党デンマーク共同偉業労働党共産党からの追放者結成
 1986−2001年)、デンマーク共産主義フォーラム(1990年DKPから分裂、1993年共産党KPiDとなる)、
 平和と社会主義のためのフィンランド共産主義労働党(1988年現共産党グループから分裂)、ドイツ共産党(1968年−)DKP、
 アイルランド共産党イタリア平和と社会主義運動(1986年結成、現在は解散状態)、ノルウェー共産党スペイン人民共産党
 スウェーデン共産主義労働者党(現共産党)、アメリカ共産党アメリカ社会主義労働者党(トロツキズム)、アメリカ労働者国際党
 (1959年社会主義労働者党から分裂)など。

日本共産党24回大会(2006年1月) 来賓参加外国政党

  アメリカ共産党イタリア共産主義再建党ギリシャ共産党ドイツ左翼党ドイツ共産党DKP、フランス共産党
  インド共産党(マルクス主義)、インド共産党、カンボジア・フンシンベック党、キューバ共産党、スリランカ共産党、チェコ・モラヴィア
 共産党、中国共産党、チュニジア立憲民主連合、ネパール共産党(マルクス・レーニン主義)、ハンガリー労働者党、ブラジル共産党、
 ブラジル社会主義人民党、ベトナム共産党、ラオス人民革命党。

欧州反資本主義左翼  HP

  2000年にスコットランド社会党、ポルトガル・左翼ブロック、デンマーク・赤緑連合、フランス・LCR、トルコ・自由社会党(左翼の
 統合により1996年結成)が結成。トロツキスト。
  参加組織は他に英国はレスペクト、社会主義労働者党SWP、社会党SP、ルクセンブルク・左翼、スペイン・反資本主義左翼
 闘争に(エン・ルチャ)、バスク・ズティク、スイス・連帯S社会主義運動、アイルランド・社会主義労働者党
  オブザーバーはイタリア・共産主義再建党PRC、ギリシャ・シナスピスモスオーストリア共産党ドイツ共産党DKP。
  資本主義欧州形成と特に欧州憲法条約に反対。

国際共産主義者セミナー

  1992年からブルッセルで開催。修正主義に反対しマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を防衛。
  2008年の主な参加組織はベルギー労働者党デンマーク共産党フランス共産主義再生の極(柱)(2004年結成)、
 革命的共産主義者連合(2004年結成)、ドイツ共産党KPD、ギリシャ共産党KKE、イタリア共産主義者評議会Rete、
 オランダ新共産党、ノルウェースペイン共産党(ML)人民共産党共産党・スウェーデン(共産主義者同盟ML(革命).が
 2005年改名)、英国共産党(ML)(2004年結成)、米国自由の道社会主義者組織。オブザーヴァーはスペインプロレタリア連合
 (1993年結成)。

マルクス・レーニン主義党・組織国際協議会ICMLPO (毛派) HP

  2006年第8回会議参加はフランス・マルクス・レーニン主義共産主義組織プロレタリアの道(1979年−)、ドイツ・マルクス・レーニン
主義党
(1989年−)ギリシャ共産主義者組織(2003年−)、イタリア・共産主義のための抵抗支援委員会(1992年−)、オランダ
マルクス・レーニン主義グループ(1997年−)、ノルウェー労働者共産党(1973年結成、2007年となる)、米国レイ・オー・ライト・
グループ
(1961年発生、2008年革命的労働者組織)など。
 →1984年結成の革命的国際主義者運動 米国革命的共産党など。

マルクス・レーニン主義党・組織国際協議会ICMLPO (統一と闘争、ホッジャ派

  1994年、エクアドルのキトで結成。
  2004年第11回会議参加はドイツ共産党KPD、デンマーク共産主義労働者党(1976−1994年、赤緑連合参加)、
スペイン共産主義者組織10月(1992年結成、2006年スペイン共産党(ML))、スペイン共産主義者組織全国委員会(2006年
スペイン共産党(ML))、フランス労働者共産党PCOF(1979年−)、ノルウェー・マルクスレーニン主義グループ革命(1987年−)、
ギリシャ共産党再建組織(1966年−)など。


