<<トロツキズム−トロツキストの国際運動>>
第2次世界大戦前のトロツキズム
⇒
詳しくはこちら
〔第2次世界大戦後の主な
トロツキスト国際組織
〕
SE
国際組織
リスト
○
再統一第4インターナショナル
USFI
International Viewpoint
⇒
国際組織系統図
<
起源
>
第4インターナショナル
は1938年トロツキーらがフランスで結成。1939年、第2次世界大戦勃発で国際書記局はニューヨーク
に移る。米国社会主義労働者党
SWP
のトロツキー支持派と
シャハトマン
(1904−1972年)、
バーナム
、
マルティン・アバーン
らが
対立しやがて
労働者党
結成。国際書記局は米国
SWP
の影響下にはいる。フランスから来た
ジーン・ヴァン・ハイエンノート
が
1940年書記となるが
SWP
多数派と衝突し辞任。トロツキーは1940年、メキシコで暗殺される。
ジーン・ヴァン・ハイエンノート
は1932年フランス共産主義者同盟に参加し、1932−1939年までトロツキーの個人秘書を勤めていた。
1942年からSWPでヨーロッパの戦後について革命がおこるとする多数派とこれに批判的な
アルバート・ゴールドマン
、
フェリックス・モロー
らと論争が始まる。
アルバート・ゴールドマン
は後、労働者党から社会党へ、
フェリックス・モロー
は右傾化。
1944年ヨーロッパ協議会で
ミカリス・ラプティス
(偽名パブロ、元はギリシャ人、1911−1996年)がヨーロッパ書記となる。
協議会では戦後ヨーロッパ革命の波が来ると結論。
当時はSWPも同様の見解を取り、英国革命的共産党
RCP
はこれに不同意、フランスの
国際主義共産党
PCIの
イヴァン・クレポ
(1911−2001年)も同様の立場で
イヴァン・クレポ
(後、統一社会党PSU参加)らは1948年PCIから追放される。
<戦後の出発>
1946年国際会議は主にヨーロッパから参加、
ミッシェル・パブロ
(ラプティス)らが国際書記局を再建、
エルネスト・マンデル
が大きな役割を果たす。
彼らは英国RCP反対派の
ゲリー・ヒーリー
、フランスPCIの新指導者反対派の
ピエール・フランク
(1948年
パブロ
、
マンデル
指導部
に加わる、1905−1984年)、
マルセル・ブレイブトル
(1952年PCIで
ピエール・ランベール
と
パブロ
少数派と分裂、1918−2001年)を支援。
1948年第2回世界会議には22支部から代表参加。
この会議にはボリヴィアの
革命的労働者党
や
ランカ・サマ・サマジャ
党などが世界の広範囲から参加するが、以前は大きかったヴェトナムの
トロツキストはほとんど消滅。
会議後国際書記局はチトーと関係をもつ、英国革命的共産党
RCP
の
ジョック・ハストン
(1913−1986年)と
テド・グラント
がこれを批判。
(RCPは加入戦術問題で1947年これに反対の
ジョック・ハストン
と賛成の
ゲリー・ヒーリー
(1913−1989年)に分裂、
ヒーリー
は
労働党に加入し
クラブ
結成、残ったRCPメーーバーも1950年解散し労働党加入、トニー・クリフとテド・グランドのグループは追放され、
グランドは独自に労働党に加入し1956年
革命的社会主義者同盟
RSL結成しISFI支部となり、やがて
ミリタント
結成。クリフのグループは
多くは1951年トロツキズムからはなれる。クラブは1959年社会主義労働同盟SLL、1973年労働者革命党WRPとなる。)
ナタリア・セドヴァ
はソ連=国家資本主義説をとり第4インターナショナルから離れた。
<分裂> ⇒
分裂・合流系統図
1951年第3回国際会議でパブロが加入戦術を提案。
彼らは近い将来の国際内戦を予測、帝国主義に対し労働者世界を守ることができるのは共産党、社会民主党と考えた。
1953年PCI多数派の
ピエール・ランベール
(1920−2008年)、
マルセル・ブレイブトル
はこの路線に反対、インター指導部がPCIに
介入しPCI分裂。
英国の少数派
ジョン・ローレンス
、米国少数派
バート・コクラン
(
ハリー・ブレイヴァーマン
と1954年
社会主義者連合
結成、1913−
1984年)は加入戦術支持。
反
パブロ
派の米国
SWP
(
ジェームズ・キャノン
(1890−1974年))、英国
クラブ
の
ゲリー・ヒーリー
、
国際主義共産党
の
ピエール・ランベール
、アルゼンチンの
ナウエル・モレノ
(1924−1987年)などが
国際委員会
ICFI結成。残留グループは
国際書記局
ISFIと呼ばれる。
1954年共産主義者党と民族主義者党への加入推進で英国の
ジョン・ローレンス
(後、一時CPGB参加)、フランスの
ミッシェル・メストル
(PCF参加)、カナダの
ムレー・ドーソン
(
協同連邦党
参加、1915−2002年)らが去る。
1957年第5回会議でマンデルとフランクが
アルジェリア革命
を支持。1961年会議では
キューバ革命
支持、ランカ・サマ・サマジャ党が
ブルジョア民族主義者政党支持で批判される。
1961年ISFIのアルゼンチン人
フアン・ポサダス
(
ポサダス派
、1912−1981年)が反植民地革命優先でパブロ派と一致。
しかし
ポサダス
(第3世界革命論)は毛派傾斜でパブロはフルシチョフとチトーに近かった。
<
再統一
>
1962年
国際書記局
ISFIと
国際委員会
ICFI統合へ動く、パブロとポサダスは反対、
ポサダス
派はISFIから分裂、
ポサダス派第4インター
結成。
統合はマンデルとSWPの
ジョセフ・ハンセン
(1910−1979年)の考えの接近の負うところが大きい。
フランスの
国際主義共産党
PCIと英国の
社会主義労働同盟
SLLは統合に参加せずそれぞれのICFI指導部を保持。
ICFIも1963年までにフランスの
国際主義共産党
PCI(
ピエール・ランベール
ら)と英国の
社会主義労働同盟
SLL
(
ゲリー・ヒーリー
)がキューバ問題で分裂、これらはトロツキスト国際協議会としてICFIで行動。
SWPの
ティム・ウォールフォース
(1933年−)と
ジェームズ・ロバートソン
(1928年−)も同様意見(キューバ革命に否定的)
で
革命傾向
形成。
ロバートソン
は1962年SWPから離れる。
ウォールフォース
も1964年追放される。
1963年
再統一第4インターナショナル
USFI結成。
1963年統合会議で
ランベール
派(国際共産主義者組織)・
ヒーリー
派(
社会主義労働者同盟
)、
ポサダス
派以外が合同、
エルネスト・マンデル
、
ピエール・フランク
、
リヴィオ・マイタン
(1923−2004年)、
ジョセフ・ハンセン
(米国
SWP
)らの指導部選出。
パブロ
は統一の障害として疎外され組織の外へ、パブロは1965年
国際革命的マルクス主義傾向
結成。
1964年
ウォールフォース
と
ロバートソン
衝突、
ロバートソン
がスパルタクス主義者同盟形成。
ウォールフォース
はICFIを支持し、
1966年
労働者同盟
結成。
ランカ・サマ・サマジャ党が追放される。
1965年第8回会議後、英国の
ミリタント傾向
(テド・グラント、革命的社会主義者同盟)が去る。
テド・グラント派は1974年、
労働者インターナショナル委員会
結成。
1960年代インターは拡大。1969年9回国際会議には30カ国から100の代表が参加。
1964年、
モレノ
派の参加でラテン・アメリカに大きく拡大。
1969−1976年はラテンアメリカその他のゲリラ戦戦術に関して抗争が起こった。
ICFIとUSFIの統合の試みは1963年から続けられた。
1971年
ランベール
(フランス
OCI
)がICFIから離れ1972年アイルランド
LWR
などと
第4インターナショナル再建組織委員会
OCRFI結成。
ランベール
派(OCRFI)との統合は1970年代末までに失敗。
1973年
ランベール
派と同一行動をとったハンガリー人の
ミッシェル・ヴァルガ
が
第4インターナショナル再建国際同盟
結成。
1984年
ヴァルガ
は国際同盟から追放される。
1963年
アラン・クリヴィーヌ
(1941年−)と
ピエール・フランク
は
共産主義者同盟
LC結成、1974年に
革命的共産主義者同盟
LCR
となり、これはUSFIに参加していた。
1974年会議では米国
SWP
が
レーニン主義・トロツキズム傾向
を形成しゲリラ戦を支持、僅差の少数派はラテン・アメリカでの
ゲリラ戦の一般化に反対。
1979年会議は48カ国200代表参加。ニクァラガ革命が議論となりFSLN支持でモレノ派分裂。
