<<オランダの学生運動


学生連合Students' union〕

 学生の労働組合として活動するいくつかの学生連合がある。最大のもののひとつはデルフトのVSSD(デルフト研究学生利益協会
Vereniging)とアムステルダムのASVA学生連合
 これらの学生連合はすべて全国学生組合LSVbのメンバーである。同様の組織にISOがある。
 ISOとLSVbは両者ともESIB(現ヨーロッパ学生連合ESU)のメンバー。
 特異な学生代表として地域政党として学生を候補に立てる政治学技術学生STIPがある。

 ネーデルランドでは1945年ASVA(総学生統一アムステルダム)学生連合studentenunie(アムステルダム総合大学Universityと
アムステルダム応用科学大学Hogeschoolよりなる、以下UniversityはU大、HogeschoolはHSと略称)が結成される。
 1960年代外国にならって多くの新しい、しばしば活発な学生組織が結成された。
 学生運動指導者トン・レフティーンは1963年民主化や授業料について種々論じ、同年全国的学生組合である学生組合SVBを結成。
 60年代末SVBは急進化し、分極化し1970年に活動停止。
 レフティーンは大学universiteitの批判的大学への急進的転換をも擁護した。
 政府の大学改革計画には多くの学生が抗議した。要求実現のため1969年大学占拠が続いた。
 最初ティルブルフU大、続いて数日後にはカトリックHS、更にカール・マルクス大学Universiteit、数ヶ月後にはアムステルダムU大
マーフデン・ハウスが占拠された。オランダ中で多くの活動的学生グループが結成され占拠が起こった。
 たとえばフローニンゲンでは強力なオランダ共産党CPNがフローニンゲン学生同盟Studentenbondに影響をもち、アナーキストと
社会民主主義学生、フローニンゲン国立大学の急進的職員とともに学園を赤一色にした。
 学生組合がどこでもきのこのように発生し、種々な問題に焦点をあてた。
 マルクス理論、より実践的教育、第3世界、住宅占拠、環境問題、反精神医学、労働者闘争などの社会問題など。
 教師や職員とともに学生は大学の雰囲気を変えることを支持した。
 続く10年は学生運動の波は残ったが後継者と衝撃は激減した。

全国学生組合LSVb
 地域学生組合SVBStudentenvakbondの連合組織、1983年結成。
 それ以前に1963年学生組合SVBがフランスのUNEFにならって結成された。
 1960年代SVBは政治化し左傾化した。フランス同様大きな学生反乱が起こった。最初はオランダでは静かであったがやがて
マーフデンハウスの占拠が起こった。しかし急進化は長続きしなかった。
 1971年SVB内などからから全国討論評議会LOGが結成される。
 1980年代デートマン教育大臣のもとで授業料値上げに対し学生動員で抗議で成功を収めた。
 1990年代ヨー・リッツェン教育文化科学大臣の時期にも大抗議行動を行った。
 2000年代のバルケネンデ政権での教育費用の継続的削減計画にも活発に抗議運動を行った。
 国際連帯にも活発である。
 LSVbは大学連合VSNU、HBO評議会などとともに政府メンバーと定期交渉を行う。

 学生組合AKKUASVA学生連合eLSUフローニンゲン学生同盟GsbSRVUVSSDなどが参加。
 主な活動家はリク・フラスホフ緑左翼)、ロベルト・ヒースベルツ緑左翼)、ジュディト・サルヘンティビ緑左翼)、
マールテン・ファン・プールヒースト緑左翼)、レネ・ダネンマリエッテ・ハメル労働党)。

地域間学生協議会ISO〕
 1973年結成。オランダの諸都市の5つの大学の学生団体グループにより全国総括組織として出発した。
 ISOは急速に拡大し全国に展開。
 1995年HBOの参加により大学間学生協議会と名を変える。
 ASVA学生連合VSSDなどはLSVb、ISO両方に参加。


〔主な学生組合

ASVA(総学生統一アムステルダム)学生連合studentenunie
 1945年結成のアムステルダムU大とアムステルダムHSの学生利益組織。
 1940−1950年代に成長し、1950年代末にはアムステルダムU大のほとんどの学生が参加。
 1950年代末に新しく結成されたSVBが大きな影響を与え始め、1960年代初め強力な左翼思想が広がる。
 1969年マーフデンハウス占拠にASVAが密接に関係。
 1968年左派に不満なグループがアムステルダム学生利益代表組織OBASを結成、1970−1980年代に右派を構成。
 1970年ASVAの姉妹組織としてアムステルダム社会主義出版が創設される。1982年には専門左翼出版社となり独立。
 1997年にはASVAとOBASの違いは小さくなり統合。1993年にはアメリカの例にならった学生連合Studentenunieが結成され、
1999年にはASVA/OBASと学生連合の違いが小さくなり統合。
 著名な活動家はフリッツ・ボルケスタイン(自由民主人民党VVD)、エルスベート・エッティ(評論家、1973−1982年共産党新聞真実
に関係)、ベルトゥス・ヘンドリクス(元ジャーナリスト、1966−1967年委員長)、エリク・ユルヘンス(1950年代委員長、KVPPPR
PvdAと移る)、マールテン・ファン・プールヘースト(1987−1988年委員長、緑左翼)、フェルト・クローネ(労働党PvdA)など。