別の国際化運動反グローバリズム運動

世界社会フォーラム(別の国際化主義者の年会) 
  第1回は2001年、第3回までブラジルのポルト・アレグレで開催。

ヨーロッパ社会フォーラム(別の国際化主義者の年会) 
  第1回は2002年11月フィレンツェ。
  ジーノ・ストラーダや、組織としてはアムネスティ・インターナショナル、ATTACなどが参加。
  第2回は2003年パリ。
  第3回は2004年10月ロンドンで開催。
  ベン・ベラアレイダ・ゲヴァラジョージ・ギャロウェイスーザン・ジョージムスタファ・バルグティジョン・ピルジャージョージ・モンビオット
 らが参加。
  開催を調整したのは社会主義労働者党、グローバル化抵抗、トービン税ネットワーク、核非武装運動CNDなど。
  ロンドン社会フォーラムなどはこれを上意下達として水平的に周辺行事を組織化、これには緑党や非同盟のアナーキスト、社会主義者が参加。
  第4回は2006年アテネ、第5回は2008年スウェーデン、マルモ、第6回は2010年イスタンブ−ル、

ATTAC 
  1998年フランスで結成。市民支援のための通貨取引税(外国為替取引に課税、トービン税)運動連合。
  当初は単一争点運動であったがやがて広くグローバリズム問題にも関わるようになる。
  反グローバリズムというより別の国際化運動組織。

人民のグローバル行動PGA
  人民のグローバル行動結成の最初の提案はサパティスタ民族解放軍EZLN召集の1996年国際会議で出た。
  第2回集会は1997年スペインで開催され、1998年2月の全大陸からの支援運動のジェノヴァの会合で人民のグローバル行動PGA発足。
  PGAは運動ではなく、通信・調整の手段。PGAの考えは以下の5つによって特徴付けられる。
    反資本主義、反帝国主義、反封建主義。
    人権の至高性を支持し家父長制・人種主義・宗教原理主義の拒否。
    対決姿勢を採用、ロビー的交渉姿勢はとらない。
    直接行動と市民的(公的)不服従。
    脱中心化と自治(自己決定)。

爆弾でなく食料
 爆弾でなく食料は菜食主義者、ヴィーガン(衣食等に一切動物製品を使用しない主義)の独立した集合(コレクティヴ)の緩い結合組織で、
もともと他の人々にも菜食ないしヴィーガン食を提供することを目的とし1980年代ボストンで発生したが、1990年代世界に広がった。
 爆弾でなく食料の参加組織は1990年代末から反グローバル運動に参加するようになり、1997年のヴァンクーヴァーのAPEC抗議、1999年の
反資本主義祭り、シアトルのWTO会議抗議などに参加し始めた。
 
○地球第一(アース・ファースト
 1979年南西米国で出現した急進環境運動グループ。1980年4月デイヴ・フォアマンらが結成。
 1987年頃から直接行動に乗り出す。1990年アナーキストの影響を受け始める。
 1990年ジュディ・バリが車爆破事件を起こす。1992年過激分子が地球解放戦線を結成。
 英国では1990年に結成される。
 現在はカナダ、オーストラリア、オランダ、ベルギー、フランス、イタリア、スペイン、アイルランド、ドイツなどにグループが存在。

非国境ネットワーク
 1999年から存在する移動の自由を支持し、国境収容所などによる移民統制に反対する独立組織の連合。

*反グローバリズム運動と深い関わりがあるブロック戦術戦術的軽薄アフィニティ(類縁)・グループなどについて  ⇒ 詳しくはこちら


トロツキズムの世界組織   ⇒ 詳しくはこちら   ⇒トロツキスト国際組織系統図

 第2次世界大戦前のトロツキズム   ⇒ 詳しくはこちら

 第2次世界大戦後のトロツキズム   ⇒ 詳しくはこちら

 トロツキストの国際運動は英国・フランス・米国のグループを中心に展開し、特に、英国・米国の組織の国内分裂が国際分裂を規定する。
 これは戦後の開始点でナチス支配の影響によりこれらの国々以外のトロツキスト運動はほとんど壊滅したかもともと大した組織が存在せず、
あるいは残ったものもこれらの国々に亡命しその国のトロツキズム運動の影響下に入ったためである。

 トロツキストには戦前からのトロツキストと1960年代以降の新左翼トロツキストがいる。
 ヨーロッパの新左翼トロツキストは米国の古参トロツキストと異なり反共だけではなかったため社会主義崩壊後、多くは左翼として共産党等
と共同戦線をとる。
 日本の新左翼トロツキストは暴力的宗派主義と革命児戯が度を越え、一般社会のみならず既成左翼からも忌避される。