1979年英国の
アラン・ソーネット
(1937年−)の
労働者社会主義同盟
(ヒーリーの旧SLLの
労働者革命党
WRPから1974年分裂)
が
トロツキスト・インターナショナル連絡委員会
結成。1984年解散。
これらの残党は1992年
国際トロツキスト反対派
形成、2004年他のグループと
第4インターナショナル再建調整委員会
形成。
1981年
ポサダス
の死亡で
ポサダス派
は崩壊。
1981年
第4インターナショナル再建組織委員会
、
ナウエル・モレノ
のボルシェヴィキ・グループ、レーニン・トロツキー傾向
(
ダニエル・グリュックスタイン
や
LCR
の一部)が
第4インターナショナル再建同格委員会
結成。
1982年モレノ派とランベール派が分裂、ランベール派は
第4インターナショナル再建国際センター
結成。モレノ派は
国際労働者同盟
結成。
旧
ヒーリー
派のICFIは1976年から合流が試みられ、英国の
労働者社会主義者同盟
(ソーネット)とオーストラリアの社会主義者同盟が
1987年までに合流。
フランス
LO
との話し合いも続けられている。LOは
国際共産主義者連合
に参加。
1995年
第4インターナショナル再建国際同盟
が
国際労働者同盟
から分裂した革命的国際潮流と合流し
国際労働者統一
結成。
パブロ派(
国際革命的マルクス主義傾向
)は1995年まで合流。
パブロは1996年、マンデルは1995年に死亡。
1980年代米国
SWP
は永続革命論を拒否しUSFIから追放され各国のSWP支持グループは共産主義者同盟を名乗り
開拓者傾向
となる。
開拓者傾向
はキューバと
FSLN
連帯の立場。
1986年
オーストラリアSWP
(1972年結成)が離れトロツキズム放棄。
1987年英国で
国際主義者グループ
と
社会主義者グループ
(
アラン・ソーネット
)が合同し
国際社会主義者グループ
結成しUSFI参加。
1991年英国の
国際社会主義グループ
とフランスの
革命的共産主義者同盟
が対案提出。
(帝国主義の危機は加速され始めた、100中6支持)
ソ連崩壊後の1995年の14回会議には34カ国から150人参加。英国の
国際社会主義者グループ
と米国の
社会主義行動
が
少数派形成。
2003年は35カ国、200代表。
2008年エコ社会主義者組織と自己規定。
主なメンバー組織
オーストリア
社会主義選択
(1972年結成)、ベルギー
社会主義労働者党・革命的共産主義者同盟
、カナダ
第4インターグループ
(
IS
内から1996年結成)、ケベック
社会主義左翼
(1983年
RLW
から結成)、デンマーク
社会主義労働者党
(1980年結成)、
フランス
LCR
、ドイツ・
国際社会主義左翼
・
革命的社会主義者同盟
(1994年
VsP
から分裂)、英国
国際社会主義者グループ
、
ギリシャ・
スパルタクス共産主義国際主義者組織
、アイルランド・
社会主義民主
、イタリア
赤旗連合
、オランダ
社会主義選択政治
(1972年
PSP
から分裂)、
ノルウェー
国際主義者同盟
(1999年結成)、ポルトガル・
革命的社会党
(1978年結成)、スペイン・
選択空間(反資本主義左翼)
(1995年
LCR
から結成)、スウェーデン
社会党
(1971年統合で結成)、米国
第4インターグループ
(1985年SWPから追放、
連帯
内分派)など。
主なシンパ組織
オーストラリア
社会主義民主
(1985年
SWP
から分裂)、カナダ
社会主義者行動
(1998年旧
RWL
メンバー結成)、
米国
社会主義者行動
(1983年旧SWPメンバー結成)。
オブザーバー
カナダ
新社会主義者グループ
(1996年
IS
から結成)、デンマーク
赤緑連合
(1989年合同結成)、ドイツ
連帯展望協会
(1986年
統合)、イタリア
批判左翼
、ノルウェー
赤選挙連合
、米国
連帯
(1986年合同結成)など。
分裂・合流
1953年:
国際書記局
派ISFIと
国際委員会
派ICFIに分裂。
1962年;ポサダス派分裂。
1963年:
国際書記局
派ISFIと
国際委員会
派ICFIの米国SWP(ハンセン)などが統合、再統一第4インターナショナル生成。
1964年:
モレノ
派参加。
1965年:
国際革命的マルクス主義傾向
(パブロ派)が再統一第4インターナショナルから分裂。
英国の
ミリタント傾向
(
テド・グラン
ト、革命的社会主義者同盟)が去る。
1974年:テド・グラント派が
労働者インターナショナル委員会
結成。
1978年:労働者革命党WRPから分裂した
労働者社会主義同盟
(ソーネット)がUSFIに参加。
1979年:モレノ派分裂。
1984年:革命的共産主義者インターナショナル運動(後の
第5インターナショナル同盟
)が結成される。
1986年:
オーストラリアSWP
(1972年結成)が離れトロツキズム放棄。
1987年:
国際委員会
派ICFIの旧ヒーリー派(英国の
労働者社会主義者同盟
など)が再統一第4インターナショナル合流。
(旧ヒーリー派などが合流した英国の
国際社会主義者グループ
が参加する。)
1990年:米国SWPが追放され共産主義者同盟を名乗り
開拓者傾向
となる。
1995年:パブロ派合流。
○
第4インターナショナル国際委員会
ICFI ⇒
系統図
1953年、
ミッシェル・パブロ
、
エルネスト・マンデル
の国際書記局と不満な米国の社会主義労働者党
SWP
、イギリスの
ゲリー・ヒーリー
、フランスの国際主義共産党
PCI
の
ピエール・ランベール
らはパブロ派を修正主義(加入戦術、歪められた
労働者国家の認容など)として非難しICFI結成。
SWPはマッカーシズムなどで国際協力が困難になり、1958年第1回会議もオブザーバー参加。
アルジェリア独立戦争、キューバ革命などでSWPはISFIと意見が一致しISFIに接近。
一方ISFI内でパブロが影響力を失い、統合の障害が除かれる。
1962年ICFIとISFIは両組織の国際会議組織のための同格委員会を結成。
1963年SWPとオーストリア、カナダ、中国(香港か)、ニュージーランドの小さなICFI支部がISFIとの統合に合意し
統一書記局結成。
これはSWPの
革命傾向
(
ティム・ウォルフォース
(1966年労働者同盟結成)、
ジェームズ・ロバートソン
)、英国の
社会主義労働者同盟
SLL(
ゲリー・ヒーリー
)、フランスのPCIに反対される。
1966年国際協議会には社会主義労働者同盟SLL、ランベール派PCI、1964年参加のルカス・カルリアフティスのギリシャ組織
労働者前衛が参加。ミッシェル・ヴァルガ(PCIメンバー)が亡命ハンガリー革命的社会主義者同盟を代表。
米国からは
ティム・ウォルフォース
と
ジェームズ・ロバートソン
の2つのグループが参加。この会議の結果
ジェームズ・ロバートソン
のスパルタクス主義傾向が分裂。
この会議ではまたSLLとPCIの間に亀裂が発生。PCIは国際主義共産主義組織OCIと名を変え穏健化の方向を示す。
1960年代末まですべての極左傾向は拡大成長し、国際交流も容易となった。
ティム・ウォルフォース
らは1964年SWPから追放されICFI支持グループは1966年
労働者同盟
結成。
ティム・ウォルフォース
はパートナーのCIAスパイ問題で1974年
労働者同盟
から離れSWPに戻る。
SLLとOCIはそれぞれの方法で他国のグループを取り込んでいた。
OCIはボリヴィアPOR、ハンガリー人の
ミッシェル・ヴァルガ
、ドイツ社会主義労働者同盟BSA、アルゼンチン労働者の力など
を引き入れた。
SLLはアイルランドの労働者共和国同盟
LRW
(1968年結成)から
革命的マルクス主義者グループ
を1972年に、セイロンの
革命的共産主義者同盟
(
サマ・サマジャ党革命
から1968年結成)、米国の
労働者同盟
などをICFIに引き入れた。
1971年国際主義共産主義組織OCIとICFI周囲のその支持者が
第4インターナショナル再建組織委員会
OCRFI結成。
これは1979年ナウエル・モレノと融合。
OCIはICFIをSLLの範囲を出ない小宗派と批判、OCRFIはICFIを凌駕。
1972年4回国際会議には8ヶ国から代表参加。
1974年SLLは
労働者革命党
WRPと名称変更、アイルランド、ギリシャ、ドイツ、スペイン、オーストラリア、米国、セイロン、
ペルーのグループとICFI構成。
1970年代末まで1960−1970年代の革命的反乱は衰退しICFIのメンバーは低下。
