<<北欧の学生運動>>


<フィンランドの学生運動>

フィンランドの学生自治組織〕 学生連合(fi)

○フィンランド大学生自治会連合SYL Suomen ylioppilaskuntien liitto SYL歴史
 1921年、国際会議でフィンランドを代表するため現在のヘルシンキ大とアボ・アカデミー学生自治会により結成され、1927年
トゥルク大、工科大、商経大、スウェーデン経済大SHSが参加し、約5千5百人の学生を代表するようになる。
 1941年からスウェーデン語学生が参加しなくなる。
 SYLはIUSの設立大学の1つであったが1956年のハンガリ騒動で脱退しISCに参加。
 1971年IUSに再加盟するが代表は送らず、1995年再度脱退。
 1990年からESU(欧州学生連合)やNOMNordiskt Ordforande Mote北欧議長会議)などの組織が重要となる。
 現在は21大学が参加。ヘルシンキ大を中心にトゥルク、タンペレ、工科大などが主要大学。
 他に30大学自治会参加、1996年結成の工科大自治会連合SAMOK Suomen ammattikorkeakouluopiskelijakuntien liittoがある。

 主な活動家はヤーコ・ラーヤヴァ(1970年代リベラル人民党活動家、外交官)、タルヤ・ハロネン(1969年頃活動家、2000年
からの大統領)、カール・オラフ・ホメン(1965年委員長、スポーツ家、元保険会社CEO)、イッカ・カネルヴァ(1970年中期
国民連合ユース活動家、国民連合)、マッティ・イロウエコスキ(1941年生まれ、社民党)、ロサ・マリレイネン(1975年生、緑同盟)、
ヨルマ・オリラ(1973−1974年委員長、国民連合、元ノキアCEO)、サリ・サルコマー(1993年幹部、国民連合ユース活動家、
国民連合)、ウルフ・スンドクヴィスト(1968年委員長、1991−1993年社会民主党議長、パーヴォ・リッポネンイルッカ・タイパレ
などの他の社会民主主義者と1960年代SYLで活動)、ハンヌ・ターニラ(1960年代中期、ジャーナリスト)など。
 その他委員長はミッコ・フヴァ(1960−1962年、キリスト学生連合、福音ルター派牧師、リベラル人民党)、イリヨ・ブロムステド
(1963−1964年、歴史学者)、ペッカ・プスカ(1970年、中央党)、カタリーナ・ポスキパルタ(1989年、緑同盟)、エリナ・モイシオ
(2002年、緑同盟)など。

○フィンランド10代同盟 Suomen Teiniliitto 
 当初、若い大学生、学生、生徒の組織として1939年マンネルヘイムの誕生日にフィンランド学校教科書朋友地域同盟として設立、
1944年には10代同盟となった。この組織は神、祖国、仕事、義務を宣言していた。
 この組織の主要な任務は戦争努力支援であったが、1960代初期性格が代わり、政治化した。
 フィンランドのベビーブームは1947年ピークに達し、これらのベビーブーム世代が社会にはいるようになって十分な仕事がなく
社会問題が発生、多くがスウェーデンに移住した。1970年代には若者の運動は頂点に達し、これらベビーブーム世代の10代同盟は
共産主義者に主導され反乱を始めた。タイスト主義の影響にある急進派はソ連参加をさえ要求した。
 1980年代初期には大衆的でなくなり資金問題で解散した。
 主な活動家はエリッキ・トゥオミオヤエスコ・アホ(中央党)、ベン・ツュスコヴィチ国民連合党)、キンモ・サシ(リッポネン内閣大臣)、
サトゥ・ハッシ緑党、元タイスト主義)、ラウリ・イハライネンSAK議長)、エルッキ・リーカネンフィンランド銀行総支配人)、
マッティ・ヴィーアライネン(左翼連合)など。

○高校生連合SLL  The Union of Finnish Upper Secondary School Students
 1985年のミッケリの学校ストライキで結成。5万人、45%を組織化。

