日本のマルクス経済学  宇野派と反宇野派の流れの中で


 [序言]

  戦後、世界でも類をみないほど大学やジャーナリズムで興盛を極めた日本のマルクス経済学。
  特に、考証学(形成史論)では自称、世界最高峰ともいわれ、仏教典、漢文典とともに日本の3大考証学の域に達している
 ように見える。日本のマルクス考証学の、主な御相手はロシアと(東)ドイツであろう。
  しかし、経済学としては、宇野理論が若干、欧米に紹介されている程度で、欧米ではなによりも独創性が重視されるので、
 宇野理論以外の資本論忠実主義はほとんど相手にされない。
  そもそも欧米では資本論を経済理論として読むなどという考えは限られ、日本のように資本論の記述形式、体系性を
 重要視することは少ない。
  米英では近代経済学・主流派経済学からマルクス主義に心情的・倫理的観点から移行する場合が多いので、特にそうである。

  戦後の日本の大学と知識人での共産党とマルクスの権威は非常に高く、学者・知識人の行動と学問に色々な意味で影響を
 与えた。
  しかしながら、マルクス経済学はすでに、1970年代から斜陽が言われ、1990年代の社会主義の崩壊以降、特に厳しい
 状況に置かれている。

  資本論は日本では経済理論として読むという傾向が強いが、一方で、資本論は、種々な哲学的方法で、あるいは革命理論、
 社会理論など様々な読まれ方をされ、この場合、マルクスの膨大な遺稿も利用される。
  教条主義マルクス主義者(マルクス教徒)にとって、マルクスは万能で、すべてのことが引き出し得る’打出の小槌’の
 様相を示していて、マルクスの膨大な遺稿を隅から隅までほじくり返し、マルクス主義エコロジー論者のような、そこまで依存する
 かというような人々までいる。
  教条主義者は学問、イデオロギー、政治実践などが一緒くたで、学問を政治が支配する場合が多い。

  日本のマルクス経済学は、かつて、正統派、市民社会派、宇野派があるといわれたが、これは不正確で、正しくは、経済学
 としては宇野派と反宇野派=正統派の2つが主要なものである。
  この他に数理マルクスなどが言及され、理論体系が異なるが、実用主義的な正統派とは相性がいいようである。
  市民社会派は正統派と未来社会論=社会主義論で区別される歴史哲学派で、資本論の経済理論的解釈では、両派は
 同類で、市民社会派は正統派に埋没し、そもそも経済学分野での活動はまったくといっていいほどなかった。

  学者集団として、宇野派は東大を中心とし、宇野弘蔵という優れた学者の教えと堅固な理論体系で理論的、人間集団的に
 非常にまとまりのいい集団であるが、それだけにかえって他からは強い反発がみられる。
  一方、正統派はイデオロギー、マルクス忠実主義、政治性(共産党支持)、反宇野派の感情などで寄り添った集団で、
 理論的には非常に分散が大きい。
  宇野派には強い拒絶を示すが、近代主義者、リベラル近経などに対してはかえって宥和的で提携もされる。
  正統派は京大を中心とする関西や、一橋大、慶応大、東大などを中心に、極めて強大なグループで、それに対し、宇野派は
 盛時でもせいぜいその1/5(200名程度?)程度(伊藤誠:現代のマルクス経済学)で、市民社会派に至っては
 経済理論活動としての実体がなく、確認できるのは十名未満だったが、レギュラシオン化で増大傾向が見られる。
  平田系市民社会派は、ソ連崩壊でマルクスは古いとして、’市民社会と社会主義’から’市民社会と民主主義’に移行、
 経済理論ではレギュラシオン、制度経済学、社会経済学などを標榜し始めた。
  正統派は関西では、何でも反東大の京大を中心に、教条主義帝国を築き、経済理論的というよりも、政治的、イデオロギー的
 であったが、その点、東京は、宇野派との対抗もあり、一定程度、経済理論性が追求された。
  一橋大は庇護者に純粋なマルクス経済学者でない人が多く、分散も大きいが、京大同様に、感情的観点から宇野派への
 排他性も強く、また、容共近経の支持も強く、都留重人は米国では共産主義者と関係していた。
  東大正統派は宇野派に押され、経済学では戦後第一世代以降は衰退していった様に見える。
  ただし、宇野派は経済学の領域だけであるが、正統派は東大では歴史学、法学などでは強い影響を持った。
  天下のブルジョア大学、慶大も意外なことに、戦後、連綿と正統派のマルクス経済学が継承されている。
  中央大などの私大もマルクス主義経済学は繁栄したが、寄せ集め集団で、まとまりがなく、個人間の対立があった。
  立命館大はほとんど京大の植民地と化していた。

