<<アイスランドの左翼>>
〔
社会民主連合
(連合) あるいは社会民主同盟〕
1999年、議会選挙のため
社会民主党
、
人民連合
、
女性連合(同盟)
(1983−1998年)、
国民national運動
(1995年7.2%、
4議席)の4左翼政党の連合として結成。
マルグレット・フリマンスドッティル
(元人民連合)が代弁者(スポーク・スパーソン)となる。
26.8%、17議席(−12.0%、−6議席)となる。
1987年は独立党27.2%、18議席、進歩党18.9%13議席、社会民主党15.2%、10議席、人民連合13.3%、8議席、
女性連合、10.1%、6議席。
2000年5月正式に統合。右派の
独立党
(1929年、保守党と自由党が合同、NATO参加支持、EU参加反対)に対抗するため
全中道左派を結集。
しかしトニー・ブレアの新労働党に影響を受けた新党綱領に反対する国会議員が社会主義と環境問題を基礎に
左翼緑運動
を結成。
2003年選挙で31%、63議席中20議席獲得。
2007年選挙は26.8%、18議席、独立党(それまで進歩党と政権形成)と
ゲイル・ハーデ
連立政権結成。
(独立党のゲイル・ハーデは2006年6月から進歩党との連立政権を形成しているが、2007年の選挙後連合と連立政権を形成。)
議長は
インギビヨルグ・ギスラドッティル
(元
女性連合
(女性名簿)、
ゲイル・ハーデ
連立政権外務大臣)が
オスル・スカルフェディンソン
(2000−2005年、元社会民主党議長)をついでいる。
2009年2月世界金融危機に伴うアイスランド経済破綻によりハーデ政権が崩壊したあとをついで
ヨハンナ・シグルザルドッティル
が
左翼緑運動
と少数連立政権樹立、彼女は最初の女性首相で最初の公然同性愛宣言首相。4月選挙予定の暫定的政権。
彼女は1987−1993年に4度入閣。前夫との間に2人の子供と相手の連れ子の3人の子供がいる。
シグルザルドッティル
は1993年
社会民主党
指導者競争で破れて党から離れ”国民の目覚め
トヨドヴァキ
”(国民運動)を結成。
これには旧
人民連合
メンバーが参加、1995年選挙で7.2%、4議席獲得、1999年は
社会民主党
、
人民連合
、
女性名簿
(1983−
1998年)と選挙連合を結成、2000年
社会民主連合
合流。
2009年
ヨハンナ・シグルザルドッティル
が議長となり、2007年レイキャヴィク市長だった
ダグル・エッゲルトソン
が副議長。
2009年選挙は29.8%、20議席。
左翼緑運動と連立政権を組み
ヨハンナ・シグルザルドッティル
が首相となる。
2012年
ロベルト・マーシャル
が離党し、進歩党のグズムンドゥル・ステイングリムソン(元社会民主連合、父、祖父は元首相)と
明るい未来
結成。
2013年議長が
アルニ・パル・アルナソン
に交代。
2013年
選挙は12.85%、9議席と後退。
ヨハンナ・シグルザルドッティル
は立候補せず引退。
〔
左翼緑運動
〕
社会主義、環境主義、フェミニズム政党。
1999年、連合結成にいたる政党合同を認めない数人のアルシング(国会)メンバーが結成。
NATO参加、米国のイラクとアフガニスタン侵攻と占領に反対。直接民主主義を支持。
北欧緑左翼連合
(フィンランド
左翼連合
、スウェーデン
左翼党
、ノルウェー
社会主義左翼党
、デンマーク
社会主義人民党
で構成)参加。
議長は
ステイングリムル・シグフソン
(1988−1991年農業・運輸大臣)、副議長
カトリン・ヤコブスドッティル
、1976年生、
総書記ドリファ・スネダル。
ステイングリムル・シグフソン
は軍の展開に強く反対、警察や沿岸警備隊のような文民制度での有事対応を主張。
1999年選挙で9.1%、15115票の6議席、2003年は8.8%、5議席、2007年は14.3%、9議席。
2009年は21.7%、14議席と好結果を得た。これは左翼社会主義政党としては1978年の人民連合の22.9%以来最高。
その後無党派から1名参加するが3名離党。
2013年
カトリン・ヤコブスドッティル