フィンランドの学生政治組織
   
○社会主義学生同盟SOL Sosialistinen opiskelijaliitto
 社会主義学生同盟SOLは1965年SKDLの学生組織として結成、当初の主要なメンバーはヘルシンキアカデミー社会主義者協会ASS。
 ASSは1925年社民左派青年が結成、1937年社民から離れ、1944年SKDL結成に参加し1965年SOLに参加する。
 初期はSKDLのエレ・アレニウスに近かった。
 ASSは1960年代は小組織であったが1968年に拡大成長。1960年代末ASSの指導部は毛沢東主義者アナーキストが占拠。
 1970年代初期に毛沢東主義者は周辺化。
 1971年分裂、SKP反対派(タイスト派)がわずかに多数派となりSKDL/SKP多数派がSOLの支配を失う。
 1970年代初期にはSOLが大学に強い影響を与えたがタイスト派のSOLは中期に急速に支持を失う。
 1970年代初期にはSOLは総民主戦線として中間派も巻き込み国民連合学生と対決しようとした。
 1974年SKDL/SKPは人民民主学生組織KOJ結成。KOJは1981年SOLに再統合。
 1986年DeVa設立に参加、SOLの活動は1990年停止。
 ASSは1970年代末タイスト派と離れ、2000年代初期に消滅、別のグループがアカデミー社会主義者グループ結成し小組織として存在。

○社会民主学生SONK Sosialidemokraattiset Opiskelijat
 1963年結成。それ以前にも個別大学にはあったが全国的統一がなかった。アルヴォ・サロが最初の委員長。
 左派社民はSKDLと緊密な関係にあった。
 1960年代の主な活動家はペルッティ・パーシオウルフ・スンドクヴィストイルッカ・タイパレパーヴォ・リポネンなど。
 1970年代初期理論論争が活発となる。1973年にSONKの自治会連合での支持が頂点となる。
 タイスト派の1980年代初めの後退により学生運動の暑い年月は静穏化し学生政治運動も後退。
 1970年後期SONKは原発に反対。
 1980年代ソ連を批判しアフガン戦争を批判、ポーランド連帯運動を支持。ニカラガ・サンディニスタなども支持。
 1980年代末社会主義ユース国際連合IUSYに積極的参加。1980年代後期SONKはSYLの強硬派となる。
 1980年代中期からSYLでの支持後退。
 1990年代ミカエル・ユウングネリンはパーヴォリポネンの右派路線を支持。
 1995−1997年SONKのSYLでの支持最悪となる。(1995年には執行部メンバー0)1999から復調。
 1990年代末から青年欧州社会主義者ECOSYに注力。

緑ユース・学生連合ViNO
 2003年結成の緑同盟の組織。2004年議長は現緑同盟副議長のマリ・プオスカリ

○左翼学生Vasop Vasemmisto-opiskelijat
 2000年結成の左派、人道主義、環境主義グループ。左翼同盟系のSDNLと協力。

国民連合学生Tuhatkunta
 1960年結成。SYLで最も勢力がある。

STKK学生

〔フィンランドの急進運動〕
 タイスト主義者Taistolaisuusは1970−1980年代フィンランド共産主義運動での親ソ連派グループの共産党内反対派で名称は
指導者のタイスト・シニサロTaisto Sinisaloから来ている。1985年に共産党(統一派)結成
 タイスト主義者は文化分野での闘争にもかかわり、顕著な役割を果たした。ラブ・レコード(1966年設立)でアジト・プロップ
アウリッキ・オスカネン、クリスティーナ・ハルコラKristiina Halkolaカイサ・コルホネンなどが活躍した。


<ノルウェーの学生運動>

〔ノルウェーの学生自治組織〕 

ノルウェー学生連合NSU Norsk Studentunion
 1936年、オスロ、ベルゲン、トロントハイム、オスの学生がノルウェー学生同盟samband結成結成。
 1964年学生連合Studentunionとなのる。
 ノルウェー海外学生連合ANSAは1956年結成の海外で学ぶノルウェー人学生の組織。

 主な指導者は1958年トルヴァルト・ストルテンベルグ(労働党)、1974−1975年ゲルト・リヴ・ヴァッラ(労働党)、
1981−1982年ヨネ・サロモンセン(フェミニスト)など。
      