  共産党分裂と構造改革論争で、正統派は特に関西が多様化し、関西の構造改革派くずれは歴史哲学的傾向が強いが、実践に
 距離を置いたり、特に、東京では社会党江田派と接近したり、長洲一二、正村公宏らのようにマルクスから遠ざかった人たちも多い。
  平田系市民社会派もこの流れから出現し、この市民社会派は近代主義者市民社会派(大塚久雄、高島善哉、内田義彦ら)と
 関係し、学者や知識人などのプチブルの心情に適合し、この層にある程度人気がある。

  資本論理解で正統派的理解をとるものに労農派由来の向坂派がいて、このグループは九大を中心に盛時に30名前後を
 数えていて、一時、労働運動と、社会党に強い影響を与えた。
  更に、労農派に起源をもつ教条主義的傾向の強い、久留間鮫造の弟子たちが立教大、法政大などに10名前後いて、
 ’レキシコン’(類聚集)出版に結集し、大谷禎之介など、ソ連崩壊後の考証学にかなりの影響を持った。
  現状分析的には向坂派と宇野派のかなりの人々が提携し(社会主義協会向坂派)、正統派=共産党と強く対立していた。

  このような、日本のマルクス経済学はソ連崩壊後、大きく変化した。
  特に正統派では欧米の流行に飛びついたり、非マルクス経済学との折衷主義的やジャーナリズムの用語・概念採用、
 社会経済学などという名称変更などがはびこり、その大きな理由は大学講座維持のためである。
  マルクス離れも平田系市民社会派などから起きた。
  京大の教条主義(哲学・イデオロギーによる経済学支配)の衰退あるいは旋回は大きく、一方で、一橋大では折衷主義と
 教条主義の強化・イデオロギー強化の両極化が見られる。
  更に、久留間鮫造の後継者を自認する人々が、忠実主義の師を大きく乗り越え、共産党系正統派に変わって、考証学を
 根拠として、経済学で未来社会論を語るなど、教条主義の全面に出てきたかのようでもある。
  正統派(特に京都)は政治的実践に密着し、日本経済の衰退も見られる現状に教条主義への回帰が若干、勢いづけられ
 ているようにみえる。このグループは時代はまるで資本論と称し、現代はますます資本論の世界に接近していると主張する
 一方で、<人間発達の経済学>などと人道主義的な表現も見せている。
 一方では、正統派のかなりの人々は資本論は19世紀イギリスの理論とし、現代の資本論が必要と叫んでいる。

  宇野派も、保守的第1世代(1930年前後生)に対し、第2世代(1950年前後生)、第3世代(1980年前後生)ではかなりの
 変化が見られる。
  基本的に難しい原理論理解を旨とし、師弟関係が重要であるが、宇野派は東大の講座を失い、グループ存亡の危機に陥り
 つつあるようにみえる。
  その点、正統派はイデオロギー・信仰に近い心情が基礎にあり、経済理論的には分散が大きい分、その支持者は絶えず
 自然発生し、多くの大学にいまだ、心情的支持者が広がり根強い。
  このグループの参加者には若者特有の秀才的反抗精神から出発する人々が多く、その意味でも入口は広い。

  しかし、マルクス経済学維持のためには両派は学会維持などで協力せざるを得なくなってきている部分もあるようでもある。

  資本論自体は未完成で、マルクスがとりあえず完成させたのは第1巻だけで、特に第3巻は完成度は低く、またマルクスの
 膨大な草稿類、メモ類があり、ソ連崩壊後に、マルクス主義と社会主義論の救済のため、考証学(形成史)への撤退が
 盛んになった。
  マルクス経済学とマルクス主義が危機に陥ると、考証学(形成史)と未来社会論(市民社会と社会主義、アソシエーション論等)
 が興隆し、資本論から後退していくことが多い。
  革命思想を重視する人々には資本論を後退と考える人が多く、特に、資本論の第1巻と第2、第3巻の間の断絶は大きい。
  第1巻は窮乏化論→階級闘争と、生産力と生産関係の矛盾→資本主義の崩壊の2系列が合わさって革命(収奪者が収奪される)
 が語られるが、第3巻では資本主義のモノと時間の無駄を省く合理性が語られ、ここから労働日の短縮→自由の国という
 未来論に到達する。
  疎外論や実存主義的思考の人、理念的資本主義批判を行う人々は経済学・哲学草稿など初期マルクスを好む。