1971年のICFIの分裂でSLLにも分裂が発生、1974年にはランベール派支持のブルティン・グループ結成されOCRFI参加、一方、
アラン・ソーネット
の
労働者社会主義同盟
WSLが結成される。
SLLのOCI支持グループは1979年
社会主義者労働者グループ
SLGを結成し、
第4インターナショナル再建同格委員会
参加。
ランベール派の内部分裂で1987年SLGの指導部の多くが
再建国際センター
FI−ICRの
ルイス・ファヴル
、
カミロ・ゴンザレス
らの
グループ側につく。
労働者革命党
WRPの指導者は発展途上国の民族主義指導者と機会主義的的同盟に入った。
これはICFIに混乱を起こした。WRPは英国で著名人物(著名女優
ヴァネッサ・レドグラヴ
など)を獲得したが全体としてICFIに
反し独自路線を行った。
WRPは1980年代中期組織内衝突を起こし不統一となり各グループがそれぞれのICFIを主張。
1985年
労働者革命党
WRPのサダム・フセインやマハトマ・ガンジーなどのブルジョア政権やCPGPのスターリン主義者
ゴードン・マクレンナン
支持でICFIが分裂。
ヒーリーと
ヴァネッサ・レドグラヴ
らの追放騒動がおこり、ニュースライン(ヒーリー)と
クリフ・スローター
の労働者出版に分裂。
1986年、ヒーリーとノースの衝突でヒーリー派のWRP(ニュース・ライン)が分裂、
デイヴィド・ノース
のICFI支持派はWRPを離れ
国際共産党を結成、これは1996年
社会主義平等党
SEPとなる。ヒーリー派は1986年はニュースライン(トレランス派)を追放し、
更に分裂しヒーリーらは1987年
マルクス主義党
結成。
スローター派も分裂に苦しみ一部は分裂後すぐに再分裂しモレノの
国際労働者同盟
に参加。
スローター派は1990年
第4インターナショナル再建労働者インターナショナル
結成。
1995年ICFI加盟の諸政党は
社会主義平等党
を名乗る。
2006年には2つの活動的ICFIが生き残った、即ち、米国の
デイヴィド・ノース
の
労働者同盟
(1995年
社会主義平等党
)と
英国の
WRP
を名乗るグループ。
現在のメンバーは
オーストリア
(1972年社会主義者労働者同盟として結成)、カナダ、
ドイツ
(1971年社会主義者労働者同盟
として結成)、スリランカ、
英国
(1986年WRPから去り、1996年に改名)、
米国
の社会主義平等党。
分裂
1953年:第4インターナショナルが
国際書記局
派ISFIと
国際委員会
派ICFIに分裂。
1963年:米国SWP(ハンセン)らがUSFIへ合流。
1966年:スパルタクス主義者傾向(
ティム・ウォルフォース
)が追放される。
1972年:
第4インターナショナル再建組織委員会
(ランベール派)OCRFI分裂。
1978年:
労働者社会主義同盟
がUSFIに参加。
1979年:SLLのOCI支持グループが
社会主義者労働者グループ
SLGを結成し、
第4インターナショナル再建同格委員会
参加。
1986年:英国WRPがヒーリー派とスローター派に分裂、スローター派は1990年
第4インターナショナル再建労働者インターナショナル
結成。 ヒーリーとノースの衝突でヒーリー派もノース支持の国際共産党(後の
社会主義平等党
)が分裂。
○
労働者インターナショナル委員会
CWI
HP
1974年、英国労働党で加入戦術をとる
テド・グラント
(1913−2006年)らの
ミリタント傾向
グループが結成。
ミリタント・グループ
はすでに1935年に
労働党
加入グループによって結成されている。(
テド・グラント
、
ジョック・ハストン
、
ゲリー・ヒーリー
ら)、1945年
テド・グラント
、
ジョック・ハストン
は西欧の経済展望で
ジェームズ・キャノン
の米国
SWP
と対立。
テド・グラント
らは1950年RCPから追放され1952年頃独自に労働党加入。
1964年雑誌ミリタント発行、1965年
再統一第4インターナショナル
から離脱。
1983年に幹部が労働党から追放され、1991年に最終的に労働党を放棄(公然転換)。
1992年CWI(
ピーター・ターフェ
(1942年−))は
テド・グラント
と分裂しやがて労働党外に1997年
社会党
(イングランドとウェールズ)
を結成。
テド・グラント
らはグループから追放され
社会主義の訴え
結成。
指導者は
ピーター・ターフェ
、
ハンナ・セル
ら。
再統一第4インターナショナル
に次ぐ第2の国際組織。
オーストラリア
社会党
(1985年発生)、オーストリア
社会主義左翼党
(2000年結成)、ベルギー・
社会主義左翼党
(1992年結成)、
闘争社会党
、カナダ社会主義選択、フランス
革命的左翼
(1992年LCRから分裂)、ドイツ・
社会主義選択
(1973年発生、WASG参加、
リンケ結成で参加問題発生)、イングランド・ウェールズ
社会党
、ギリシャ
社会主義国際組織
、アイルランド
社会党
、イタリア
社会主義闘争
、
オランダ
攻撃
(1977年結成、
社会党
内、2009年禁止される)、ポルトガル
社会主義選択
、スウェーデン・
社会正義党
(1973年結成)、
米国
社会主義選択
(1986年結成)、スコットランド
連帯
(2006年結成)など。
○
国際マルクス主義者傾向
IMT
HP
1993年、
テド・グラント
が労働党で加入戦術を継続するかどうかで終了派の
ミリタント傾向
と分裂。
アラン・ウッド
(
社会主義の訴え
、1944年生−)らが指導者。依然として労働党内に留まる。他国も加入戦術をとり、フランスやイタリア
では共産党などに留まる。ラテン・アメリカで多くのグループを獲得し、2002年から
ベネズエラから手を引け
運動に乗り出す。
パキスタン人民党
内グループ(
ラル・カーン
)が最大グループ。
2009年末IMT指導部とスペイン、メキシコ、ヴェネズエラのグループが衝突、2010年これらとコロンビアのグループが
革命的マルクス主義者潮流
を結成。
数ヵ月後IMTは更に分裂、スウェーデン、ポーランド、英国などで分裂が起き、新グループは新インターナショナルへ向けてを呼びかける。
イランのグループもヴェネズエラのイランとの友好関係に関する問題で分裂し2011年英国の同調グループと
マルクス主義復興委員会
結成。
労働者国際同盟(US)
(2003年結成)、
社会主義の訴え(UK)
、 スイス・
オーストリア
・ベルギー・
ドイツ
の火花グループ、フランス
・
リポス
ト、
オーストラリア
・
カナダ
の反撃(ファイトバック)グループ、イタリア
鎌・金槌
(1986年結成)、スペイン・
ミリタント
(1989年
結成)、スウェーデン・
社会主義者
(1992年
攻撃
から分裂)、デンマーク・
社会主義観点
、ギッリシャ・
マルクス主義・フォニ
、
ポルトガル共産主義者左翼など。
○
国際社会主義者傾向
IST
HP
トニー・クリフ
(1917−2000年)のグループ、ソ連=国家資本主義説をとっていた。
英国の
社会主義労働党
SWPが中心、
トニー・クリフ
は1950年代
第4インターナショナル
から追放される。
1970年代ロンドンの
SWP
のマルクス主義夏季学校がIST形成の基礎となる。
1950年代トニー・クリフの
社会主義評論
グループSRG(1962年国際社会主義者グループIS、1977年SWPとなる)は
クラブ
(
ゲリー・ヒーリー
)から追放される。1950年代SRGは
シャハトマン
の
独立社会主義者同盟
が1958年解散まで緩い関係をもつ。
マイク・キドロン
、
ニゲル・ハリス
、
クリス・ハーマン
らが理論展開。指導者は
クリス・バンベリー
、
アレックス・カリニコス
など。
1971年アイルランドのISグループが結成され以降オーストラリア、カナダ、ドイツ等にも結成。
米国では
独立社会主義者
(1964年バークレイでシャハトマンらの社会党参加反対の
ハル・ドラッパー
結成、1969年IS)と関係
をもつ、これ(米国IS)は1978年分裂し、より近い
国際社会主義者組織
ISOができる。
1960年代フランスの
労働者闘争
LOと協力関係に入る。
1980ー1990年代に拡大するが1990年代に官僚制化で分裂も発生。ついにISOとSWPが反資本主義・反グローバリズムの
問題(ISOが不熱心)で論争に入り2001年米国の
国際社会主義者組織
ISOが追放される。
英国
SWP
の他、オーストラリア
国際社会主義者組織
(1970年代初期結成)、オーストリア