 フランスのトロツキズム  ⇒ 詳しくはこちら


左翼共産主義   ⇒ 詳しくはこちら

 左翼共産主義はボルシェヴィキ思想を批判し、コミンテルンのレーニン主義に対しより真のマルクス主義であるとする。
 その元祖とするのは主にローザ・ルクセンブルクである。
 左翼共産主義はドイツ・オランダの評議会共産主義(アントン・パンネクーク)とイタリアのボルディガ派が主なものである。
 ⇒アントン・パンネクークの人と思想(人間と思想と活動の詳しい論評)
 →アントン・パンネクーク小伝(生涯・事績の概要)
 →オランダとドイツの共産主義左翼
 →ヘルマン・ホルテル小伝

インポシビリズム(不可能主義)>

 20世紀初頭に社会民主主義者から分離したアングロ・サクソン系社会主義者グループで、改良主義に反対し、資本主義の廃止を主張。
 レーニン主義の系譜によらないマルクス主義を支持する。
 ダニエル・ド・レオンの社会労働党を主に指していたが、現在は世界社会主義運動に加わるグループが中心となっている。
 世界社会主義運動は1904年結成の英国社会党によって始められた。
 そのほかカナダ社会党米国世界社会党ニュージーランド世界社会党などが加盟。

アナーキスズム>  ⇒詳しくはこちら 


社会主義インターナショナルSI>  HP

  労働社会主義インターナショナルLSI/SAI1923−1940年、1946−1947年社会主義者情報連絡事務所SILO、1947−1951年
国際社会主義者協議会委員会COMISMO、COMISMOが1951年SI評議会に変化。

  1951年12カ国の党により結成。ロンドンに書記局所在。
  1976年ジェノヴァ会議まで社会主義インターにはヨーロッパ以外にはほとんどメンバーは存在せず、ラテン・アメリカとは公式関係
 がなかった。1980年代ほとんどのSI党はニカラガのサンディニスタ(FSLN)を支持、またFSLNだけでなくプエルトリコ・独立党や
 旧イタリア左翼民主主義者やモザンビーク解放戦線(FRELIMO)、アフリカ民族会議、などの参加も認めた。

  議長は1951−1957年モーガン・フィリップス(イギリス労働党)、1957−1962年アルシング・アンデルセン(デンマーク社会民主党)、
 1963年エーリッヒ・オレンハウアー(ドイツ社会民主党)、1964−1976年ブルーノ・ピッターマン(オーストリア社会民主党)、1976−
 1992年ウィリー・ブラント、1992−1999年ピエール・モロワ、1995−2005年アントニオ・グテレス(ポルトガル社会党)、2005年−
 ゲオルゲ・パパンドレウ(ギリシャ・PASOK)。
  主要な社民党以外ではカナダ新民主党アメリカ民主社会主義者など。

進歩連合

 2013年5月創設。ドイツ社会民主党のジグマール・ガブリエルは社会主義インターの非民主的政治運動の許容に批判的であった。
 2012年12月のローマの最初の協議会には42政党が参加。
 創設会合にはイタリア民主党のペルサーニ、フランス社会党のアルレム・デジール、米国民主党のヴァーモント指導者ピーター・シュムリンなどが出席。
 オランダ労働党、スイス社会党、オーストリア社会民主党なども支持。
 公式創設会議は2013年5月ライプツィッヒ。
 オーストラリア労働党、オーストリア社会民主党、ベルギー社会党、別の社会党、デンマーク社会民主、フィンランド社会民主党、フランス社会党、
ドイツ社会民主党、全ギリシャ社会主義運動、アイルランド労働党、イタリア民主党、オランダ労働党、ポルトガル社会党、スペイン社会主義労働者党、
スウェーデン社会民主党、スイス社会民主党、米国民主党、英国労働党など。アジアではアクバヤン市民行動党、ビルマ国民民主連盟、インド国民会議、
モンゴル人民党、トルコ共和人民党など、その他、公正ロシアなど。

