<<ルクセンブルクの左翼>>


ルクセンブルク共産党KPL(PCL)〕
 1921年1月ルクセンブルク南方の産業都市ニーダーコルンで社会民主党から分裂して結成。
 1936年、ゼノン・ベルナールが国会議員となる。憲法宣誓を拒否し追放される。
 ブルジョア政党は禁止しようとしたが1937年国民投票で辛うじて(50.7%)反対となる。
 ヒットラー侵入により1940年禁止となる。
 1945年の戦後最初の選挙で5議席獲得、右翼党カトリック)のピエール・デュポンの国民連合政権(1945−1947年)に
シャルル・マルクスが入閣。
 かれの事故死後1946年ドミニク・ウルバニが入閣。LSAPの指導者の死後、連合は崩壊し、全党政権原理は去り、KPLは次の政権
から排除され以降政権に戻ることはなかった。
 1964年米国は党員約500と推定。1964年選挙で12.4%獲得し56議席中5議席獲得。
 1968年には15.6%、6議席とピークを達成、1974年には10.5%、5議席、1979年には5.8%、2議席、以降5%台で
1994年には1.6%で全議席を失う。
 1991年ソ連崩壊で危機となり、改良主義者アンドレ・ホフマンは人民党との合同主張。
 1993年ホフマンらは新左翼結成し1994年選挙で1議席獲得。
 1999年多くの党員が左翼結成に参加。1999年と2000年の選挙ではKPL単独はなく左翼名簿。
 2004年選挙の前のKPL指導部と左翼内多数派の議論で再び別々の名簿となる。
 左翼1.9%、共産党0.9%で共に0議席となる。
 多くの左翼メンバーは共産党を追放される。
 2009年EU議会選挙は1.54%獲得。2009年議会選挙は1.5%、0議席。2013年選挙は1.64%、0議席。

左翼
 1999年1月、共産党、新左翼、革命的社会党、社会主義青年同盟、社会主義労働者党などの活動家が結成。
 1999年選挙で3.3%獲得しアンドレ・ホフマン(旧共産党指導者)が議員となる。2000年ホフマンが市長選に立候補し、
アロイセ・ビスドルフ(共産党)に交代。2002年セルジュ・ウルバニーと交代。
 左翼多数派と多くの共産党メンバーの間に議論が起こり2004年は左翼と共産党が別々の名簿となり左翼は1.9%で議席を失う。
 EU議会ではヨーロッパ統一左翼北欧緑左翼に参加、ヨーロッパ反資本主義左翼ヨーロッパ左翼党参加。
 2009年EU議会選挙は3.4%獲得。2009年議会選挙は3.3%で1議席獲得。
 2013年議会選挙は4.94%、2議席。

社会主義労働者党LSAP〕
 1902年社会民主党PSD結成
 1905年左派が分裂して社会民主労働党POSDを結成。
 1908年リベラル同盟(1904年結成)と連合し左翼ブロック形成し、右翼ブロック(後の右翼党)と世俗分離主義で対立。
 学校制度が1908、1911、1912年選挙の主要論点。
 リベラルのポール・エイシェンが1888―1915年の27年間首相となる。
 1912年PSDとPOSD再統合。
 1916年社会党と改名し第2インター参加。
 エイシェンの死により左翼ブロック崩壊し、1918年普通選挙が導入され以降右翼党が主要政党となる。女性が右翼党の強い
支持者となり、リベラルの没落を招く。
 1919年選挙は右翼党27議席、社会党8議席、リベラル同盟7議席。
 1921年共産党分裂。
 1924年ルクセンブルク労働党となる。
 1937−1940年ピエール・デュポン右翼党、1944年からCSV)政権に参加。(1938年まではリベラル参加)、1940−1944年
は亡命政権。
 1946年ルクセンブルク社会主義労働者党LSAPとなる。
 キリスト社会人民党CSVとの1951―1953年デュポン・ボードソン政権、1953−1958年のベック・ボードソン政権に
ヴィクトル・ボードソンニコラス・ビーファーらが参加。ミッシェル・ラスキンが1945−1951年指導者。
 1964―1972年 ヴェルナー・クラヴァッテ(CSV)政権に参加。(アンリ・クラヴァット副首相、1959−1970年党首)
 1970年右派が社会民主党として分裂。1974年、5議席、1979年、2議席。
 LSAPで左派が増大しCSVとの連立に反対し、地域で共産党との提携を擁護するのに反対した。
 1974−1979年民主党ガストン・トルン政権参加。戦後はじめてCSVが政権不参加。
 1974−1980年リディー・シュミット党首。
 1979年ヤーン・グレムリング独立社会党結成、グレムリングは1984年選挙で落選。
 1979−1984年政権不参加。
 1981年社会民主党の大部分は再統合、一部はキリスト社会人民党CSVに加わる。
 1984―1995年ジャック・サンテルCSVと連立
 1995−は1999―2004年(民主党とCSVユンケル・ポルフェル政権)の反対派以外、CSVのヤン・クロード・ユンケルと連立。
 1995−1999年ユンケル・ポース政権に参加。ジャン・アッセルボルンが1997−2004年党首。
 2004年選挙では60議席中14議席。CSVとの連立ユンケル・アッセルボルン政権の少数派パートナー。
 DPガストン・トルンが1974―1979年首相(LSAPと連立)になった以外、第2次世界大戦後CSVの主導のもとDPあるいは
LSAPが少数派連立相手となる。

 2004年選挙はCSV36.1%、24議席、LSAP23.4%、14議席、DP16.1%、10議席、緑11.6%、7議席、
 2009年選挙はCSV38.0%、26議席、LSAP21.6%、13議席、DP15.0%、9議席、緑11.7%、7議席。
 選択民主改革党ADRが年金の単一争点党から右翼ポピュラリズムに転進している。(1999年11.3%ピークで2009年8.1%と低下傾向)
 2013年選挙はCSV33.68%、23議席、LSAP20.28%、13議席、DP18.25%、13議席、緑10.13%、6議席、ADR6.64%、3議席、
左翼4.94%、2議席。
 DPのクサヴィエル・ベッテルを首相としてDP、LSAP、緑の連立政権成立。


 1983年結成、1984年選挙で5.2%、2議席。(イーン・フスジュップ・ヴェーバー
 1985年ジュップ・ヴェーバーと他のグループが分裂、1989年選挙は別々の名簿でそれぞれ2議席。
 1994年選挙は統一名簿で10.9%、5議席、1995年正式に再統合。
 1999年選挙では9.1%、5議席、2004年選挙は11.6%、7議席。2009年選挙は11.7%、7議席。
 1999年ジュップ・ヴェーバー(1994年からMEP)が離党し緑・リベラル連合結成。
 1984年から議員のイーン・フスは1983年までLSAP所属。
 2005年からルクセンブルク市はDP−緑連合でフランソワ・バウシュが市幹部となる。
 自然保護、キリスト教、フェミニズム、第3世界運動、LSAP、極左、リベラル(ジュップ・ヴェーバー)など幅広いグループからなる。



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