<<トロツキズム−トロツキストの国際運動>>

 

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〔第2次世界大戦後の主なトロツキスト国際組織〕 SE 国際組織 リスト

再統一第4インターナショナルUSFI  International Viewpoint  ⇒国際組織系統図

 <起源
   第4インターナショナルは1938年トロツキーらがフランスで結成。1939年、第2次世界大戦勃発で国際書記局はニューヨーク
  に移る。米国社会主義労働者党SWPのトロツキー支持派とシャハトマン(1904−1972年)、バーナムマルティン・アバーンらが
  対立しやがて労働者党結成。国際書記局は米国SWPの影響下にはいる。フランスから来たジーン・ヴァン・ハイエンノート
  1940年書記となるがSWP多数派と衝突し辞任。トロツキーは1940年、メキシコで暗殺される。
   ジーン・ヴァン・ハイエンノートは1932年フランス共産主義者同盟に参加し、1932−1939年までトロツキーの個人秘書を勤めていた。
   1942年からSWPでヨーロッパの戦後について革命がおこるとする多数派とこれに批判的なアルバート・ゴールドマン
  フェリックス・モローらと論争が始まる。アルバート・ゴールドマンは後、労働者党から社会党へ、フェリックス・モローは右傾化。

   1944年ヨーロッパ協議会でミカリス・ラプティス(偽名パブロ、元はギリシャ人、1911−1996年)がヨーロッパ書記となる。
   協議会では戦後ヨーロッパ革命の波が来ると結論。
   当時はSWPも同様の見解を取り、英国革命的共産党RCPはこれに不同意、フランスの国際主義共産党PCIのイヴァン・クレポ
  (1911−2001年)も同様の立場でイヴァン・クレポ(後、統一社会党PSU参加)らは1948年PCIから追放される。

 <戦後の出発>
   1946年国際会議は主にヨーロッパから参加、ミッシェル・パブロ(ラプティス)らが国際書記局を再建、エルネスト・マンデルが大きな役割を果たす。
   彼らは英国RCP反対派のゲリー・ヒーリー、フランスPCIの新指導者反対派のピエール・フランク(1948年パブロマンデル指導部
  に加わる、1905−1984年)、マルセル・ブレイブトル(1952年PCIでピエール・ランベールパブロ少数派と分裂、1918−2001年)を支援。
   1948年第2回世界会議には22支部から代表参加。
   この会議にはボリヴィアの革命的労働者党ランカ・サマ・サマジャ党などが世界の広範囲から参加するが、以前は大きかったヴェトナムの
  トロツキストはほとんど消滅。
   会議後国際書記局はチトーと関係をもつ、英国革命的共産党RCPジョック・ハストン(1913−1986年)とテド・グラントがこれを批判。
   (RCPは加入戦術問題で1947年これに反対のジョック・ハストンと賛成のゲリー・ヒーリー(1913−1989年)に分裂、ヒーリー
  労働党に加入しクラブ結成、残ったRCPメーーバーも1950年解散し労働党加入、トニー・クリフとテド・グランドのグループは追放され、
  グランドは独自に労働党に加入し1956年革命的社会主義者同盟RSL結成しISFI支部となり、やがてミリタント結成。クリフのグループは
  多くは1951年トロツキズムからはなれる。クラブは1959年社会主義労働同盟SLL、1973年労働者革命党WRPとなる。)
   ナタリア・セドヴァはソ連=国家資本主義説をとり第4インターナショナルから離れた。
 
 <分裂>  ⇒分裂・合流系統図
   1951年第3回国際会議でパブロが加入戦術を提案。
   彼らは近い将来の国際内戦を予測、帝国主義に対し労働者世界を守ることができるのは共産党、社会民主党と考えた。
   1953年PCI多数派のピエール・ランベール(1920−2008年)、マルセル・ブレイブトルはこの路線に反対、インター指導部がPCIに
  介入しPCI分裂。
   英国の少数派ジョン・ローレンス、米国少数派バート・コクランハリー・ブレイヴァーマンと1954年社会主義者連合結成、1913−
  1984年)は加入戦術支持。
   反パブロ派の米国SWPジェームズ・キャノン(1890−1974年))、英国クラブゲリー・ヒーリー国際主義共産党
  ピエール・ランベール、アルゼンチンのナウエル・モレノ(1924−1987年)などが国際委員会ICFI結成。残留グループは国際書記局
  ISFIと呼ばれる。