           欧 米 社会民主党 の 変 遷
ノルウェー労働党 1887年結成、1919年コミンテルン参加、1923年共産党分裂、1928年クリストフェル・ホルンスルド政権獲得、
1932年ロンドン・ビュロー参加、1951年オスカル・トルプ政権成立
スウェーデン社会民主党 1889年結成、1917年、後の共産党グループ分裂、1917年リベラル政権参加、1920年ブランティング政権獲得
1928年ペル・アルビン・ハンソン人民の家構想、
デンマーク社会民主党 1871年結成、1916年急進左翼党政権参加、1918年、後の共産党グループ分裂、1924年スタウニング政権獲得
1934年スタウニングによる人民のデンマーク綱領、1966年赤い内閣
フィンランド社会民主党 1899年結成、(1917年オスカリ・トコイ首相となる−旧体制)、1926年ヴェイノ・タンネル首相となる、1966年人民戦線内閣、
1982年コイヴィスト大統領
オランダ労働党 1894年社会民主労働党結成、1946年労働党結成、ローマン赤連立政権参加、1948年ヴィレム・ドレース首相(ローマン赤連立
1989年CDAルード・ルッベルスサッチャー主義者)政権参加、1994年政権、
ベルギー労働党社会党 1885年労働党結成、1918年政権参加、1921年共産党分裂、1938年ポール・へンリ・スパーク首相、1940年ヘンリ・ド・マン
解散、1945年社会党となる、1978年フランス語圏とフラマンの党に分裂
スイス社会党 1888年結成、1921年共産党分裂、1943年エルンスト・ノブス入閣、1949年、エルンスト・ノブス連邦大統領となる
オーストリア社会民主党 1889年結成、1918年カール・レンナー首相、1934年禁止、1945年社会党再建、大連合、1971年ブルーノ・クライスキー首相、
1991年社会民主党となる
スペイン社会主義労働者党 1879年結成、1921年共産党分裂、1931年マヌエル・アサーニャ政権参加、1936年ラルゴ・カバリェロ首相、1939年亡命政権、
1978年民主制復活、1982年フェリペ・ゴンザレス首相
ポルトガル社会党 1973年結成、1974年カーネーション革命、1976年マリオ・ソアレス首相
イタリア社会党 1892年結成、1921年共産党分裂、1924年禁止、1962年キリスト教民主党等と連立政権参加、1983年ベニート・クラクシ首相、
1992年贈収賄疑獄発生、1994年解散、2007年社会党再建
ドイツ社会民主党 1869年結成、1878年非合法化、1890年合法化、1918年マックス内閣参加、1919年共産党結成、エーベルト大統領
1933年禁止(亡命)、1945年再建、1966年クルト・キージンガーのもと大連立、1969年ウィリー・ブラント首相
フランス社会党 1905年労働者インター・フランス支部SFIO結成、1914年参戦支持して入閣、1920年コミンテルン・フランス支部SFIC結成、
SFIC多数派となる、1936年レオン・ブルムの人民戦線内閣、1947年ヴァンサン・オリオールが大統領、1969年社会党結成、
1972年、PCF、左翼急進党と共同綱領、1974年ロカール派参加、1981年大統領選でミッテラン勝利
イギリス労働党 1900年結成、1915年アスキス戦争内閣入閣、1924年ラムゼイ・マクドナルド内閣成立、1942年アトリーベヴァリッジ提案推進
アイルランド労働党 1912年結成、1922年選挙初参加、1932年最初のフィアナ・フォール政権支持、1948年政党間政権参加、
ギリシャPASOK 1974年結成、1981年アンドレアス・パパンドレウ政権樹立、
カナダ新民主党 1932年協同連邦党結成、1944年トミー・ダグラスサスカチョン政権獲得、1961年新民主党結成、
1963年自由党レスター・ピアソン少数政権支持、
(米国社会党)* 1901年結成、1919年共産党分裂、1934年分裂、トロツキスト流入、1958年フロムの社会主義者宣言と綱領
シャハトマン派参加、1972年3分解、1973年フランク・ザイドラー再建、
オーストラリア労働党 1891年結成、1904年クリス・ワトソン少数派政権(オーストラリア第3代)、1915年労働党首相ビリー・ヒュー分裂、
1955年反共民主労働党分裂、1972年グー・ウィットラム政権、1975年ジョン・カー総督の非常大権で解職、
*米国社会党はSIに参加していない。