左翼転換
(1997年結成)、カナダ
国際社会主義者
(1975年結成)、デンマーク
国際社会主義者
(1984年
VS
から分裂)、フィンランド・
社会主義者同盟
、フランス・
底辺社会主義
(2007年LCR合流)、ドイツ
左翼移行
(1970年代結成、旧
SAG
、現在リンケ内)、イタリア・
底辺共産主義
、
ギリシャ・
SEK
(1980年代初期結成)、アイルランド
SWP
(1971年結成)、オランダ
国際社会主義者
(1988年結成)、
ニュージーランド・
社会主義労働者
、ノルウェー・
国際社会主義者
(1981年結成)、スペイン・
闘争ヘ
、スウェーデン・
国際社会主義者
(2002年イギリスからの移住者結成)など。
○
国際スパルタクス主義傾向
(国際共産主義者同盟)
HP
米国
SWP
の革命傾向に起源。1964年スパルタクス主義者同盟(
ジェームズ・ロバートソン
)を名乗る。
1966年ICFIから排除される。1978年
国際ボルシェヴィキ傾向
分裂。1996年
第4インターナショナル同盟
(
ジャン・ノードン
)分裂。
英国
スパルタクス主義者同盟
(WSLから1978年分裂)、カナダ
トロツキスト同盟
(1975年結成)、フランス
トロツキスト同盟
(1998年LCRから分裂)、ドイツ・
スパルタクス労働者党
(1990年結成)など。
○共産主義者同盟(
開拓者傾向
)
米国
SWP
(
ジャック・バーンズ
)を中心とするキューバ革命支持グループ。
1980年代永続革命などの伝統的トロツキズムから離れ、キューバ革命やサンディニスタFSLN支持。
オーストラリア、
英国
(1988年
社会主義行動
から追放)、カナダ(1977年
RWL
結成、1990年
共産主義者同盟
)、フランス(1999年
共産主義者同盟)、
アイスラン
(
共産主義者同盟
2001年結成)ド、
ニュージーランド
(1969年結成、
共産主義者同盟
)、
スウェーデン
(1980年代
社会党
から分裂)の
共産主義者同盟
、米国
SWP
。
○
国際労働者同盟
HP
USIFのラテンアメリカでのゲリラ戦支持に反対するアルゼンチンの
ナウエル・モレノ
が1982年結成。
モレノ派は国際委員会ICFIに加わったが、1963年再統一第4インターナショナルUSFIに参加。
USFIはラテン・アメリカでのゲリラ戦を支持したが、モレノ派は反対。
ニカラグア内戦でサンディニスタを批判したが革命党建設支援のためシモン・ボリヴァル旅団を送る。USFIはこれに反対。
モレノ派とランベール派第4インターナショナル再建組織委員会は1980年
第4インターナショナル再建同格委員会
結成。
これはすぐに分裂しモレノ派は
国際労働者同盟
結成。ランベール派は第4インターナショナル(再建国際センター)結成。
1994年中南米の組織が
正統トロツキズム国際センター
として分裂。これは2005年解散し多くは
国際労働者同盟
に戻るが、
他は
国際社会主義者同盟
結成。
1990年代中に
第4インターナショナル再建労働者インターナショナル
と協力。
英国
国際社会主義者同盟
(1988年WRPから分裂)、ベルギー
国際労働者同盟
、フランス
国際主義社会主義者グループ
、
ポルトガル
左翼革命戦線
(2000年
FRP
から分裂)、スペイン
革命的労働者党
(2001年
PRT−IR
合流解散)、イタリア
共産主義者選択党
(2006年結成)など。
○
第5インターナショナル同盟
HP
1984年ロンドンで革命的共産主義者インターナショナル運動として
発足
。
最初のメンバーは英国
労働者の力
(1973年国際社会主義者
IS
から分裂、
デイヴ・ストッキング
)、
アイルランド労働者グループ
(1976年社会主義者労働者運動
SLM
から分裂)、フランスの
労働者の力
、ドイツの
労働者の力
(1982年まで存在したスパルタクス
同盟に起源)グループ。
ソ連以外はキューバも退廃した労働者国家説。1989年会議のあと共通綱領”
トロツキスト宣言
”採用。
のち革命的共産主義者インターナショナル同盟と改名、ペルー、ボリヴィア、ニュージーランドから新規参加と、オーストリア、フランスの
多くのメンバー離脱(指導部の世紀の変わり目で階級闘争の進展があるという説に反対)。
共産主義者労働者グループ
、
1995年
革命的共産主義者インター・ミリタント連絡委員会
などが分裂。
1998年青年グループが独立組織
革命
結成。2006年追放されたグループが
永続革命
結成。
2004年
革命的共産主義者インター・ミリタント連絡委員会
は事実上崩壊し、ニュージーランドの
共産主義者労働者グループ
は
国際トロツキストフラクション
(南米のグループ)に参加。
○
国際主義者共産主義者連合
フランス
労働者闘争
LO周辺の小グループ、革命は労働者階級によって起こるとし、労働者階級の革命党建設を目指す。
フランス
労働者闘争
LO以外は米国の
火花
、英国の
労働者闘争
、イタリアの共産主義労働者サークル・
インターナショナル
、
スペインの雑誌 ”階級闘争”周辺のグループなど。
○
第4インターナショナル再建調整委員会
2004年結成。ブエノスアイレスで結成。南米中心にギリシャ、イタリア、トルコなどの組織が参加。
アルゼンチンの
労働者党
POが最大の党。ギリシャの
労働者革命党
EEKと
国際トロツキスト反対派
(イタリアの
共産主義者計画
)は
アルゼンチンのPOと異なる起源であるがこの加入でギリシャとイタリアに小グループをもった。
イタリアは
共産主義者計画
、他に米国の
連帯
の
再建と革命
、フィンランド・
マルクス主義労働者同盟
など。
○
労働者人民国際連絡委員会
(
労働者人民国際協商
)
労働者インターナショナル国際連絡委員会
フランスの
労働者党
(
ランベール
派)PT周辺の種々の傾向を含むグループ。90ヶ国を越える国の労働組合と政治活動家が参加。
1991年63カ国の代表が参加して結成。
ドイツの社会政治・民主、スペインの労働者情報、スウェーデンの国際労働者ネットワーク、米国の
社会主義者組織者
(1991年
社会主義行動
から分裂)など。
フランスの独立労働者党の
ダニエル・グリュックシュタン
らが指導者。
○
第4インターナショナル再建国際センター
ICR(ランベール派)
ランベール
派は1972年
第4インターナショナル再建組織委員会
OCRFI結成、これはナウエル・モレノと短期間(1979−1980年)協力、
これにより1980年第4インターナショナル(国際委員会)結成。しかしランベールのミッテラン支持でモレノと不和、モレノ派は
国際労働者同盟
結成。
ランベール派は1981年
第4インターナショナル再建国際センター
ICR結成。1993年国際会議に44支部参加。
1986年には
ルイス・ファヴル
(パリでOCI参加、のちに
ブラジル労働者党
参加)がランベールに批判的になる。
ICRは
労働者人民国際連絡委員会
と密接に結びついて1993年第4インターナショナルを自称。
ベルギー・労働者政治、フランス・国際主義者共産主義者潮流(独立労働者党内)、ポルトガル・
社会主義統一労働者党
、スペイン・
国際主義者社会党、スイス・
労働者政治サークル連合
、米国・
社会主義者組織者
など。
○
国際トロツキスト反対派
1992年、イタリアのフローレンスで結成。
共産主義者計画
がこのグループの最大組織。
共産主義者計画
は
第4インター再建調整委員会
にも参加。
米国では
革命的労働者同盟
RWLから分裂したトロツキスト同盟(1991−2002年)、これは2002年連帯に参加し再建と革命潮流となり
第4インターナショナル再建調整委員会
に参加。
○
トロツキスト・フラクション
FT−CI
1988年モレノ派の国際労働者同盟のアルゼンチン社会主義運動から追放されたグループが結成。
アルゼンチンの社会主義労働者党、ボリヴィアの革命的労働者同盟、メキシコの社会主義労働者同盟やブラジル、チリ、コスタリカなど
のグループが参加。
2004年トロツキスト・フラクション国際戦略となる。
○
第4インターナショナル政治再建国際トロツキスト委員会
あるいは
1984年
トロツキストインターナショナル連絡委員会
TILCの実質的継続として結成。
トロツキストインターナショナル連絡委員会
は1979年英国の
労働者社会主義者同盟
WSL(
アラン・ソーネット
)が結成。
イタリアLOR、デンマーク、米国、トルコにグループが存在。
1981年WSLに
国際共産主義者同盟
(