が議長となる。
2013年選挙は10.87%、7議席と後退。
〔
海賊党
〕
2009年選挙のため
市民運動
が結成され、7.2%で
ビルギッタ・ヨンスドッティル
ら4議席獲得、間もなくそのうち
ビルギッタ・ヨンスドッティル
ら3名が
運動
結成、他1名も離党。
2013年市民運動、運動、自由党が合同し
夜明け
結成するが議席獲得できず。
ビルギッタ・ヨンスドッティル
は2012年
海賊党
結成、2013年選挙で3議席獲得。
(
アイスランド共産党
)
1920年代初期、社会民主党の青年活動家が国際共産主義運動と接触。
1922年、共産主義者は党内で青年共産主義者協会を結成、1926年スパルタクス社会民主協会となる。
1928年、コミンテルンの提案で党から離れ、1930年アイスランド共産党KFIを結成しコミンテルン加盟。
1938年、
アイスランド共産党
と
社会民主党
からの新たな分裂グループにより社会党が結成される。
1931年の選挙では3.0%で1937年には8.5%、3議席。
(
社会党
)
コミンテルンの路線によりファシズムへの統一戦線として
アイスランド共産党
と
社会民主党
からの新たな分裂グループにより
1938年社会党が結成される。
社会党はソ連共産党と誠意的関係をもった。1939年、前の非共産主義者議長がソ連・フィンランド戦争に抗議して離党し、
エイナル・オルゲイルソン
が議長となった。
第2次世界大戦の間、党は成長し1942年の選挙では社会民主党を上回った。
党は1944年のアイスランド共和国結成を支持。独立の最初の2年間、社会党は広範囲な連立政権に参加。
連立政権は米国のレイキャヴィクへの米軍基地提供問題で分裂。
1946年選挙
では
独立党
39.5%、20議席、
進歩党
23.1%、13議席、社会党、19.5%、10議席、
社会民主党
17.8%、9議席。
1956年、平等党、
ハンニバル・ヴァルディマルソン
と
人民連合
結成。
1968年、人民連合は正式に政党となり、社会党は合流。
1956年選挙は
独立党
42.4%、19議席、
進歩党
15.6%、17議席、
人民連合
、19.2%、8議席、
社会民主党
18.3%、8議席。
1971年選挙は
独立党
36.2%、22議席、
進歩党
25.3%、17議席、
人民連合
、17.1%、10議席、
社会民主党
10.5%、5議席、
リベラル・左翼連合
(
ハンニバル・ヴァルディマルソン
)、8.9%、5議席。
(
人民連合(人民同盟)
)
1916年
社会民主党
が結成される。
1930年
社会民主党
から
アイスランド共産党
が分裂。
1937年
社会民主党
からの新たな分裂グループが
アイスランド共産党
と統合し
社会党
を結成。これは共産党とことなり
コミンテルンに参加しなかった。
1956年、社会党が社会民主党から分裂した
ハンニバル・ヴァルディマルソン
の左派と選挙連合の
人民連合
結成し
ヴァルディマルソン
が議長となる。19.2%、8議席で独立党42.4%、19議席、進歩党15.6%、17議席につぎ3党となる。
社会民主党は18.3%、8議席。
1963年
は
国民保護党
が選挙連合に参加し1議席獲得。人民連合としては16.0%、9議席。
1968年、
人民連合
が政党となり、
ラグナル・アルナルズ
が議長(1968−1977年)となる。
オラフル・ラグナル・グリムソン
(現大統領1996−)が1987−1995年の議長。
彼は
進歩党
から分裂し
リベラル・左翼連合
(1969年
ハンニバル・ヴァルディマルソン
らが結成、1971−1974年の
オラフル・ヨハンネソン
の
進歩党
第1政権参加)を経て人民連合参加。
マルグレット・フリマンスドッティル
(1995−1998年)が最後の議長。
人民連合
はNATOと米軍のアイスランド存在とEU参加に反対。
1956−1991年の5連合政権に参加。
進歩党
の
ヘルマン・ヨナソン
の1956−1958年、
進歩党
の
オラフル・ヨハンネソン
の
1971−1974年、1978−1979年、独立党の