ノルウェー学生全国同盟StL Studentenes Landsforbund
 単科大学学生同盟などの統合により1996年結成。30組織10万代表。

○ノルウェー学生協会DNS Det Norske Studentersamfund
 1813年オスロ大で結成された学生協会。
 主な指導者は1946年ヘルゲ・ログンリーンリベラル党)、1947年スヴェン・ストレイ保守党)、1953年ヤン・スセ保守党)、
1959年ベルゲ・フレ社会主義左翼党)、1962年フランシス・セヘルステド保守党)、1968年ゲオルグ・アペネス保守党)、
1966年エイナル・ホルデ(労働党)、1967年アンデレス・シャースタド保守学生同盟)、1969年ハルヴォル・ステンスタドヴォルド
 1970年指導者はシグムンド・グルンモ(68−69年SUF指導者)、1987年ヨハン・クリスチャン・エルデン青年保守

高校生組織
 1959年ギムナジウム協会が結成され、1993年左派が分裂しノルウェー高校生組織結成。1999年両者統合し高校生組織
を結成。
 1960年代末左右の抗争が起こり1970年会議で左派敗北。以降両者とも高校の問題より政党抗争を行うようになる。
 1970−1980年代青年保守労働者青年同盟AUFが中心となり1975−1991年まで指導者は青年保守が占めた。
 主な活動家はイエンス・ストルテンベルグ(85−89年AUF指導者)、エルナ・ソルベルグ青年保守、1961年生まれ)、
レイモンド・ヨハンセン(86−88年社会主義青年議長)、マリト・スルンスタド(86−88年中央青年指導者)、テリエ・オスムンセン
(75−76年指導者、青年保守)、ヤン・フォウグナー(1961年生まれ、保守党)など。
 その他指導者トロンド・レイダー・ホレ(84−85年、青年保守)、ユリー・クリスチャンセン(88−89年、青年保守)など。

〔ノルウェーの学生政治組織〕 →政治組織

共産主義大学グループ(ラーグ)KUL 
 オスロ大学の哲学・社会経済学部を中心に1973年に結成された1970年代の革命的学生組織。
 AKP(ml)をプチブルで民族主義、軍事主義と批判しこれの左翼と自認。
 KULは共産主義労働者同盟KAと協力しこの学生組織となる。KULはベルゲン大学の共産主義労働グループKAG/Bとも協力。
 KULはKAGの勢力のあったベルゲン以外にも勢力をもった。
 KULは評議会共産主義レーニン主義を推進しようとしたがAKPml同様中国の影響を受け、1976年の毛沢東死後中国を批判、
一時期アルバニアを支持。スターリンを評価するKAと1980年衝突。一部は1981年まで政治活動を継続。
 著名なメンバーはエスペン・ソビエゲルド・リヴ・ヴァッラハラルド・ベルンステンヨルゲン・サンデモセトルルス・ヴィッレル
ニルス・ヨハン・リングダル(多くは学者)。

 KAG/Bは1971年、ベルゲン大学の以前のSUFmlメンバーと独立マルクス主義グループが結成。1973年解散し
社会主義選挙同盟
に参加するグループとこれに反対するマルクス主義グループ・ベルゲンMGBに分裂。
 KAG/BはAKPmlをスターリン主義、プチブルと批判し、1970年代大学でのAKPmlの衰退に大きな影響を与えた。
 著名な人物はテリエ・ロドラルセン(外務省に勤め、1996年トルビヨルン・ヤグランド政権で行政大臣、1999年国連の
中東問題代表)、ハンス・エッビング(SV議員)などでそのほかもSV、その青年組織SU、労働党青年組織AUF幹部となった。
 その他SVではエリック・ソルハイムモルテン・ヨルゲンセンなど。

 KAGはフランスの構造主義、ニーチェ、フロイト、ポストモダニズム(フーコー、デリダ、バルト、ラカン)の方向を志向したが、
KULはヘーゲル的方向(晩期マルクス即ち資本論の論理を重視し初期マルクスの唯物史観を経済理論でないとするマルクス
の資本の論理的解釈、ラルス・グレ)を志向した。
 
 現在はオスロ大学には独立グループとして赤色戦線があり左翼連合と協力している。

共産主義青年同盟forbundNKS
 1974年結成のAKPml(のちAKP)の学生組織。この時期赤色戦線(1960−1970年代にオスロDNS、ベルゲン、トロントハイム
等の存在したML派グループ)に次ぐ主勢力。
 1980年代斜陽化、最後の全国指導者はハンス・オラフ・ブレンドベルグ。現在はオスロ大にだけ組織存在。
 