ショーン・マットガンマ
)が合流。1983年
ソーネット
派と
マットガンマ
派が対立しTILC支持派が追放され
労働者国際主義者同盟
WIL結成、しかしこれは間もなく分裂しTILCは解散。しかし1984年旧WILメンバーが1984年革命的国際主義者同盟結成。
TILCの多数派(イタリア、米国、英国、デンマーク)は国際トロツキスト委員会ITCとして再結集。
ソーネットらは後にWSLから追放され社会主義者グループを結成し1987年国際グループと合同し再統一第4インターナショナル支部の
国際社会主義者グループ
結成。
米国グループの
革命的労働者同盟
RWLは1980年代中に
モレノ
派に引き寄せられる。
○
第4インターナショナル再建労働者インターナショナル
1990年、英国の
労働者革命党(労働者出版
、
クリフ・スローター
)支持グループが結成。
労働者革命党
からは1988年国際社会主義者同盟が分裂しモレノの
国際労働者同盟
に参加。
○
第4インターナショナル共産主義者組織
1992年、米国の
シー・ランディ
らの
革命党同盟
(
国際社会主義者
ISに由来)が結成。
○
フアン・ポサダス
ポサダスは1912年アルゼンチン生まれ(−1981年)のイタリア移民の子。30台で社会主義革命党に参加、この党は1941年
第4インターナショナルに参加。
アルゼンチンのトロツキストは1941年
社会主義革命労働者党PORSに合同
するが間もなく分解。
1947年第4インターナショナル・グループGCI結成。
1950年代第4インターナショナル・ラテンアメリカ局指導者となる。
1953年分裂ではパブロ派を支持。1959年核戦争問題で国際書記局多数派と衝突(ポサダスは核戦争は資本主義を崩壊させ社会主義
への道を切り開くと主張)。
1962年分裂し
ポサダス派第4インターナショナル
結成。特にキューバ(鉄道労働者)、ボリヴィア(錫鉱山労働者)、ブラジル(農業労働者)
などに支持者が存在。
1960年代後半からカストロと衝突。ポサダスは晩年奇怪な行動をとるようになる。
ポサダス派は1981年のポサダスの死亡まで斜陽化し崩壊。
○
ナウエル・モレノ
アルゼンチン出身で1924年生まれ(−1987年)。
1944年マルクス主義労働者グループGOM結成。これは1948年革命的労働者党PORとなり第4インターナショナルと接触。
PORは英国の革命的共産党の意見を支持。
1953年分裂では国際委員会派を支持。モレノ派はペロニスト運動に参加。
PORは1954年ラテンアメリカ委員会を形成。1957年正統トロツキズムラテンアメリカ局結成。
1963年の再統一でポサダスに代わりラテンアメリカ局指導者となる。
モレノはニカラガ内戦問題等で統一書記局派USFIと衝突しランベール派第4インターナショナル再建組織委員会と1980年
第4インターナショナル再建同格委員会
結成。これはすぐに分裂しモレノ派は
国際労働者同盟
結成。
○
ランベール
派
ピエール・ランベールは1920−2008年。モリニエのPOI、PCI、OCI、PTに参加(結成)。
1953年分裂で
国際委員会
派ICFIに参加。
1971年
第4インターナショナル再建組織委員会
OCRFI結成。これはナウエル・モレノと短期間(1979−1980年)協力、
これにより1980年第4インターナショナル再建同格委員会(国際委員会)結成。しかしランベールのミッテラン支持でモレノと不和、
モレノ派は
国際労働者同盟
結成。
ランベール派は1981年
第4インターナショナル(再建国際センター)
ICR結成。
*主要人物
戦闘社会主義者
略伝
ミカリス・ラプティス(ミッシェル・パブロ)
エルネスト・マンデル
ダヴィド・コルネル
ロベール・バルシア
ダニエル・ベンサイド
アラン・クリヴィーヌ
コルネリウス・カストリアディス
ミッシェル・ヴァルガ
ピエール・フランク
ピエール・ランベール
アイザック・ドイッチャー
トニー・クリフ
テッド・グラント
ゲリー・ヒーリー
アラン・ソーネット
ピーター・ターフェ
ハル・ドラッパー
アラン・ウッド
マックス・シャハトマン
ジェームズ・キャノン
ラーヤ・ドゥナウエフスカヤ
シリル・ジェームズ
ジャック・バーンズ
ジェームズ・ロバートソン
ジョセフ・ハンセン
デイヴィド・ノース
ジャン・ノードン
ジェームズ・バーナム
アーヴィング・クリストル
リヴィオ・マイタン
ルイス・ファヴル
<
左翼共産主義
>
左翼共産主義はボルシェヴィキ思想を批判し、コミンテルンのレーニン主義に対しより真のマルクス主義であるとする。
その元祖ともいうべきはローザ・ルクセンブルクである。
左翼共産主義はドイツ・オランダの評議会共産主義とイタリアのボルディガ派が主なものである。
左翼共産主義にはアナーキズムも見え隠れする。
レーニンの
左翼小児病
で批判の対象となっているのは
カール・エアラー
(ハインリッヒ・ラウフェンベルク、
KAPD
)、カール・ホルナー
(
アントン・パンネクーク
)、
シルヴィア・パンクハースト
(
労働者社会主義連合
)、オランダの
トリブーネ
・グループ(
ダヴィド・ヴァインコープ
)らで内容は
反議会主義、反労働組合主義、非妥協性、党組織論(反集中制)である。
○
評議会共産主義
独蘭左翼共産主義者
戦後
主な人物はオランダの
アントン・パンネクーク
、
ヘルマン・ホルテル
、
カホ・ブレンデル
、
カンネ・メイエル
、ドイツの
カール・コルシュ
、
オットー・ルーレ
、
ヤン・アペル
、
ポール・マティック
、
ウィリー・フーン
、
アルフレッド・ヴィーラント
、フランスでは
マクシミリアン・ルベル
、
アンリ・シャゼ
、
ベンジャマン・ペレ
、
アンリ・シモン
(
労働者情報通信
)
社会主義か野蛮か
の
コルネリウス・カストリアディス
、
クロード・ルフォール
、初期のイギリスの
シルヴィア・パンクハースト
など。
→
アントン・パンネクークの人と思想
(人間と思想と活動の詳しい論評)
パンネクークのコルネリウス・カストリアディスへの手紙(1953年)
→
オランダとドイツの共産主義左翼
→
アントン・パンネクーク小伝
(生涯・事績の概要)
→
ヘルマン・ホルテル小伝
1920年ドイツでKPDから分裂して共産主義労働者党KAPDが結成される。
1921年、KAPDから
フランツ・プフェムフェルト
、
オスカー・カネール
らが分裂し
オットー・ルーレ
と
総労働連合統一組織
AAUE結成。
1922年エッセン・グループとベルリン・グループに分裂。
1922年KAPDのヘルマン・ホルテル含むエッセン・グループが
共産主義労働者インターナショナル
結成。(ベルリン・グループは時期早々という考え)
オランダ共産主義者労働党、シルヴィア・パンクハーストの
共産主義労働者党
などが参加。1920年代中期に解散。
1926年KPD追放の
エルンスト・シュヴァルツ
と
カール・コルシュ
の断固(エントシーデネ)左翼グループとベルリン・グループが短期間合同。
ワイマール共和国末期のファシズム抵抗組織は
赤い戦闘者
、
共産主義評議会連合
、
ドイツ共産主義労働者連合
KAUDである。
KAUDは1931年、総労働者連合AAUの一部と、AAUEとKAPDが結成。創設には
ヤン・アペル
がかかわり、オランダの国際共産主義者グループ
GICと関係をもった。
世界産業労働者
IWWドイツ支部とも連携した。1933年以降メンバーは
赤い戦闘者
や
共産主義評議会連合
で活動。
共産主義評議会連合
はブラウンスヴァイクを拠点とし、1934年まで活動、20人ほどがナチスに逮捕された。
アウグスト・メルゲス
(1945年ナチスの悪待遇が原因で死亡)、
ミンナ・ファスハウアー
などが参加。
コルシュは1936年米国に渡り大学生活、ルーレは1943年メキシコで死亡。
マティックは1934年シカゴで
国際評議会通信
(1934−1943年)責任者となる。これには、コルシュ、ルーレ、パンネクークらが寄稿。
この雑誌は1934年アメリカプロレタリア党から分裂した統一労働者党が発行。
雑誌は1930年年代末はヨーロッパ評議会共産主義者と名を変え地下化。
マティックは1950年代はマッカーシズムで隠遁。
ウィリー・フーン
は1948年SPDに参加し1954年SPD歴史解釈問題で追放される。1960年代は
SDS
のマルクス主義派
ミカエル・マウケ
と行動。
アルフレッド・ヴィーラント
は1950年西ベルリンでロシアにより誘拐され釈放運動により1958年解放される。SPDに参加し議会外反対派と
ブラントの東方政策に反対。晩年は左翼急進青年運動を批判。