グンナル・トロッドセン
1980−1983年、
進歩党
の
ステイングリムル・ヘルマンソン
の1988−1991年。
(
社会民主党
(人民党))
1916年、
アイスランド労働連合
ASIの結成と同時にその政治組織として結成。この年の選挙での得票6.8%。
1918年、アイスランドはデンマークと共通国王をもつ完全主権国家となる。
1920年、ヨン・ヴァルドヴィッソンがアルシング最初のメンバーとなる。
1923年、選挙での得票16.2%、1議席。
1930年、
アイスランド共産党
が分裂。
1938年、
ヘディン・ヴァルディマルソン
が分裂し共産党と合流し社会党結成。
独立前は1934年の21.7%、10議席を最高に、1942年10月は14.7%、7議席(社会党は18.5%、10議席)
1944年、アイスランドは独立共和国となる。
1956年、
ハンニバル・ヴァルディマルソン
が分裂し社会党と人民連合結成。
1983年、
ヴィルムンドゥル・ギュルファソン
が分裂し
平等連合
結成。1986年解散。
1994年、主導権闘争に敗れた
ヨハンナ・シグルダルドッティル
が分裂し
国民運動
結成。
1999年、
社会民主連合
に合流。
1947−1949年
ステファン・ヨハンン・ステファンソン
、1958−1959年
エミル・ヨンソン
、1979−1980
ベネディクト・グレンダル
で政権獲得、1959−1971年は
独立党
と政権参加。1956−1958年は進歩党と社会民主党の恐怖fesr連合。
トロツキストグループとして2001年
共産主義者同盟
(
開拓者潮流
)結成。
教条主義グループとして1976年
アイスランド共産党(ML)
結成。
<政権>
自由党は漁村を基盤、進歩党は農民の利益を代表する自由主義liberal政党、独立党は中道右派。
政策問題の中心はNATO加盟と米軍基地問題とEC加盟であるが特にNATOと米軍基地問題である。
独立党はNATO参加支持、EU加盟反対。
進歩党は独立党と1995−2007連立政権構成。
独立後の政治を支配したのは独立党の
オラフル・トルス
で1942年5月−12月、1944−1947年、社会党、社会民主党との連立、
1949−1950年、1953−1956年、1959−1963年の5度首相となっている。
シグムンドゥル・ダヴィズ・グンラウグソン
2013年− 進歩党
ヨハンナ・シグルザルドッティル
2009年−2013年 社会民主連合
ゲイル・ハーデ
2006−2009年、独立党
ハルドール・オースグリムソン
2004−2006年、進歩党
ダヴィズ・オッドソン
は1991−2004年、1991年
ヨン・バルドヴィン・ハンニバルソン
(
ハンニバル・ヴァルディマルソン
の息子)の
社会民主党と連立政権結成。
1994年社会民主党が分裂し1995年選挙で大敗、
ダヴィズ・オッドソン
は進歩党と連立する。
以前から進めていた私有化を更に拡大。また米国のアフガニスタンとイラク侵攻を支持。
トルステイン・パルソン
1987−1988年、独立党
スタイングルムル・ヘルマンソン
(
ヘルマン・ヨハンソン
1956−1958年の息子)1983−1987、1988−1991年、進歩党
情実と汚職に侵されていると言われる古いアイスランド政治を代表する最後政治家とみなされている。
グンナル・トロッドセン
1980−1983年、独立党、独立党・進歩党・人民連合の3党連立
ベネディクト・グロンダル
1979−1980年、社会民主党
オラフル・ヨハンネソン
1971−1974、1978−1979年、進歩党、人民連合と連立。
ゲイル・ハルグリムソン
1974−1978年、独立党、進歩党と連立。
ヨハン・ハフステイン
1970−1971年、独立党
ビヤルニ・ベネディクソン
1963−1970年、独立党
オラフル・トルス
独立党、5度首相、1942年5月−12月、1944−1947、1949−1950、1953−1956、
1959−1963
年。
エミル・ヨンソン
1958−1959年、社会民主党(1956−1968議長)