赤色戦線
 現在のオスロ大学グループ以外に、1960−1970年代にオスロDNS、ベルゲン、トロントハイム等の存在したML派グループ、
1990年代トロントハイム大、ノルウェー科学技術大の存在したグループなどがある。

保守学生同盟forening
 1891年結成。

キリスト学生・高校生グループlag
 1924年結成。

自由民主学生グループlag


<スウェーデンの学生運動>

〔スウェーデンの学生自治組織〕 学生連合(sv)

○スウェーデン全国学生連合SFS Sveriges Forenade Studentkarer
 1921年結成、現メンバーは60組織27万人を代表。
 主な委員長はオロフ・パロメ(52−53年)、レンハルト・ボッドストロム(59−60年、パロメ政権外相)、ラルス・トビソン(64年、穏健党)、
エルラン・リンボリ(66−67年、パロメ政権教育相)、ダグ・クラッケンベリ(71−72年、FMSF)、ペテル・ホネト(73−74年、LS)、
ハンス・グスタフ・ベスベリ(80−82年、FMSF、穏健党)、エレナ・ヘイイ(91−92年、キリスト民主)、ステファン・アメル(94−95年、
社民、00−06年教育相)

スウェーデンの学生政治組織〕 学生政治組織karpartier
   
左翼学生同盟VSF Vansterns Studentforbund
   1998年結成。左翼党の学生組織。共産主義学生同盟KHFKommunistiska Hogskoleforbundetの後継組織

S学生(社会民主学生) 
   1990年結成。
   1931年社会民主学生同盟結成。
   1950−1960年代は勢力を持ち、社会民主左派クラブ組織クラルテと関係をもっていた。
   1960年代後期の左傾化の流れで同盟とクラルテの急進派は同盟を離れ共産主義者と称し、学生は1970年青年同盟
  SSUに参加。SSUでの長い論争のあと1990年新学生同盟結成、学生クラブは社会民主大学生連合SSHF結成。
  
緑学生
   2002年結成。

中央学生
   2003年結成。

キリスト民主学生同盟
   2000年結成。

リベラル学生LS
   1947年結成。

自由穏健学生同盟FMSF
   1942年結成。

クラルテ(1960年代)
 1960年代急進的なクラルテ・グループが共産主義者組織を自称。
 1960年代末から1970年代KFMLと密接な協力を行う。
 1968年ゴットフレト・アペルス(デンマークの左翼のブレキング通りギャング参照)の影響を受けた反対派が出現、労働者階級は
帝国主義により買収されているから労働者に注力した活動は無益としフランシスコ・サリオンらが反乱運動を結成。
 クラルテは1960−1970年代多くの大学で成果を収め、特にウプサラではスティグ・ビヨルン・リュングレン率いるArgusという
学生政治組織が出現。これにはボ・グスタフソンらが参加。
 1980年代に斜陽、1982年スウェーデン共産党SKPとの関係を絶つ。

〔スウェーデンの急進運動〕
 スウェーデンの1968左翼(1970年代左翼)の出来事として代表的なのは以下の事件である。
 1965年ベトナム戦争に反対するアメリカ大使館へのクラルテグループや反戦主義者のデモで警察との衝突が起こった。
 (ホトレットの闘い
 1968年5月デビス・カップの試合(スウェーデン・ローデシア戦)の抗議デモで会場変更させる。(ボスタードの反乱
 同年5月大学制度改訂に抗議するクラルテ、KFML、左翼青年同盟などの社会主義者学生組織がストックホルム大学学生会館
Karhusを占拠。教育大臣のオロフ・パルメアンデルス・カールベリらと話し合いをするが成果なし。その後学生はストックホルムで
劇場・コンサート・ホール・駅等を占拠しようとするが失敗。警察による兵糧攻めで占拠終了。
 1969年のストックホルムのアイスホッケー世界選手権ではソ連のチェコスロヴァキア介入への抗議が行われた。