オランダでは1921年
ヘルマン・ホルテル
がドイツの
KAPD
兄弟組織ネーデルランド共産主義労働党KAPNを結成。
1922年KAPDの分裂によりKAPNも分裂、
パンネクーク
はベルリン・グループを支持、これは1927年に
カンネ・メイエル
らと
国際共産主義者グループ
GICとなる。
ホルテル(1927年死亡)はエッセン・グループ(
カール・シュレーダー
、
アルトゥール・ゴールドシュタイン
)を支持し、1922年結成の
共産主義者労働者インター
の指導的支持者となる。
他のKAPNはヴォルトフーリンク・ファン・ルテラーンとフリッツ・クニーフのもと1932年まで存続、1926年一部が国際共産主義者結成。
ヤン・アペル
は1926年オランダに移ってきてGICで
カンネ・メイエル
らと行動。
小評議会主義グループ
左翼労働者反対派
(エドワルド・シラク、1932−1934年)メンバーの
マリウス・ファン・デル・ルッベ
は
1933年2月の
ドイツ国会議事堂放火
の犯人として処刑される。
GICメンバーは
マルクス・レーニン・ルクセンブルクMLL戦線
から1942年結成された
共産主義者同盟スパルタクス
に参加。
パンネクーク
は1920年代に政治から退き、戦中は天文学に専念、戦後1946年著作を発表。
戦後
パンネクーク
、
カンネ・メイエル
が
スパルタクス
を支配する。
1947年
カンネ・メイエル
、
ベンヤミン.A.シヘス
らが評議会共産主義グループ'結成。これは1948年消滅。
カンネ・メイエル
らはプロレタリアの革命性に懐疑的になりマルクス主義から離れる。
スパルタクスは
社会主義か野蛮か
の(現代資本主義)影響を受け、1950年代末まで共産主義者同盟スパルタクス同盟が
スパルタクス同盟となり、1980年消滅。
1964年
カホ・ブレンデル
らの”行為と思想”が分裂。行為と思想は1968年学生反乱で第3世界論に近づく。
ヤン・アペル
は1975年の最初の
国際共産主義者潮流
会議参加。
1923年ボルディガ派の
ミケランジェロ・パッパラルディ
はドイツで左翼共産主義者、特にカール・コルシュらと接触していた。
フランスではドイツ左派やフランス、ベルギーにいるイタリア左派の結集に勤め、同年イタリア共産党を離党し、1926年
ロドヴィコ・ロッシ
、
ブルーノ・ビッベ、エウジェニオ・モルッツォらと独立共産主義者グループを結成し反ファシスト急進派の結集に向かった。
パッパラルディ
はドイツ左派に接近しすぎ、
オットリノ・ペッロネ
を指導者とするフランス、ベルギーのイタリア左派と相違が出始め組織崩壊し、
1927年共産主義前衛グループが結成され覚醒共産主義者を発行。(
オットリノ・ペッロネ
は1928年
イタリア共産党左派
を結成。)
覚醒共産主義者のドイツ・オランダ共産主義左派路線派は評議会主義者(
アンドレ・プリュドモ
)と1929年
共産主義労働者グループ
GOCを結成。これにロシアから逃れてきた
ガヴリル・ミアスニコフ
が参加。GOCは1930年分裂し始め、1931年消滅。
アンドレ・プリュドモ
、
ジャン・ドトリー
ら共産主義リバータリアンは1931年スパルタクス、1932−1933年には労働者国際通信発行。
パッパラルディ
は活動困難となり隠遁し1940年ブエノス・アイレスで死亡。
マルク・シリック
が1933年
左翼共産主義者
の
アンリ・シャゼ
らと
共産主義者連合
結成。これにはSFIO加入を好まなかった
共産主義者同盟もメンバー参加。
共産主義者連合
は
評議会共産主義
に向かい、更にパリの
ボルディガ派
、1933年分裂したトロツキストの一部を迎え、イタリア左派に次ぐ
反スターリン派組織となる。
ハンガリー人の
ヴォラディ
(ラング)、
ジャン・ド・ラステラード
、スザイコ・ションベルク、アンリ・シャゼらが中心となる。
1937年にはスペイン内戦問題でボルディガ派反対グループの国際協議会を開催し、ベルギーの国際主義者共産主義者同盟LCI、米国の
ヒューゴ・イーラー
の
革命的労働者同盟
RWL、B.J.フィールドの革命的労働者党同盟(
1934年米国共産主義者同盟から分裂
)、オランダの
GIK
、
個人では
ガブリエル・ミアスニコフ
、アルカディ・マスロフ、ルート・フィッシャーらが参加。戦争により外国人活動家の逮捕、逃避で1939年消滅。
1941年評議会主義者、トロツキスト、アナーキストが
革命的プロレタリア・グループ
GRP結成。1947年消滅。
パヴェル及び
クララ・タールマン
(戦後なかば隠遁)、
ピエール・ランネレー
、
マクシミリアン・リュベル
(1945年GRPから去る、戦後学究生活)
など参加。
ピエール・ランネレー
は1945年GRPを去り
革命的共産主義者組織
(1944−1946年、ドイツの
RKD
と
PCI
トロツキストに近い活動家結集)
の分裂の後継の”流れに抗して”に参加。1946年には
国際左翼共産主義者フランス・グループ
に参加。1950年
社会主義か野蛮か
に参加。
1951年サンフランシスコ移住。
マルク・シリック
は1937年ボルディガ派に加わり、1943年スザンヌ・ヴト、
ロベール・サラマ
、イタリア人活動家(旧ボルディガ派)らと
国際左翼共産主義者フランス・グループ
を結成、1944年ボルディガ派と別れ
ロベール・サラマ
、
セルジュ・ビリシアネ
らとフランス左翼共産主義者
GCFを結成、これは1952年解散し、
マルク・シリック
はベネズエラに移住し1968年
国際革命結成
に参加。これは1975年
国際共産主義者潮流
結成に参加。
サラマ
は1968年には
国際革命
結成に関係。
国際左翼共産主義者フランス・グループ
FFGCIは
マルク・シリック
、
ロベール・サラマ
が1944年に去ってから1943年に
オノラト・ダメン
らが
結成した
国際主義共産党
と結びつく。
革命的共産主義者組織
から分裂した流れに抗してグループ(
ピエール・ランネレー
)が1946年に参加。
共産主義者連合
の再建が不可能なため旧メンバーが、スザンヌ・ヴト、
アルベール・ヴェガ
率いるFFGCIに合流。
アンリ・シャゼ
が旧
共産主義者連合
の縁で
ブルノ・マフィ
を通してミラノとパリの連携を行う。
オノラート・ダーメン
はボルディガとロシアと
労働組合問題で意見相違となりこれが旧
共産主義者連合
のFFGCI加入をもたらす。
しかしスザンヌ・ヴトらのボルディガ派と旧
共産主義者連合
の非ボルディガ派の相違が拡大、1949年
ジャン・ド・ラステラード
が分裂。
この相違は社会主義か野蛮かとの公開論争で拡大し1950年非ボルディガ派の
アンリ・シャゼ
、
アルベール・ヴェガ
らが社会主義か野蛮かに参加。
イタリアのボルディガ派の危機でFFGCIは1951年活動停止。
1946年PCIの
カストリアディス
−
ルフォール
グループが
社会主義か野蛮か
グループ結成。
1948年社会主義か野蛮かはPCIとトロツキズムから離れ、米国の
ジェームズ−ドゥナウエフスカヤ
グループに近い立場をとる。
1951年戦前の
共産主義者連合
を含む
国際左翼共産主義者フランス・グループ
の非ボルディガ派(
アンリ・シャゼ
ら)が参加。
カストリアディス
は
アントン・パンネクーク
と論争を行う。
1951年
カストリアディス
と
ルフォール
が衝突、1958年
ルフォール
と
アンリ・シモン
のグループが
労働者連絡情報
グループ結成。
1960年代
マクシミリアン・リュベル
、
ゴ・ヴァン
周辺に評議会共産主義者グループが形成される。
1960年
カストリアディス
(マルクス主義放棄)反対派は
ジャン・フランソワ・リオタール
、
ピエール・スユリ
、
アルベール・ヴェガ
の周囲に結集、
1963年分裂し、労働者の力
Pouvoir Ouvrier
結成し1969年解散。社会主義か野蛮かは1967年自動的に解散。
労働者連絡情報
は1973年解散し、
アンリ・シモン
は1975年から
ゴ・ヴァン
らと
交換と運動
に参加。
1960年代、スペインの第4インター支部の流れを汲む
ナタリア・セドヴァ
の影響を受けた
革命的労働者推進
が詩人
ベンジャミン・ペレ
のおかげで
フランスに影響を及ぼした。
革命的労働者推進
は1959年フランスで
グランディソ・ムニス
、
ベンジャミン・ペレ
らが結成。
1960年代レーニン主義から離れ評議会共産主義者に結集。
ギ・デボール
が1957年
状況主義者インターナショナル
ISを結成。これは評議会主義とリバータリアン組織で労働拒否と日常生活革命を支持。