  わたし自身はまだ、資本論を基礎に考える経済理論体系に魅力を感じるものであるが、学者の様に精緻な議論ができる
 訳はなく、大局的観点から資本論を基礎に資本主義経済を考えてみようと思う。

  日本のマルクス経済学が戦後日本の政治・経済において全く意味がなかったとする人々がいるが、これは間違っている。
  マルクス経済学の厳しい批判に対し、対抗上、日本の資本家・経営者、政治家、官僚が必死に経済成長と農民・労働者の
 取り込みに努力した。これが日本の一時的な経済的成功の一因である。
  経済的繁栄と労働運動、左翼的社会党の崩壊と社会主義の崩壊とがこの努力精神を喪失させ、日本の格差社会化と
 製造業の衰退、ただの金儲け主義を招く一因となった。

  ともかく、日本のマルクス経済学の歴史から、その理論までを私なりに紹介しようと思う。
  資本論の内容はどのようになっているか、正統派はそれをどのように整理し説明しているか、宇野派は資本論を手本に
 どのように資本主義を理解しようとしているか、宇野派と正統派をも参考に、資本主義を見てみると何が見えてくるかという
 ようなことを考えてみたい。
  なお、経済学といいながらも、マルクスの経済学、あるいは日本の正統派のマルクス経済学は思想と不可分であり、従って
 思想まで踏み込みざるを得ない。

 *旧平田市民社会派の八木紀一郎が’日本アカデミズムのなかのマルクス経済学’を書いていて公開されているので
 参照すると面白い。八木が正統派(反宇野派)の痕跡を残しているのと、舶来崇拝なのが解ると思う。
 (考証学派を’日本のマルクス学の水準の高さを示したものと言える’と賛辞する一方で、宇野派を’全体としての指向は
 内向きであったと思われる’などと評している。)

                                                  2022年1月17日

 以下のような内容を考えており、今後、できしだい、順次公開したいと思っている。


 日本のマルクス経済学 目次

 第T部 歴史

 1.戦前編

 1−1 資本論の受容
 1−1−1 日本へのマルクス主義の紹介
 1−1−2 山川均の解説書・翻訳による紹介、高畠素之のカウツキーの資本論解説の翻訳
 1−1−3 1920年代の価値論争と地代論争
 1−1−4 資本論の翻訳
 1−1−5 高畠素之の活動
 1−1−6 河上肇の活動と資本論解釈の進展
 1−1ー7 世界初のマルクス・エンゲルス全集の発行、帝国主義論、金融資本論の翻訳

 1−2 共産党結成から壊滅まで
 1−2−1 前史
 1−2−2 共産党結成から崩壊まで
 1−2−3 共産党再建から壊滅まで
 1−2−4 古参派と新参派の差異
 1−2−5 福本イズムと弁証法と唯物史観(史的唯物論)主義哲学傾向

 1−3 日本資本主義論争 講座派と労農派
 1−3−1 日本経済史の先駆
 1−3−2 27年テーゼを巡る論争
 1−3−3 32年テーゼを巡る論争
 1−3−4 論争の総括 講座派と労農派の特徴

 1−4 戦前の京大と一橋(商科)大のマルクス経済学
 1−4−1 河上肇 感情と学問
 1−4−2 京大と哲学
 1−4−3 戦前の京大のマルクス経済学
 1−4−4 戦前の一橋のマルクス経済学

 1−5 戦中のマルクス経済学者たち
 1−5−1 略史
 1−5−2 東大経済学部と労農派系学者
 1−5−3 大原社会問題研究所、東亜研究所、満鉄調査部
 1−5−4 東北大時代の宇野弘蔵
 1−5−5 戦中の山川均、向坂逸郎と共産主義者
 1−5−6 戦前のマルクス経済学の到達点

 2.戦後編

 2−1 講座派の再出発と再編
 2−1−1 政治と学問 戦後の日本資本主義論争と講座派解体
 2−1−2 共産党における日本帝国主義従属・自立論争
 2−1−3 講座派同伴者の近代主義者
 2−1−4 戦後初期のマルクス主義系雑誌
 2−1−5 戦後マルクス経済学の興隆
 2−1−6 正統派の戦後マルクス経済学の始まり
 2−1−7 社会主義経済論への傾斜
 2−1−8 マルクス経済学陣営における論争の転回