 またプログレシヴ音楽運動(プロッグ)、人生のための運動(プロヴィエ)(オランダのプロヴォ(挑発)運動の影響、寸劇的抗議行動
などを展開)、雑誌”画像・文化戦線の人民Folket i Bild/Kulturfront”(1972年創刊、表現の自由を守り人民文化推進と反帝国主義
を支援)、グループ8(1968年結成、フェミニスト問題を提起する基礎グループとしてのフェミニストの秘密ネットトワーク、8人よりなる、
1970年公然化し16人のメンバーとなる、1978年約2千人がストックホルムのデモに参加。)など運動も起こった。

 クラルテ統一FNLグループ (DFFG)同盟共産主義者KFMLKFML(r)MLK反乱運動などの毛沢東主義系グループや
共産主義労働者同盟KAFなどのトロツキストグループが登場、活発に行動した。

<デンマークの学生運動>
 
〔デンマークの学生自治組織〕

○デンマーク学生連合DSF Danske Studerendes Fallesrad
 1932年結成、21組織参加、約11万1千学生を代表。

デンマークの学生政治組織〕 

自由フォーラム
 1943年ナチ占領期に社会民主学生とい名で結成。最初の指導者はエレルハルト・ヤコブセン。SSという省略は不評ですぐ
自由フォーラムと改名。50−60年代組織拡大し社会民主青年同盟と論争を行うようになる。やがて青年反乱で衝撃を受けるが
スウェーデンのS学生やドイツのSDSと異なり生き残ることができた。
 1973年幹部が会民主青年同盟参加。それからまた組織拡大。
 主な人物はスヴェンド・アウケンモゲンス・リッケトフト(65−70年指導者)、ポウル・ニュルップ・ラムセンモゲンス・カルメなど。

学生同盟Studentersamfundとクラルテ
 学生同盟は1820年結成のコペンハーゲンの学生組織学生協会Studenterforeningenの左派が1882年結成、エストルップの保守
主義に反対するリベラル、急進、社会主義者が結成。1880年代から学生同盟は左派学生の組織となり、学生協会はブルジョア学生
の拠点となる。第一次大戦後学生同盟では左派社会主義者と共産主義者勢力が成長、新旧左派が20年近く抗争、1930年
社会民主が撤退し社会民主学生結成(−1943年)、1932年共産主義者は共産主義学生グループ結成(−1939年)、1943年禁止、
1945年再建、解放後急成長し、1946年には急進左翼のベルンハルト・バウンスゴルト、DKPのモルテン・ランゲ、社民のオレ・オルセン
らが幹部となるが間もなく冷戦で斜陽、チェコスロヴァキア事件で1948年自由フォーラム撤退。
 現在の学生同盟は1975年結成。
 学生同盟の共産主義者グループは1947年クラルテを名乗る。1954−1957年モルテン・ランゲが学生同盟の指導者となり、
これは戦後の唯一の共産主義者指導者。

保守学生
 1903年結成。保守党組織。

キリスト学生同盟(ルター派)
 1956年結成。

リベラル学生
 1910年結成。左翼党組織。

青年反乱
 オランダのプロヴォ運動がイエンス・ヨルゲン・オルセンヨルゲン・ナシュらによって導入され、ハシシ喫煙、空き地、空き家などを
占拠するSlumstormer活動などが行われた。また教育施設等の占拠も行われた。これらはロック音楽活動と結びつくことが多かった。
 主な出来事。
 1967年3月プロヴォがアマリーンボー宮殿広場で赤い爆弾を燃やし逮捕される。
 1968年4月コペンハーゲン大、心理学研究所が占拠される。
 1969年2月映画学校が占拠される。3月文化省が占拠される。
 1969年5月レネ・アルダー・ペテルセンビヨルン・ノルガードとボルセンでヌード・ハプニングを行う。
 1970年7月フルストルップでの新協会によるテュ・キャンプ(ウッドストックに刺激された祭り)
 1970年7月文化省階段で、クラウス・リフビエルグらがハシシ喫煙。
 1970年代から1980年代初期空き地、空き家などを占拠するSlumstormerが活動(後のBZ運動:スコッティング)。
 1970年9月世界銀行例会への大デモ。
 1971年9月クリスティアナが占拠されヤコブ・ルドヴィヒセンが自由空間宣言。
 1972年5月キム・ラルセン(ロック・グループ・ガソリンメンバー)らがSlumstormerとして逮捕される。
 

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