   1954年共産主義者党と民族主義者党への加入推進で英国のジョン・ローレンス(後、一時CPGB参加)、フランスの
  ミッシェル・メストル(PCF参加)、カナダのムレー・ドーソン協同連邦党参加、1915−2002年)らが去る。

   1957年第5回会議でマンデルとフランクがアルジェリア革命を支持。1961年会議ではキューバ革命支持、ランカ・サマ・サマジャ党が
  ブルジョア民族主義者政党支持で批判される。
   1961年ISFIのアルゼンチン人フアン・ポサダスポサダス派、1912−1981年)が反植民地革命優先でパブロ派と一致。
   しかしポサダス(第3世界革命論)は毛派傾斜でパブロはフルシチョフとチトーに近かった。

 <再統一
   1962年国際書記局ISFIと国際委員会ICFI統合へ動く、パブロとポサダスは反対、ポサダス派はISFIから分裂、
  ポサダス派第4インター結成。
   統合はマンデルとSWPのジョセフ・ハンセン(1910−1979年)の考えの接近の負うところが大きい。

   フランスの国際主義共産党PCIと英国の社会主義労働同盟SLLは統合に参加せずそれぞれのICFI指導部を保持。
   ICFIも1963年までにフランスの国際主義共産党PCI(ピエール・ランベールら)と英国の社会主義労働同盟SLL
  (ゲリー・ヒーリー)がキューバ問題で分裂、これらはトロツキスト国際協議会としてICFIで行動。
   SWPのティム・ウォールフォース(1933年−)とジェームズ・ロバートソン(1928年−)も同様意見(キューバ革命に否定的)
 で革命傾向形成。ロバートソンは1962年SWPから離れる。ウォールフォースも1964年追放される。

   1963年再統一第4インターナショナルUSFI結成。
   1963年統合会議でランベール派(国際共産主義者組織)・ヒーリー派(社会主義労働者同盟)、ポサダス派以外が合同、
  エルネスト・マンデルピエール・フランクリヴィオ・マイタン(1923−2004年)、ジョセフ・ハンセン(米国SWP)らの指導部選出。
   パブロは統一の障害として疎外され組織の外へ、パブロは1965年国際革命的マルクス主義傾向結成。

   1964年ウォールフォースロバートソン衝突、ロバートソンがスパルタクス主義者同盟形成。ウォールフォースはICFIを支持し、
  1966年労働者同盟結成。

   ランカ・サマ・サマジャ党が追放される。

   1965年第8回会議後、英国のミリタント傾向(テド・グラント、革命的社会主義者同盟)が去る。
   テド・グラント派は1974年、労働者インターナショナル委員会結成。
   1960年代インターは拡大。1969年9回国際会議には30カ国から100の代表が参加。
   1964年、モレノ派の参加でラテン・アメリカに大きく拡大。
   1969−1976年はラテンアメリカその他のゲリラ戦戦術に関して抗争が起こった。