社会リベラルとプチブル急進主義

 デンマーク急進左翼は英国のリベラル民主、オランダのD66、ルクセンブルクの民主党などと社会リベラルの代表とされる。
 そのほかオーストリア・社会リベラル、フランス左翼急進イタリア急進主義者マルコ・パンネッラ)、ベルギー・ヴィヴァン
ドイツ・リベラル民主LD、ベルギー社会リベラル、オランダ社会リベラル、ポルトガルリベラル社会運動などが部分的にせよこの
傾向の政党である。
 フランスやイタリアの急進主義者は社会リベラルとやや色合いが異なると思えるし、緑グループにも急進主義的性格がある場合
がある。
 急進主義者の1つの極端はリバータリアン(絶対自由主義者)である。

 ・北欧の人民社会主義 社民と共産党の中間という
  デンマーク社会主義人民党ノルウェー社会主義人民党、(スウェーデン左翼党

 ・ノルウェーとデンマークの政党・左翼
  ノルウェーの左翼Venstre(英語表記リベラル党)は1884年結成の現在は社会リベラル政党である。
  議会制導入時点でVenstreは議会主義賛成であったのに対し保守党(ノルウェー表記右翼Hφyre)は議会主義反対であった。
  議会で保守党に対し議席が左側であったから左翼と称しただけで社会主義を意味したわけではなく保守党に対しリベラルないし
 は急進の政党であった。

  デンマークの左翼−レベラル党Venstre(英語表記リベラル党)は1870年結成当時(統一左翼)は当時の文脈で左派を自認。
  伝統的に自由貿易で農民利益を擁護。1960年代から経済自由主義、福祉国家改革の古典的(経済)リベラル路線を取る。
  デンマーク急進左翼(英語表記社会リベラル党)は1905年Venstreから分裂、Venstreが保守的となり農民依拠のリベラルが結成。
  当時の文化的急進主義を背景とする。1930年代社会政策を積極的に擁護。

  ちなみにスウェーデンの左翼党はスウェーデン共産党が1967年左翼党−共産主義者、1990年左翼党と名を変えたものである。

○ リベラル・インターナショナル
   1947年オックスフォードで結成、本部はロンドン。
   1947年サルヴァドル・デ・マンダリアガオックスフォード宣言起草。これはウイリアム・ベヴァリッジの考えに鼓舞されていた。
   1997年21世紀へのリベラル・アジェンダ発行。
   2005年憲章では個人的自由に基づく自由社会と社会正義の推進を唱っている。

   主な参加政党(西欧)
   オーストリア・リベラル・フォーラム、ベルギー・改革運動、カナダ自由党、デンマーク・左翼/急進左翼、フィンランド中央党/スウェーデン人民党、
  ドイツ自由民主党、イタリア急進主義者、オランダ自由民主人民党/民主66、ノルウェー左翼、スウェーデン・リベラル人民党/中央党、
  イギリス・リベラル民主、スペイン・カタルニア民主収束。

○ 中道民主インターナショナル
   1961年チリで結成。社会主義インターの選択としてキリスト教鼓舞の第3の道創設のため結成。ヨーロッパ・中南米中心。
   当初はキリスト民主世界連合、2001年から中道民主インターナショナル

   主な参加政党(西欧)
   ベルギー人道民主中道/キリスト民主フランデル、デンマーク・キリスト民主、フランス人民運動連合UMP、ドイツ・キリスト民主同盟、ギリシャ新民主、
  アイルランド・フィナ・ガイル、イタリア・キリスト民主中道連合、オランダ・キリスト民主の訴え、ノルウェー・キリスト民主、ポルトガル社会民主党、
  スペイン人民党、スウェーデン・キリスト民主、スイス・キリスト民主人民党。

○ 国際民主連合
   1983年ロンドンで結成、本部ノルウェーのオスロ。
   当時の首相マーガレット・サッチャー、副大統領ジョージ・ブッシュ、首相ヘルムート・コール、パリ市長ジャック・シラクらが結成。
   保守、キリスト民主、リベラル保守政党よりなる。
   オーストラリア・リベラル党、オーストリア・人民党、カナダ保守、デンマーク保守人民党、フィンランド国民連合党、フランスUMP、ドイツ・キリスト民主同盟、
  ギリシャ新民主、ノルウェー保守党、ポルトガル人民党、スペイン人民党、スウェーデン穏健党、英国保守党、米国共和党など。





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