1965
労働者の力
の活動家(
ピエール・ギヨーム
、
ジャック・バイナック
)がカルチエ・ラタンに
古いモグラ
という書店を開設。
この書店は種々の極左の書籍を販売。
1967年
古いモグラ
活動家が
労働者の力
から追放される。翌年
ジレ・ドヴェ
らが参加。
古いモグラ
は1972年解散。
ジレ・ドヴェ
は雑誌
社会戦争
(1977−1984年、
ドミニク・ブラン
)創設に参加。
社会戦争
は1980年
ロベール・フォリソン
のホロコースト否認支持で
分裂し
ジレ・ドヴェ
は
セルジュ・カドリュパニ
と1983年
バンキーズ
(流氷)創設(−1986年)。
労働者の力
の解散で一部の活動家は1971年労働者評議会権力のためのマルクス主義者グループGMPCT結成し左翼マルクス主義者となり、
雑誌継続闘争発行(
セルジュ・コセロン
、
ピエール・スユリ
ら)。これは1973年解散。
イギリスの
連帯
は1960年
社会主義労働者同盟
SLLから追放されたグループが結成し
カストリアディス
の影響を受けていた。
モリス・ブリントン
を指導者とし1981年までまで全国的に存在。メンバー(アンディ・アンダーソン、ケン・ウェラー、ジョン・キング、
ジョージ・ウイリアムソン、リズ・ウィリスら)は雑誌扇動者を発行し、盛んに著述活動を行い、1960年代平和運動の
100委員会
や1980年代初期
ポーランド連帯運動などで活躍。
このグループから1970年代中期
国際革命
が結成され、翌年
共産主義労働者組織
(ボルディガ派)少数派が合流。
アメリカでは1968年の余波で
ポール・マティックの息子
が根と枝Root and Branchをボストンで発行。1973年消滅。
オーストラリアではメルボルンで1944年
ジェームズ・アーサー・ドーソン
によって評議会共産主義運動が展開されたが1949年成果なく消滅。
スウェーデンでは1970年代始め国際労働者闘争Internationell Arbetarkampf (1973年毛派から分裂したマニフェスト・グループから発生、すぐ消滅)
と
統一労働者の力
Forbundet arbetarmakt(1972−1985年)が出現。国際労働者闘争はパンネクークの著作などをスウェーデンに紹介。
統一労働者の力
は1972年ナーキストにより結成され1979年解散するが雑誌評議会権力Radsmaktを1981−1985年発行。
○
革命党国際事務局
(
ボルディガ
派)
HP
ボルディガ派
ベルギーのボルディガ派
1983年イタリアの
国際主義者共産党
、英国の
共産主義者労働者組織
の発議で結成。
国際主義者共産党
は1943年イタリアの
オノラート・ダーメン
、
ブルーノ・マフィ
らが結成。1949年
アマデオ・ボルディガ
参加。
共産主義者労働者組織
CWOは1970年代中期リヴァプールを拠点とする労働者の声と以前
連帯
で活動していたスコットランドグループの
革命的展望の連合で結成。両グループは
国際共産主義者潮流
ICCに参加していたが、意見不一致発生。
労働者の声は結成間もなくCWOを去る。1976年まで残りのCWOは分裂し、少数派は
世界革命
に参加。
イタリアの
国際主義者共産党
は1943年北イタリアで旧共産党の
オノラート・ダメン
、
マリオ・アックワヴィヴァ
らが結成。彼らは
アマデオ・ボルディガ
の
共産主義左翼
に接近したため追放された。社会党からは
ブルーノ・マッフィ
が参加。
1944年まで約2千のメンバーとなりトリノやミラノで工場グループを結成しPCIの内部委員会と対立。
ファウスト・アッティ
、
マリオ・アックワヴィヴァ
は1945年スターリン主義者によって暗殺された。
解放後、中央・南部イタリアに広がった
イタリア社会主義者・共産主義者左翼分派
と統合し成長し続けた。
19461月大会には
オットリノ・ペッロネ
のようなファシズム期亡命のフランスやベルギーの外国代表が参加、あるいはフランス、ベルギー、スペインの
1930年代、1940年代の旧
イタリア共産党左派
も参加。
この時期
アマデオ・ボルディガ
と協力を始める。
1946年選挙では約2万4千票、0,11%。
1952年、労働組合や民族解放闘争の評価、党組織問題等で分裂。
・
オノラート・ダメン
の
共産主義者戦闘
(バッタリア)(1965年国際主義者共産党となる)、1979年
ダメン
が死亡し、1983年
革命党国際事務局
結成。
共産主義者戦闘
はフランスの
社会主義か野蛮か
、米国の
ラーヤ・ドゥナエフスカヤ
の
ニュース・手紙委員会
、スペインの
グランディソ・ムニス
の革命的労働者扇動、
ブルーノ・フォルティキアリ
、
アッリゴ・セルヴェッティ
の共産主義行動、
ダニロ・モンタルディ
の
プロレタリア統一などの他の政治組織との協力に積極的。1977年国際共産主義者左翼グループ会議を組織、これには
国際共産主義者潮流
が
参加。
1983年、英国の
共産主義者労働者組織
と
革命党国際事務所
結成。
・
アマデオ・ボルディガ
、
オットリノ・ペッロネ
、
ブルーノ・マッフィ
の共産主義者計画(プログランマ)(1965年国際共産党となる)。
1964年現状分析問題で
共産主義者計画
から
共産主義者革命
が分裂。
共産主義者革命
から1965年年党組織問題で独立国際共産主義者グループが分裂。
1974年歴史解釈問題で
共産主義者計画
から
国際共産党−共産党
partitoやその他小グループが分裂。
1980年代初めに
共産主義者計画
は分解し、
共産主義者
、
ボッレティノ
(小冊子)、
国際主義者カデルニ
(記録)など発生。
アマディオ・ボルディガ(1889−1970年)は1910年イタリア社会党に参加し、1912年若い同志とカール・マルクス・サークルを結成。
ボルディガは代議制民主主義をブルジョア選挙主義として強く拒否。1917年には頑固革命派の鼓舞者。ロシア革命勃発で国際共産主義運動
に参加し、PSI内で共産主義棄権主義派(ブルジョア選挙参加反対)を形成。1921年トリノの新秩序のグラムシ、トリアッティとイタリア共産党結成。
ボルディガ指導下の共産党は他のコミンテルン参加党と非常に異なっていた。素朴な労働者構成で知識人によるピラミッド型階層組織ではなかった。
1923年ボルディガと他の指導者の逮捕でコミンテルンにより執行部が交代させられた。
1926年秘密会議で左派はモスクワに整列する中央派(グラムシ、トリアッティ、テラチーニ)により少数派に追いやられた。
1930年トロツキ−支持で追放される。1944年連合軍上陸で1921年の旧同志がボルディガ周囲に結集。戦後最初の党大会参加拒否し、
国際主義者共産党
の機関紙共産主義者戦闘に協力、1945年
国際主義者共産党
参加。
1926年イタリア共産党大会で中央派支配が確立し、左派の活動余地はなくなり、1927年
ミケランジェロ・パッパラルディ
が離党し共産主義前衛グループ
を結成、雑誌”覚醒共産主義者”発行。
オットリノ・ペッロネ
のグロープはボルディガの指示で党内に留まる。
ミケランジェロ・パッパラルディ
はドイツで左翼共産主義者、特にカール・コルシュらと接触していたが
オットリノ・ペッロネ
を指導者とするフランス、ベルギーの
イタリア左派と相違が発生。覚醒共産主義者は
アンドレ・プリュドモ
らの1929年結成に
共産主義労働者グループ
に参加。これは1931年消滅。
1933年
マルク・シリック
と
アンリ・シャゼ
らが結成した
共産主義者連合
にボルディガ派が参加。
ムッソリーニの政権掌握(1926年共産党禁止)による左派グループの国外移住でフランス、ベルギー(、米国)へ広がった。
一方には
エンリコ・ルッソ
、ピエロ・コラッディ、
オテッロ・リッチェリ
、ブルノ・ビッビ、
フェルディナンド・ボルサッキ
らの20代の若い労働者がいた。
他方
エルシリオ・アンブロジ
、
ヴィルジリオ・ヴェルダロ
、
マリオ・デ・レオーネ
、ジョヴァンニ・トルニエッリらの30−40代の知識人がいた。
オットリノ・ペッロネ
(ヴェルチェージ)はブリュッセルで、1928年
イタリア共産党左派
結成の中心となり、
ヴィルジリオ・ヴェルダロ
とプロメテオ(1928−1937年)
、ビランBilan(1933−1938年)などを発行。
ビランにはベルギーの
アデマール・アンノー
が協力。
イタリア共産党左派
結成にはベルギー、フランスとパリ、リオン、ブリュッセル、ニューヨークから代表参加。
1931年からトロツキストとの協力(ドイツ、ベルギー、フランス)が模索されるが1932年までに失敗。