 2−2 東京と九大の正統派の形成
 2−2−1 正統派の分類
 2−2−2 東京のマルクス経済学の特徴
 2−2−3 東大系
 2−2−4 一橋大系
 2−2−5 慶大系
 2−2−6 九大系
 2−2−7 横浜国大、旧高専系
 2−2−8 早大
 2−2−9 中央大、立教大、法政大などの私大

 2−3 関西のマルクス経済学とその周辺
 2−3−1 関西のマルクス主義の特徴
 2−3−2 京大のマルクス主義経済学
 2−3−3 見田石介とその周辺(見田派)の特徴
 2−3−4 大阪市大のマルクス主義
 2−3−5 東京からの新風(佐藤金三郎、平田清明)
 2−3−6 京大の非正統派経済理論
 2−3−7 関西の歴史哲学、社会哲学的傾向

 2−4 労農派の再出発と分解
 2−4−1 戦後労農派の出発
 2−4−2 東大の大内兵衛グループと東大経済学部の抗争
 2−4−3 九大向坂派形成
 2−4−4 久留間鮫造の学風
 2−4−5 高野実と清水慎三、労農党

 2−5 宇野派の形成
 2−5−1 宇野理論の形成
 2−5−2 宇野派の形成
 2−5−3 宇野派の世代と北大、東北大、筑波大の宇野派
 2−5−4 世界資本主義派の形成
 2−5−5 中野、竹内、玉野井らの転身
 2−5−6 宇野理論と哲学との関係
 2−5−7 正統派による宇野派批判

 2−6 共産党の分裂と構造改革派発生
 2−6−1 日本共産党改革グループの発生
 2−6−2 現代の理論派
 2−6−3 構造改革騒動の余波

 2−7 マルクス派市民社会論と経済学批判要綱
 2−7−1 多様な市民社会派
 2−7−2 2つの社会主義ないし未来社会論
 2−7−3 平田清明派と望月清司の関係
 2−7−4 マルクス派市民社会派の形成
 2−7−5 要綱派と社会理論派
 2−7−6 言葉のアヴァンギャルド達

 2−8 マルクス経済学と数学的手法
 2−8−1 資本論の批判と数学的手法
 2−8−2 日本におけるマルクス経済学と近代経済学 柴田敬と杉本栄一
 2−8−3 森嶋通夫と置塩信雄
 2−8−4 高須賀義博、正統派系など


 3. 社会主義崩壊以前の到達点

 3−1 日本のマルクス経済学の俯瞰
 3−1−1 佐藤金三郎の説明
 3−1−2 高須賀義博の説明
 3−1−3 山口重克の説明
 3−1−4 八木紀一郎の説明
 3−1−5 林喜代三の説明
 3−1−6 ジャーナリズムの評
 3−1−7 その他の説明
 3−1ー8 学問と実践
 3−1−9 欧米から見た日本のマルクス経済学
 3−1−10 ソ連崩壊以前の日本のマルクス経済学の関係
 3−1−11 権威と欧米流行を追い求めた日本のマルクス主義

 3−2 正統派の理論
 3−2−1 正統派の性格と方法論
 3−2−2 多様な原論構造
 3−2−3 共時理論と通史分析
 3−2−4 世界経済論

 3−3 宇野弘蔵後の宇野派
 3−3−1 宇野理論の体系
 3−3−2 原理論の構造
 3−3−3 段階論、部分理論と現状分析
 3−3−4 海外への宇野理論の紹介

 3−4 異端派経済学とネオ・マルキシアン
 3−4−1 新古典派経済学と異端派経済学
 3−4−2 ポスト・ケインジアン、ネオ・リカーディアン
 3−4−3 種々な制度経済学
 3−4−4 内生的貨幣理論、貨幣的アプローチと貨幣サーキット理論
 3−4−5 ネオ・マルキシアン
 3−4−6 レギュラシオン理論と社会的蓄積構造または蓄積の社会的構造理論SSA
 3−4−7 分析的マルクス主義
 3−4−8 経済人類学とフェミニスト経済学
 3−4−9 日本人の舶来志向

