<フランスの労働組合運動>     


フランス民主労働連合CFDT
 1964年キリスト労働者フランス連合CFTCの多数派が世俗労働組合として結成。少数派はCFTC維持。
 ユジーヌ・デカンプ指導のもと当初はロカールの統一社会党と接近、共産党支配のCGTとも近づく。68年5月でこれがひっくり返り、
CFDTは自主管理主義となる。
 1971年エドモン・メールが総書記となり、1974年多くが社会党に参加、党内でロカールと党内反対派、第2左翼形成。自主管理を放棄し、
欧州社会民主主義に提携、同時にCGTとの関係を絶つ。1980年代ミッテラン政権を支持し多くの支持者を失う。
 1990年代社会党からの独立路線をとり、1995年の大ストライキアラン・ジュペが労働組合との交渉なしに年金、社会保障改革発表)の
あとアラン・ジュペの福祉国家改革計画を支持。これで労働者の力FOに代わり使用者と右派政権の主要パートナーとなる。
 2003年、年金改革計画を支持し内部危機を招く。CGTや自主管理組合SUDに移るもの発生。2006年は他の組合と反CPE闘争に参加。
 87万5千の最大組合だが2008年職業選挙で21.8%とCGTの後塵を拝す。

 キリスト労働者フランス連合CFTCは1919年結成。16万で2008年職業選挙で8.7%。

労働総連合CGT
 1895年結成、約70万で2008年職業選挙で34.0%。
 
 1864年オリヴィエ法により1791年のシャペリエ法(団結とストライキ禁止)終焉。国際労働者協会がロンドンで結成される。
 1971年パリ・コミューン。1884年ワルデック・ルソーの労働者と雇用者の組合合法化。
 1892年ゲード派(マルクス支持)の労働組合全国連合FNS結成。同年革命的サンディカリズムのフェルナン・ペルティエ指導の
労働紹介連合結成。
 1895年労働組合全国連合労働紹介連合の合同によりCGT結成、中心は書店連合と鉄道労働者。1900年機関紙人民の声創刊。
 1901年フェルナン・ペルティエ死亡、1902年完全統合、労働紹介連合がCGTの一部となる。メンバー10万を数える。
 革命的サンディカリストのウジーヌ・ゲラールヴィクトル・グリフュエレエミール・プゲルイ・ニエルらが指導者となる。1919年までこれら
アナルコ・サンディカリストが支配。1904年8時間労働要求採択。
 1906年アミアン憲章採択し政治組織からの独立宣言、ゲード派がアナルコ・サンディカリストと改良主義派に対し少数派となる。
 国際労働者協会と衝突。
 1912年70万メンバーを数える。(給与生活者は700万)
 レオン・ジュオー(1909−1947年総書記)が路線転換を開始し、第一次大戦で神聖同盟(戦争協力体制)参加。
 1913年国際労働組合連合参加。

 1919年キリスト労働者フランス連合CFTCが結成される。

 ピエール・モナット神聖同盟に反対し1920年革命的サンディカリスト委員会結成。
 ロシア革命によりSFIOの分裂とともにCGTも分裂、1921年共産主義者とアナーキスト共存の統一労働者全国連合CGTU結成。
 当時約33万。
 アナーキストは1926年ピエール・ベスナールらがスペインのCNTの支援で革命的労働組合全国連合結成、1939年非合法化。
 (1946年労働全国連合として再建、2008年現在4千前後)
 ブノワ・フラション指導のCGTUは人民戦線戦術で1936年CGTと再合同。1937年400万メンバーとなる。
 1939年独ソ協定で共産主義者が追放される。CGTはヴィシー政権により解散させられる。レジスタンスにはいり共産党の影響強まる。

 1944年フランス管理連合ー幹部総連合CFE−CGC結成される。

 1945年世界労働組合連盟参加。
 1947年の共産主義者の政権からの追放と全国ストライキで分裂がおき、1948年レオン・ジュオーがCIAの支援で労働者の力FO結成。
 FOは共産党支配をアミアン憲章に反すると批判。FOはトロツキスト、社会主義者、アナーキストなどからなっていた。当時30万。
 ブノワ・フラションがCGT指導者となる。
 1948年の400万から1958年165万となる。

 1958年共産党などの支配を嫌うグループ(黄色組合、ストライキや雇用者との対決を拒否)が労働フランス連合CFT結成。
 この組織は1968年5月には三色旗とともに労働の自由のためストライキのピケを組織化。1977年自由労働組合連合CSLとなり、
2002年解散し、シトロエンのグループは自動車独立組合SIA、プジョーはFOに参加。