ヘルマン・ヨハンソン
1934−1942年、進歩党、1956−1958年は進歩党と社会民主党は選挙で恐怖fesr連合を結成し、選挙後
人民連合と連合を結成。
以降独立党と社会民主党の長期の再建政権(−1971年)となる。
ステイングリル・ステイントルソン
1950−1953年、進歩党
ステファン・ヨハン・ステファンソン
1947−1949年、社会民主党政権
ビヨルン・トルダルソン
1942−1944年 議会の支持なし
<国会選挙>
独立後の1946年の選挙以降常に独立党が第1党となるが過半数を占めることはなく第2党は進歩党で第3党を社会党(旧共産党が
合流)あるいはその後継の人民連合、第4党が社会民主党となっていた。
1999年からは人民連合と社会民主党が合流した社会民主連合が第2党となり進歩党は第3党に落ちた。
独立党はほぼ20議席以上、17−26議席を得ている。42.7%−27.2%、1987年、市民党分裂時最低。
進歩党は12−19議席を得ていたが、2007年には7議席となった。28,2%−16.9%
社会党・人民連合は7−14議席、22.9%−14.3%、社会民主党は6−10議席、22.0%−10.5%を占めている。
1999年結成の社会民主連合は17−20議席、31.0%−26.8%、左翼緑運動は5−9議席、8.8%−14.3%となっている。
全52議席 市会議員選挙レベル 1959.10から60 1987から63
1946年選挙
では
独立党
SJ39.5%、26428票、20議席、
進歩党
23.1%、15429票、13議席、社会党、19.5%、13049票、
10議席、
社会民主党
17.8%、11914票、9議席。
1949年選挙では
独立党
39.5%、19議席、
進歩党
24.5%、17議席、社会党、19.5%、9議席、
社会民主党
16.5%、7議席。
1953年選挙では
独立党
37.1%、21議席、
進歩党
21.9%、16議席、社会党、16.0%、7議席、
社会民主党
15.6%、6議席、
国民保護党
6.0%、2議席
1956年選挙では
独立党
42.4%、35027票、19議席、
進歩党
15.6%、12925票、17議席、人民連合、19.2%、15859票、
8議席、
社会民主党
18.3%、15153票、8議席、
国民保護党
4.5%、3706票、0議席。
1959年10月選挙では
独立党
39.7%、24議席、
進歩党
25.7%、17議席、人民連合、16.0%、10議席、
社会民主党
15.2%、
9議席、
国民保護党
3.4%、、0議席。
1963年では
独立党
41.2%、24議席、
進歩党
28.2%
、19議席、人民連合、16.0%、9議席、
社会民主党
14.2%、8議席。
1967年では
独立党
37.5%、23議席、
進歩党
28.1%、18議席、人民連合、17.6%、10議席、
社会民主党
15.7%、9議席。
1971年では
独立党
36.2%、22議席、
進歩党
25.3%、17議席、人民連合、17.1%、10議席、
社会民主党
10.5%
、
6議席
、
自由左翼連合
8.9%、5議席。
1974年では
独立党
42.7%
、48764票、25議席、
進歩党
24.9%、28381票、17議席、人民連合、18.3%、20924票、
11議席、
社会民主党
9.1%、10345票、5議席、
自由左翼連合
4.6%、5245票、2議席。
1978年では
独立党
32.7%、20議席、
進歩党
16.9%
、12議席、人民連合、
22.9
%、14議席、
社会民主党
22.0%
、14議席。
人民・社民・進歩の連立、
オラフル・ヨハンネソン
1979年では
独立党
35.4%、21議席、
進歩党
24.9%、17議席、人民連合、19.7%、11議席、
社会民主党
17.4%、10議席。
1983年では
独立党
38.6%、23議席、
進歩党
18.5%、14議席、人民連合、17.3%、10議席、
社会民主党
11.7%、6議席、
社会主義(平等)連合