学生組合vakbond AKKU
 1981年結成のオランダ学生全国連合メンバー。ラドバウドU大ネイムヘン、アルヘム・ネイムヘンHSで活発。
 AKKUは批判的大学活動委員会Aktie Komitee Kritische Universiteitの略。
 批判的大学は科学への批判的接近と教育への学生参加を要求する運動で1970−1980年代の左翼運動。
 1981年法的に結成、それ以前の1年は無政府的に存在(当初は法的存在に反対)。学生組合ではなく政治的左翼学生
で学生に関することだけでなく、女性、ゲイ、環境、クラーケン(住居占拠)、貧困、戦争などの運動にも関係。
 1980年代は特に占拠戦術を採用。大学施設だけでなく公衆施設も占拠。
 ヨー・リッツェン教育文化科学大臣への全国的抗議行動にも参加。後のLSVb委員長レネ・ダネン(別の国際化運動組織
オランダ社会フォーラム活動家)もこのときAKKU執行部。
 1980年代のデートマン教育大臣反対運動活動家で住居占拠運動指導者ルイス・セヴェケは2005年暗殺される。
 1994年環境プリズム(ラドバウドU大)、青年環境活動などの環境活動グループと大学環境プラットフォームUMPを結成。
 しかし間もなくUMPではAKKUだけが活動的となる。
 著名な活動家はレネ・ダネンルイス・セヴェケなど。

フローニンゲン学生同盟Studentenbond Gsb
 フローニンゲン学生評議会Studentenraad(フロンストラ、国立大の学生評議機関)に由来。1965年フローニンゲン学生協会Vereniging
が公式設立される。これの対応で、左翼の学生組合Studenten Vak運動崩壊による穴を埋めるため旧執行部によってフローニンゲン
学生同盟結成される。1970年代初期批判が生じ、改革され1971年学生組合となる。これらはビーシェーフェル政権(労働党除外連立、
1971−1973年)発足による暗雲に対する学生統一の必要によるものであった。
 1970年代はGsbが活発な時代で、アナーキストにより率いられた。
 授業料値上げに激しく反対。オランダ共産党CNPと密接に結び、Gsbはダンボール紙産業労働者を支援した。
 1972−1973年に多くのメンバーがCPNに参加。(テフィス・ヴィットら)
 活発な闘争は批判も生み、内部反対派連合討論学生FSO Federatief Overleg Studentenが結成されたが数年で消滅。
 1970年代末から1980年代初めに学生運動は後退し、全国討論評議会LOGはCPNと結びついた内部論争で崩壊し、学生運動は
学生問題に対応できず、学生運動の急進化は市民のみならず学生の信頼も失い、政府に1970年代改革の逆行を許した。
 Gsbは住居占拠運動に取り組み平和社会党PSPと関係した。
 1983年LSVbが結成されこれにはGsbは大きな役割を果たした。デートマン教育大臣の政策反対運動にも参加した。
 1990年初めからメンバーが減り始めた。CPNと別れ同盟は急進化し学生の問題は取り組まれなかった。
 1993年にはメンバーは50を越えず、執行部はなかった。1994年から再建が始まった。
 アナーキズム志向の学生行動戦線SAFが力を持ちGsbは再び学生問題に取り組んだ。
 1994−1996年のヨー・リッツェン時代に活発に行動した。
 1990年中期からGsbはフローニンゲンの学生問題に重点を置き始めた。
 1997年ハンゼHSに進歩学生グループPSFが、2000年フローニンゲン国立大学に第2グループの進歩討論学生VOSが結成され、
両方ともVOSとして行動、2007年Gsbグループと名を変えた。これらの参加でGsbは強化され、賃貸住宅問題に力を注ぎ始めた。
 著名な活動家はパウル・ウーレンベルト(1972−1973年第2代委員長、社会党第2院議員、1991年以前はCPN)、
マルティン・ブリル(著述家)、ジャック・バラッゲ(労働党)。

〔学生地域政党〕

政治学技術学生STIP
 1993年結成されたデルフトの政党。党の主要メンバーはデルフト技術総合大学学生。1994年には37議席中1議席Zetelで反対派。
 1998年は2議席Zetelで1地区参事Wethouder獲得し労働党緑左翼民主66と地方多数派連立に参加。
 2002年は3698票で3議席で労働党自由民主人民党VVD緑左翼民主66と連立に参加。
 2006年は3026票、7.0%で2議席で労働党自由民主人民党VVD緑左翼と連立に参加。

学生と都市
 1993年フローニンゲンで学生が結成。1994年2.8%、2540票で1議席、1998年も1議席、2002年は4195票、5.0%で2議席。
 2006年は2.8%、1議席。1994年市議のピエテル・ファン・ヴーンセルはのちに自由民主人民党政治家。

我々ライデン
 ライデン大学学生を中心に2005年結成。2006年は市議会gemeenteraad議席獲得ならず。

アイントホ−フェン名簿学生
 技術総合大アイントホーフェンの学生を中心に2005年結成。2006年は市議会議席獲得ならず。


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