 CGTはフランス労働運動を支配していたが1966年まで孤立、この年からCFDTと協力関係をとる。
 1968年5月ジルジュ・セギポンピドーグルネル協定(賃上げと企業・政策形成への労働者参加)に調印し裏切りと批判される。
 1968年230万となる。
 1970年代左翼連合を支持し、1978年選挙敗北でCFDTとの協力崩壊、CFDTは社会党に近づき、自主管理と階級闘争を放棄し右傾化。
 1982年アンリ・クラスツキが総書記(−1992年)となり、共産主義者の政権離脱でCGTは急進化する。クラスツキは晩期に共産党と距離を
とる。後継のルイ・ヴィアネ(1992−1999年)は1996年に共産党全国執行部を辞任。1990年代ルイ・ヴィアネベルナール・ティボール
共産党との関係を絶つ。
 1995年のアラン・ジュペの福祉国家改革計画反対を主導、2003年フランソワ・フィロンの年金改革計画反対。
 1975年240万から1997年63万となる。
 2005年欧州憲法国民投票で反対。2006年学生のCPE反対運動支持。

 1995年世界労働組合連盟離脱、1999年欧州労働組合連合参加、2006年国際労働組合連合参加。
 
労働者の力FO(CGT−FO)
 1947年CGT内の社会主義者が分裂。1949年結成の国際自由労働組合連合参加。
 これには社会主義者のほかにアナーキスト、トロツキスト(OCIとLO)とドゴール派も含まれていた。
 レオン・ジュオー(1951年ノーベル平和賞受賞)とロベール・ボトゥローは労働運動の多数派を形成できず特に民間で劣勢であった。
 アンドレ・ベルグロン(1963−1989年総書記)は1960年代SFIOとの関係を強化。
 それにもかかわらずアンドレ・ベルグロンは雇用者と右派(ゴール派)政権の主要パートナーとなり、社会保障政策を支配、そのうえ彼は
保守、極左たとえばトロツキストの国際主義共産主義者組織OCIから歓迎された。CGTと共産党への敵意がこれらを結びつけた。
 1970年代FO指導者は社会主義者の共産党との連合戦術に懐疑的でミッテラン時代、FOは唯一独立的様相を示した。
 1984年組合主義がFOに入ってくる、これは1948年以来ほとんど存在していなかったが、FENの労働組合からきた活動家たちが展開してきた。
 これらはジャン・ジャック・マリーのように労働者党PT(旧OCI)に近い労働者単一戦線のための解放学校EE−FUOに所属していた。
 1989年アンドレ・ベルグロンの後継者にマルク・ブロンデル(−2004年)が勝利。マルク・ブロンデルはトロツキストの支持で闘争的路線
をとり、1995年反対闘争でCGTのルイ・ヴィアネと中心を担う。その結果CFDTにより社会保障事務局の支配権を奪われる。
 1998年急進路線反対のパリ組織幹部が独立組合全国連合UNSAに移る。
 2003年ブロンデルは年金改革計画にストライキを要求、2004年ジャン・クロード・マイリがあとを継ぐ。2006年CPE反対運動参加。
 2008年職業選挙で15.8%。

フランス管理連合ー幹部総連合CFE−CGC
 1944年幹部Cadre組合として結成、1981年専門家technicien、管理者agents de maitrise、営業forces de vente、技術者へも門戸を開放し
CFE−CGCとなる。1999年ジャン・リュック・カゼットが転換を行い労働時間短縮などを要求。
 CFE−CGCはCFDT、CFTC、フランス企業運動(雇用者組織)と給与労働者医療保険全国金庫産業・商業雇用職業間全国連合の管理
の多数派で幹部雇用協会給与労働者老齢保障全国基金年金諸組織を事実上支配。

連帯組合連合SUD
 1981年CFE−CGC、CFDT、CFTC、CGT、CGT−FOに参加していない組合が組合代表を送るため、税務統一全国組合SNUI、
食料・農業組合総連合FGSOAやジャーナリスト全国組合SNJなどの10組合が10グループ結成。
 多くは1947年のCGT−FO分裂でどちらかに参加するのを拒否した組合。
 当初は低調で1985年地域レベルの組織強化が始まる。これは特に1986−1987年のフランス鉄道全国協会SNCFのストと結びついていた。
 またフランス銀行や航空士などの組合グループ参加で強化される。

 最初のSUDは1988のCFDT分裂で結成。
 CFDTは山猫ストを支援したパリの衛生、郵便、通信などの組合を追放しこれらはCRC衛生SUD−PTTを結成。
 SUDは非合法移民、失業者など運動と行動する社会運動組合を支持。郵便と通信の成功でCFDTの左派は同様の組合を1995年11月12月、
2003年5月、6月ストのあとに結成。
 