   ICFIとUSFIの統合の試みは1963年から続けられた。
   1971年ランベール(フランスOCI)がICFIから離れ1972年アイルランドLWRなどと第4インターナショナル再建組織委員会OCRFI結成。
   ランベール派(OCRFI)との統合は1970年代末までに失敗。
   1973年ランベール派と同一行動をとったハンガリー人のミッシェル・ヴァルガ第4インターナショナル再建国際同盟結成。
   1984年ヴァルガは国際同盟から追放される。
   1963年アラン・クリヴィーヌ(1941年−)とピエール・フランク共産主義者同盟LC結成、1974年に革命的共産主義者同盟LCR
  となり、これはUSFIに参加していた。
   1974年会議では米国SWPレーニン主義・トロツキズム傾向を形成しゲリラ戦を支持、僅差の少数派はラテン・アメリカでの
  ゲリラ戦の一般化に反対。
   1979年会議は48カ国200代表参加。ニクァラガ革命が議論となりFSLN支持でモレノ派分裂。
   1979年英国のアラン・ソーネット(1937年−)の労働者社会主義同盟(ヒーリーの旧SLLの労働者革命党WRPから1974年分裂)
  がトロツキスト・インターナショナル連絡委員会結成。1984年解散。
   これらの残党は1992年国際トロツキスト反対派形成、2004年他のグループと第4インターナショナル再建調整委員会形成。
   1981年ポサダスの死亡でポサダス派は崩壊。
   1981年第4インターナショナル再建組織委員会ナウエル・モレノのボルシェヴィキ・グループ、レーニン・トロツキー傾向
  (ダニエル・グリュックスタインLCRの一部)が第4インターナショナル再建同格委員会結成。
   1982年モレノ派とランベール派が分裂、ランベール派は第4インターナショナル再建国際センター結成。モレノ派は国際労働者同盟結成。
   旧ヒーリー派のICFIは1976年から合流が試みられ、英国の労働者社会主義者同盟(ソーネット)とオーストラリアの社会主義者同盟が
  1987年までに合流。
   フランスLOとの話し合いも続けられている。LOは国際共産主義者連合に参加。
   1995年第4インターナショナル再建国際同盟国際労働者同盟から分裂した革命的国際潮流と合流し国際労働者統一結成。
   パブロ派(国際革命的マルクス主義傾向)は1995年まで合流。
   パブロは1996年、マンデルは1995年に死亡。

   1980年代米国SWPは永続革命論を拒否しUSFIから追放され各国のSWP支持グループは共産主義者同盟を名乗り
  開拓者傾向となる。開拓者傾向はキューバとFSLN連帯の立場。
   1986年オーストラリアSWP(1972年結成)が離れトロツキズム放棄。
   1987年英国で国際主義者グループ社会主義者グループアラン・ソーネット)が合同し国際社会主義者グループ結成しUSFI参加。
   1991年英国の国際社会主義グループとフランスの革命的共産主義者同盟が対案提出。
   (帝国主義の危機は加速され始めた、100中6支持)
   ソ連崩壊後の1995年の14回会議には34カ国から150人参加。英国の国際社会主義者グループと米国の社会主義行動
  少数派形成。
   2003年は35カ国、200代表。
   2008年エコ社会主義者組織と自己規定。


  主なメンバー組織
   オーストリア社会主義選択(1972年結成)、ベルギー社会主義労働者党・革命的共産主義者同盟、カナダ第4インターグループ
  (IS内から1996年結成)、ケベック社会主義左翼(1983年RLWから結成)、デンマーク社会主義労働者党(1980年結成)、
  フランスLCR、ドイツ・国際社会主義左翼革命的社会主義者同盟(1994年VsPから分裂)、英国国際社会主義者グループ
  ギリシャ・スパルタクス共産主義国際主義者組織、アイルランド・社会主義民主、イタリア赤旗連合、オランダ社会主義選択政治
  (1972年PSPから分裂)、
  ノルウェー国際主義者同盟(1999年結成)、ポルトガル・革命的社会党(1978年結成)、スペイン・選択空間(反資本主義左翼)
  (1995年LCRから結成)、スウェーデン社会党(1971年統合で結成)、米国第4インターグループ(1985年SWPから追放、
  連帯内分派)など。

  主なシンパ組織
   オーストラリア社会主義民主(1985年SWPから分裂)、カナダ社会主義者行動(1998年旧RWLメンバー結成)、
  米国社会主義者行動(1983年旧SWPメンバー結成)。
  オブザーバー
   カナダ新社会主義者グループ(1996年ISから結成)、デンマーク赤緑連合(1989年合同結成)、ドイツ連帯展望協会(1986年
  統合)、イタリア批判左翼、ノルウェー赤選挙連合、米国連帯(1986年合同結成)など。