 3−5 南北問題から世界システム論
 3−5−1 現代帝国主義論と新植民地主義論
 (1) ソ連崩壊以前の現代帝国主義論
 (2) ソ連崩壊後の現代帝国主義論
 (3) 新植民地主義論と軍事依存経済論、政治の問題
 3−5−2 第三世界論と非同盟主義
 (1) 第三世界論
 (2) 民族解放運動と非資本主義的発展の道=社会主義
 (3) 非同盟運動
 3−5−3 南北問題から南南問題、新興工業国
 3−5−4 低開発と開発理論
 3−5−5 構造主義、従属理論、接合理論
 3−5−6 世界システム論と国際政治経済学


 4. 社会主義崩壊後

 4−1 正統派の分解、分散
 4−1−1 社会主義崩壊の衝撃
 4−1−2 考証学(形成史論)への撤退
 4−1−3 社会主義移行論から未来社会論へ
 4−1−4 マルクス万能論による人類史的、地球論的問題・話題化、エコロジー論へ
 4−1−5 教条主義回帰
 4−1ー6 反経済主義
 4−1−7 新しい資本主義論、下向上向のし直し、豊富化
 4−1−8 外国流行への依存と折衷化
 4−1−9 看板替え 社会経済学、政治経済学

 4−2 正統派の活動
 4−2−1 出版活動、新MEGA編集、各種研究会、京都の基礎研の活動
 4−2−2 ソ連崩壊後の正統派のグループ毎の様子
 4−2−3 原理論の見直し、看板替え
 4−2−4 資本主義の歴史理論の見直し
 4−2−5 現代資本主義論
 4−2−6 社会主義論、未来社会論

 4−3 宇野派の活動
 4−3−1 出版活動、「宇野理論を現代にどう活かすか」、SGCIMの活動
 4−3−2 原理論の見直し
 4−3−3 段階論の見直し
 4−3−4 未来社会論、経済学を越えて

 4−4 戦後日本のマルクス評価の盛衰
 4−4−1 概要
 4−4−2 資本論出版100年(1969年)・マルクス生誕150年(1968年)
 4−4−3 マルクス死後100年(1983年)
 4−4−4 共産党宣言150周年
 4−4−5 マルクス生誕200年(2018年)・資本論出版150年(2019年)

 4−5 マルクス経済学者またはマルクス主義学者の主要大学での存在状況(2023年)


 第U部 方法・理論編

 1.資本論の理解

 1−1 資本論の成立
 1−1−1 マルクスの思想の変遷
 1−1−2 資本論への道

 1−2 資本論の解釈
 1−2−1 資本論の構造と読み方
 1−2−2 解釈における後退的方法と前進的方法
 1−2−3 マルクスの歴史観、革命論と未来社会論


 2 経済学体系と原理論

 2−1 経済学の考え方
 2−1−1 経済学の性格
 2−1−2 古典派と新古典派と資本論
 2−1−3 戦前の日本の非マルクス経済学
 2−1−4 社会経済学あるいは政治経済学
 2−1−5 社会科学と唯物論
 2−1−6 理論と実践、科学とイデオロギー 峻別と統一

 2−2 資本論の理論的性格
 2−2−1 資本論と哲学
 2−2−2 マルクス主義と資本論
 2−2−3 マルクス万能論

 2−3 資本論と経済原論
 2−3−1 マルクスのプラン問題と経済学体系
 2−3−2 資本論と経済原論

 2−4 国民経済と世界経済
 2−4−1 国家と世界市場−プラン後半
 2−4−2 大塚経済史と宇野経済学
 2−4−3 世界経済論

 2−5 正統派系の経済原論ないしマルクス経済学
 2−5−1 戦後初期
 2−5−2 講座シリーズ
 2−5−3 正統派の諸グループ
 2−5−4 正統派系個人
 2−5−5 ソ連崩壊後

 2−6 折衷主義、現代化傾向

 2−6 宇野派の経済原論


 2−7 欧米の資本論の読み方



 3 資本主義変化の通史的分析あるいは段階論

 3−1 経済発展段階論
 3−1−1  旧歴史学派
 3−1−2  マルクスの唯物史観、広義の経済学
 3−1−3  その他の経済発展段階論

 3−2 マルクス以降の資本主義変化認識
 3−2−1 レーニンまで
 3−2−2 日本のマルクス経済学とレーニン
 3−2−3 長期波動理論

 3−3 宇野段階論と戦後
 3−3−1 延長論、修正論
 3−3−2 乱立する新段階論
 3−3−3 原理論と段階論の中間理論
 3−3−4 方法論の整理

 3−4 正統派系の段階論
 3−4−1 羅列と重層理論(共時理論)
 3−4−2 帝国主義と危機理論型
 3−4−3 通史と時代区分


 4 現代資本主義論

 4−1 戦後資本主義論
 4−1−1 新しい社会 クロスランド、ストレイチー、カー
 4−1−2 現代帝国主義論
 4−1−3 国家独占資本主義論
 4−1−4 福祉国家論
 4−1−5 20世紀資本主義