 1989年10グループはSUD−PTTに門戸を開放し拡大。SUD−PTTはもともとは独立派ではなくCFDTのパリ地区の組合であった。
 これらは郵便輸送民営化反対の黄色トラックのストを支援しCFDTから追放され、CFDTの郵便・通信TTP組合がSUD−PTTを結成。
 この時期の組合運動の急速発展は革命的共産主義者同盟LCRの影響にあるとされるが、5万に対し活動家は3千2百程度という指摘がある。
 間もなくCRC衛生も参加。
 1992年労働審判所選挙に参加。
 まず全国的に失業反対運動に乗り出し、その結果1993年一緒に失業反対行動が結成される。
 このような路線化で1993年FGSOAなど3組合がFENとUNSA結成。
 G10は徐々に急進化。
 1995年12月ストでこの傾向はよりはっきり現れCFDTを去りSUD鉄道などが結成され、CFDTだけでなくCGT−FO、CGTからも去り、SUDが
結成された。
 1995年の運動のあと教育SUD、学生SUDが結成され、更に拡大し種々の組合が結成された。
 1998年SUDの増加で連帯組合連合が結成される。当時約6万メンバー。これでG10が連帯G10組合連合に再構築される。
 2001年貯蓄銀行統一組合商工会議所職員独立全国組合の2組合がUNSAに移り8千名減少。
 2004年連帯組合連合と名を変える、このとき創設10組合で残っていたのはSNUI、SNJ、フランス銀行独立全国組合SNABFの3つだけ。
 メンバーは2001年の7万5千(SUD1万5千)から2004年の8万へ。2005年SUDは郵便と通信の25%。

 このグループは欧州社会フォーラムや世界社会フォーラムに参加し、別の国際化運動にも積極的。
 CFDT、CFTC、CFE−CGC、UNSAの改良主義、交渉主義に反対している。
 SUDの活動家の多くが反資本主義新党(旧LCR)のメンバーでもある。

独立組合全国連合UNSA
 1993年FEN、FGSOA、FGAFなど5組合が結成。
 1996年FOのトロツキスト労働者党PT支配を嫌う組合がFOから分裂して参加。
 2003年年金改革反対、2006年CPE反対運動支援。
 2006年公務員独立全国連合FGACが組合への政治影響を批判し離れる。
 2008年CFE−CGCに接近。

統一組合連合FSU
 1993年結成の最初の教員組合かつ国家公務員組合でFENの後継。16万。
 2001年創設組合の1つ、独立行動技術組合全国連合SNETAAが離れる。(2009年FOに合同)
 2003年、年金改革闘争でCFDTから分裂した教員組合でない組合が参加。

全国教育連合FEN
 1930年教育総連合FGEが結成され、1945−2000年は全国教育連合FEN、以降UNSA教育となる。
 1948年からはCGTとFOの分裂で統一を維持するため独立し、独特の役割を果たす。
 1947年のCGT分裂では社会主義者などからなる独立派とアナーキスト系の解放学校派はFO参加拒否、後の統一・と行動派となる
共産主義者に近いグループはCGT参加を主張したがFENから去らなかった。FENは個人のCGTあるいはFO参加を認めた。
 1945年から社会主義者に近い統一独立・民主UID、統一と行動U&A、解放学校EEの3グループが存在し、1968年5月から
解放学校から分裂したOCIに近いグループを結集した労働者単一戦線のための解放学校EE−FUOと自主管理を主張するPSU活動家
を結集した組合革新RSが発生。EE−FUOは1883年大部分FOに参加。RSの一部はCFDTを強化したが1970年代末消滅。
 FENは統一独立・民主に支配されていたが1990年代初めから統一と行動の成長に直面。1992年第2級教育全国組合SNES、
スポーツ・物理教育全国組合SNESが追放される(後にFSU参加)。社会主義者多数派は改良主義組合結集を望み分裂し、
1992年統一組合連合FSU結成。FENは独立組合全国連合UNSAを結成し、2000年にはUNSA教育となる。
 
 職業選挙(労働審判所)結果
組合組織   1987   1992   1997   2002   2008  
CGT 36,35 33,35 33,11 32,13 34,00 
CFDT 23,06 23,81 25,35 25,23 21,81 
CGT-FO 20,50 20,46 20,55 18,28 15,81 
CFTC 8,30 8,58 7,53 9,65 8,69 
CFE-CGC 7,44 6,95 5,93 7,01 8,19 
UNSA
0,14 0,72 4,99 6,25 
連帯
0,45 0,32 1,51 3,82 
CSL 2,30 4,40 4,22
FGSOA 0,21
その他
1,84 1,81 2,27 1,19 1,42 


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