結集はフランスでは
アンリ・シャゼ
−
ジャン・ド・ラステラード
の
共産主義者連合
、米国では
アルバート・ワイスボード
の
共産主義者闘争同盟
、
ヒューゴ・イーラー
の
革命的労働者同盟
RWL、B.J.フィールドの革命的労働者党同盟と進められたが米国ではポール・マティックのグループが多数派であった。
1935年
左翼共産主義者
となる。
スペイン戦争は
ペッロネ
、
ヴェルダロ
(スペイン戦争を国際帝国主義戦争の第1歩としプロレタリアートの独立主張)と
マリオ・デ・レオーネ
、
エンリコ・ルッソ
(革命への道が切り開けるとしてPOUMに参加)のグループの分裂を巻き起こした。
1937年
共産主義者連合
はベルギーの国際主義者共産主義者同盟、イタリアの
左翼共産主義者
少数派、
革命的労働者同盟
、革命的労働者党同盟、
カンネ・メイエルのGIKとガブリエル・ミアスニコフ、アルカディ・マスロフ、ルート・フィッシャーの個人に国際協議会を呼びかけた。
少数派は1938年左派国際局を結成、機関紙は10月。1939年消滅。
第二次世界大戦で多数派は
オットリノ・ペッロネ
の理論(資本主義が労働者階級に対抗して協調する新段階に入り、戦争を局地化し兵器生産で発展し、
戦争中はプロレタリア階級は消滅する)を支持。(少数派は世界戦争はファシズムの敗北に終わる、革命のためのプロレタリア党を結成せよ。)
ドイツのベルギー、フランス占領で地下活動に入る。
1944年パリで
国際左翼共産主義者フランス・グループ
が結成される。終戦で多数派は
国際主義者共産党
に参加し、少数派は
フランス左翼共産主義者
に参加。
○
国際共産主義者潮流
ICC
HP
歴史
1975年フランスの
国際革命
、英国の
世界革命
(1970年代中期結成)、米国の
国際主義
(1970年ドゥナエフスカヤの
ニュース・手紙委員会
旧メンバー結成)、ヴェネズエラの
国際主義
、イタリアの
国際革命
(1975年結成)、スペインの
プロレタリア行動
が結成。
マルク・シリク
は1907年、ロシア生まれで、若年でユダヤ人共産党から分裂したパレスチナ共産党結成に参加、1924年フランスに来、フランス共産党
に参加するが左翼反対派として追放され共産主義者同盟、ついで共産主義者連合、1938年には国際共産主義者左翼のイタリア分派に参加。
1942年にはフランス分派が結成される。
マルク・シリク
はイタリア分派の多数派と不和となり1945年フランス分派(フランス左翼共産主義者GCF)に参加。
1952年GCFは解散しわずかばかりだった活動家は世界に拡散、
マルク・シリク
はヴェネズエラへ。
1940年代中ボルディガ派から分裂したフランス左翼共産主義者(
マルク・シリク
)が直接の政治的先駆である。これは1952年に解散したが
1964年にヴェネズエラで結成された
国際主義グループ
は強くこの影響を受けた。このグループを結成したのは
マルク・シリック
。
国際共産主義者潮流
ICCは1968年
国際革命
を結成したフランス(ロベール・カモワン、ギ・サボティエ)と世界の諸グループがオランダ、ドイツ、
イタリアの左翼共産主義を標榜して1975年結成。
ICCはイタリア左派とレーニンとコミンテルンの党の路線を批判。ICCは党の役割と過渡期の考え方でボルディガ派と異なる。
ICCにとって党がプロレタリアを指導しなければならないがICCが党を指導してはいけない。
労働組合主義と反ファシズム、民族解放闘争、少数派による武装闘争を拒否。
1978年から国際主義共産主義グループ、
共産主義者ブルティングループ
、国際展望グループなどが分裂。
*
国際共産主義者潮流
ICC
1975年結成
。
1968年6月の大ストライキ中にフランスで同様の立場をとる国際主義と国際革命グループが結成される。
1972年には国際主義は1968年の出来事のなかから生じた2つのグループ(評議会共産主義手帳、クレモン・フェラン評議会組織)を結集。
これらと英国の世界革命、米国の国際主義、イタリアの国際革命、スペインの革命行動の6者が1975年
国際共産主義者潮流
結成。
○
国際社会主義者運動
HP
英国社会党
(1904年結成)周辺のグループ。革命的マルクス主義、反レーニン主義。
インポシビリズム
の系統。
カナダ社会党
(1931年再結成)、
米国国際社会党
(1916年結成)その他オーストリア、
ニュージーランド
、アイルランドの組織。
→他の
インポシビリズム
は
ド・レオン主義
(
アングロ・サクソンのドレオン主義
)。
<
アナーキズム、アナルコ・サンディカリズム
>
ピュートル・クロポトキン
(1842−1921年)によると
ウイリアム・ゴドウィン
(1756−1836年)が最初に政治的・経済的に近代アナーキズムを
思想付けた。一方
ベンジャミン・タッカー
(1854−199年)によると
ジョシュア・ワレン
(1798−1874年)が現在アナーキズムとして知られる思想を
国家のない自発的コミュニティによって推進した。
ピエール・ジョセフ・プルードン
(1809−1865年)が最初にアナーキストと自己規定した。
1864年結成の
国際労働者協会
(第1インターナショナル)にはプルードン主義者、
ブランキス
ト、
フィラデルフィアン
(
シャルル・ノディエ
)、
イギリス労働組合主義者、社会主義者など種々の革命的潮流が参加した。
マルクス(1813−1883年)が指導的人物となり、プルードン主義者がこれに反対し政治的棄権主義を擁護。
1968年これに
ミハイル・バクーニン
(1814−1976年)のグループが参加。
国際労働者協会
でマルクス派とバクニーン派が対立、1872年、ハーグ会議でバクニーンと
ジェイムス・ギョーム
(1844−1916年、
ジュラ連合
)
が追放され、
アナーキスト・サン・イミエール・インターナショナル
を結成。これは主にイタリア、スペイン、ベルギー、アメリカ、フランス、スイスの支部より構成
された。
国際労働者協会
(第1インターナショナル)は1976年解散され、
サン・イミエール・インターナショナル
は1877年まで続いた。
1881年、アナーキストは
黒色インターナショナル
(国際労働人民協会IWPA)を結成。
アメリカでは1881年社会主義労働党SLPからアナーキストグループが離れ
革命的社会主義者労働党
を結成した。
これは1883年他のアナーキストと
国際労働人民協会
に合流。(この辺ウィキペディアに混乱あり)
一方
バーネットハスケル
が19881年国際労働者協会IWA(赤色インターナショナル)を結成。
1886年
ヘイマーケット事件
により1887年
アルバート・パーソンズ
、
オーガスト・スピーズ
らのアナーキストが処刑され、アナーキスト運動は散り散りになる。
○
アナーキスト連合インターナショナル
HP
1968年、フランス、イタリア、スペインのグループが中心となり結成。
ブリテン・
アナーキスト連合
(1986年結成)、フランス・
アナーキスト連合
(1945年結成)、
イタリア・アナーキスト連合
(1945年結成)、
イベリア・アナーキスト連合
FAI(1927年結成)など。
○
国際労働者worker協会
HP
1922年結成の国際アナルコ・サンディカリスト連合。
AITポルトガル、スペイン・
労働者全国連合
CNT(1910年結成)、ドイツ・
自由労働者連合
(1977年再建)、ノルウェー・
NSF−AIT
(1916年結成)、英国・
連帯連合
(1979年結成)、
イタリア・サンディカーレ連合
(1912年結成)、オーストラリア・
アナルコ・サンディカリスト連合
など。
○
国際リバータリアン連帯
2001年スペイン労働総連合CGTが組織した国際集会に引き続き結成された。
その結成は
国際労働者協会
によって改良主義、アナーキストの分裂と混乱を引き起こすと拒絶された。
南北アメリカ、欧州、中東、アフリカから参加。
北東アナルコ共産主義者
(米、加)、フランス・
自由選択
、イタリア・
アナーキスト共産主義者連合
、
イタリア底辺Unicobas連合
、
スペイン労働総連合
、
スウェーデン労働中央組織
、フランス・
自由共産主義者組織
、フランス
・自由社会攻撃
、
フランス・
絶対反ル・パン・セクシオン
、フランス
労働総連合
、スイス
自由社会主義者組織
、
アイルランド労働者連帯運動
など。
○
黒色旅団インターナショナル
HP
2001年結成のアナーキストの相互援助ネットワーク。
北米、南米、東欧にノードnodeがある。