(1983年社会民主党から
ヴィルムンドゥル・ギュリファソン
)7.3%、4議席、
女性連合
5.5%、3議席。
1987年では
独立党
27.2%、
17議席
、
進歩党
18.9%、13議席、人民連合、13.3%、8議席、
社会民主党
15.2%、
10議席
、
市民党
(1987年独立党から税金問題で
アルベルト・グッドムンソン
)10.9%、7議席、
女性名簿
10.1%、6議席、平等・社会正義協会
1.2%、1議席。
1991年は
独立党
38.6%、
26議席
、
進歩党
18.9%、13議席、人民連合、14.4%、9議席、
社会民主党
15.5%、
10議席
、
女性連合
8.3%、5議席。
1995年は
独立党
37.1%、25議席、
進歩党
23.3%、15議席、人民連合、14.3%、9議席、
社会民主党
11.4%、
7議席
、
国民運動
(社会民主党から分裂、
ヨハンナ・シグルダルドッティル
:ハーデ政権で社会問題相)7.2%、4議席、
女性連合
4.9%、3議席。
1999年
は
独立党
40.7%、26議席、
社会民主連合
26.8%、
17議席
、
進歩党
18.4%、12議席、
左翼緑運動
、9.1%、6議席、
自由党
(独立党から分裂、)4.2%、2議席。
2003年は
独立党
33.7%、22議席、
社会民主連合
31.0%、20議席、
進歩党
17.7%、12議席、
左翼緑運動
、8.8%、5議席、
自由党
7.4%、4議席。
新勢力
1.0%、0議席。
2007年は
独立党
36.6%、25議席、
社会民主連合
26.8%、18議席、
進歩党
11.7%、7議席、
左翼緑運動
、14.3%、9議席、
自由党
7.3%、4議席。
進歩党の敗北で独立党・進歩党連立が解消され、独立党のハーデ首相のもと社会民主連合との連立、社会民主連合からは
インギビヨルグ・ギスラドッティル
外務相、
ヨハンナ・シグルザルドッティル
社会問題相、
トルン・スベインビヤルナルドッティル
環境相
などが入閣。
インギビヨルグ・ギスラドッティル
、
トルン・スベインビヤルナルドッティル
は元
女性連合
。
2009年
は
社会民主連合
29.8%、20議席、
独立党
23.7%、16議席、
左翼緑運動
21.7%、14議席、
進歩党
14.8%、9議席、
市民運動
(2009年結成)7.2%、4議席、
自由党
2.2%、0議席。
2013年
は独立党26.70%、19議席、進歩党24.43%、19議席、社会民主連合12.85%、9議席、左翼緑運動10.87%、7議席、
明るい未来
8.25%、6議席。海賊党5.10%、3議席。
進歩党と独立党が連立を組み、進歩党の
シグムンドゥル・ダヴィズ・グンラウグソン
が首相となる。
<産業・経済>
産業構成
は人口で見ると1999年は農業4.3%、漁業4.7%、水産加工4.0%でこれを足すと農漁業で13.0%ととなる。
一方製造業は11.4%、建設6.9%となっている。
また公共サービス4.9%、教育6.0%、医療・社会福祉13.9%となっている。通信・運輸7.6%、卸売・小売13.8%、金融・不動産
10.9%などとなっている。
学生の就業率が高く1999年60%、徐々に高くなる傾向がある。
失業率1999年1.9%、賃金上昇率6.8%。
輸出は2000年水産物63.7%、工業製品30.9%。
輸入は2000年消費財18.7%、燃料・工業用品72.9%。
輸入相手は1999年ドイツ11.8%、米国10.9%、ノルウェー10.4%、英国9.2%、デンマーク8.1%(EEA66.3%)。
輸出は英国19.7%、米国14.7%、ドイツ13.1%、オランダ6.0%(EEA68.9%)。
アイスランドへの投資国は米国38%、スイス32%がぬきんでている。
労働組合は
アイスランド労働連合
ASIが大組織でそのほかに
アイスランド国家・地方公務員連合
BSRB
政党史
歴史
*アイスランド人の名前は姓がなく男子は父の名+ソン、女子は父の名+ドッティルdottir=daughter となるそうです。