 4−2 戦後資本主義の変容
 4−2−1 多国籍企業
 4−2−2 新自由主義論
 4−2−3 グローバル資本主義論
 4−2−4 新金融資本主義論
 4−2−5 ポスト(脱)工業社会論


 5 歴史観と未来社会論

 5−1 経済と歴史観
 5−1−1 種々の歴史観
 5−1−2 歴史変化の内因説と外因説
 5−1−3 体制移行形式論

 5−2 社会主義論と未来社会論
 5−2−1 マルクスの革命論
 5−2−2 社会主義革命論から未来社会論へ
 5−2−3 アソシエーション派とコミュニタリアン派、株式会社論

 5−3 日本でのマルクスとエコロジー論及び農業論、自然代謝論
 5−3−1 玉野井芳郎とエコロジー、広義の経済学
 5−3−2 日本のマルクス派農業論と自然代謝論
 5−3−3 日本のマルクス派エコロジー論


第V部 自由に考える

1 資本論と宇野理論

1−1 資本論と宇野原理論の問題点

1−2 段階論ないし中間理論の問題

2 宇野理論から政治学を考える

2−1 政治学体系と政治学原論の考え方

 学としての政治学の確立を目指す。
 学問的立場とジャーナリズ、政治実践的立場の峻別。

 体系と原理論の欠如した現在の政治学を体系化し、その軸となる原理論の確立。
 そのためにマルクス経済学の宇野理論に範をとる。
 ただし、宇野理論は原理論から段階論への移行理論(中間理論)が欠如しているので修正が必要。
 また段階論と現状分析の内容も不明確。

政治学体系案
 政治学原論=純粋立憲政治論
 現実の政治論(比較体制論:非立憲政治、非立憲政治的要素、政治腐敗の存在)
 国際政治論(国家と国家の関係)

 世界政治史(前近代の政治史)
  一般理論
  具体的・実証的分析

 立憲主義政治史(発展)の一般理論
  人権、制度・政治機構、市民社会装置の発展
  階級間競争、主導権競争(地主、資本家、旧中間層、労働者階級、新中間層)の展開
  ・・・・
  *部分理論 特定の時代、特定の視点
 世界政治史の具体的実証的分析(国家と国家の関係、覇権構造と比較体制論)
  基軸国、対抗国、周辺国の関係がそれぞれの国の政治体制や政策にどのような影響をもたらしたか。
 一国政治史の具体的実証的分析
  世界政治史の中での当該国の政治的発展

 現状分析 分析者の生きている時代
  現代政治の一般理論
   基本的・総体的視点
   特定の視点
  現代世界政治の具体的・実証的分析
   基本的・総体的視点
   特定の視点
  現代一国政治の具体的・実証的分析
   基本的・総体的視点
   特定の視点

 政治事件史は歴史学へ、権力抗争のような現実政治の具体的語りはジャーナリズムに任せる。


2−2 政治学原理の構造の構想

 経済原論に倣った3部構造
  国民国家論(個人、集団・社会、国家)、立憲政治論(人権、統治機構、権力抑制)、機構論(制度的、精神的、政治参加)
 問題は原理の世界像をどのようにして築くかである。
  資本論では19世紀イギリスであったが、政治学原論では階級競争の成立(政党政治と利益集団)と社会権の確立が指標。
 集団では部分集団(利益集団)と全体集団(一体性集団、包摂集団−信仰、民族、伝統的共同体)の立憲主義に与える影響。
 権力抑制機構では古典的3権分立に代わる新しい権力抑制機構。

2−3 立憲主義政治史(発展)の一般理論

 人権と政治機構、市民装置(政治活動組織、マスメディア、利益集団、学者・学問等)の発展とその裏付けとなる政治現象
 (労働者階級の形成、階級間競争、労働者階級の衰退と新中間層の発展)


2−4 世界政治史の具体的実証的分析

  国家と国家の関係、覇権構造と比較体制論
  基軸国、対抗国、周辺国の関係がそれぞれの国の政治体制や政策にどのような影響をもたらしたか。


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