 分裂・合流
   1953年:国際書記局派ISFIと国際委員会派ICFIに分裂。
   1962年;ポサダス派分裂。
   1963年:国際書記局派ISFIと国際委員会派ICFIの米国SWP(ハンセン)などが統合、再統一第4インターナショナル生成。
   1964年:モレノ派参加。
   1965年:国際革命的マルクス主義傾向(パブロ派)が再統一第4インターナショナルから分裂。
         英国のミリタント傾向テド・グラント、革命的社会主義者同盟)が去る。
   1974年:テド・グラント派が労働者インターナショナル委員会結成。
   1978年:労働者革命党WRPから分裂した労働者社会主義同盟(ソーネット)がUSFIに参加。
   1979年:モレノ派分裂。
   1984年:革命的共産主義者インターナショナル運動(後の第5インターナショナル同盟)が結成される。
   1986年:オーストラリアSWP(1972年結成)が離れトロツキズム放棄。
   1987年:国際委員会派ICFIの旧ヒーリー派(英国の労働者社会主義者同盟など)が再統一第4インターナショナル合流。
         (旧ヒーリー派などが合流した英国の国際社会主義者グループが参加する。)
   1990年:米国SWPが追放され共産主義者同盟を名乗り開拓者傾向となる。
   1995年:パブロ派合流。

第4インターナショナル国際委員会ICFI  ⇒系統図
   1953年、ミッシェル・パブロエルネスト・マンデルの国際書記局と不満な米国の社会主義労働者党SWP、イギリスの
  ゲリー・ヒーリー、フランスの国際主義共産党PCIピエール・ランベールらはパブロ派を修正主義(加入戦術、歪められた
  労働者国家の認容など)として非難しICFI結成。
   SWPはマッカーシズムなどで国際協力が困難になり、1958年第1回会議もオブザーバー参加。
   アルジェリア独立戦争、キューバ革命などでSWPはISFIと意見が一致しISFIに接近。
   一方ISFI内でパブロが影響力を失い、統合の障害が除かれる。
   1962年ICFIとISFIは両組織の国際会議組織のための同格委員会を結成。
   1963年SWPとオーストリア、カナダ、中国(香港か)、ニュージーランドの小さなICFI支部がISFIとの統合に合意し
  統一書記局結成。
   これはSWPの革命傾向ティム・ウォルフォース(1966年労働者同盟結成)、ジェームズ・ロバートソン)、英国の
 社会主義労働者同盟SLL(ゲリー・ヒーリー)、フランスのPCIに反対される。

   1966年国際協議会には社会主義労働者同盟SLL、ランベール派PCI、1964年参加のルカス・カルリアフティスのギリシャ組織
  労働者前衛が参加。ミッシェル・ヴァルガ(PCIメンバー)が亡命ハンガリー革命的社会主義者同盟を代表。
   米国からはティム・ウォルフォースジェームズ・ロバートソンの2つのグループが参加。この会議の結果ジェームズ・ロバートソン
  のスパルタクス主義傾向が分裂。
   この会議ではまたSLLとPCIの間に亀裂が発生。PCIは国際主義共産主義組織OCIと名を変え穏健化の方向を示す。
   1960年代末まですべての極左傾向は拡大成長し、国際交流も容易となった。
   ティム・ウォルフォースらは1964年SWPから追放されICFI支持グループは1966年労働者同盟結成。
   ティム・ウォルフォースはパートナーのCIAスパイ問題で1974年労働者同盟から離れSWPに戻る。

   SLLとOCIはそれぞれの方法で他国のグループを取り込んでいた。
   OCIはボリヴィアPOR、ハンガリー人のミッシェル・ヴァルガ、ドイツ社会主義労働者同盟BSA、アルゼンチン労働者の力など
  を引き入れた。
   SLLはアイルランドの労働者共和国同盟LRW(1968年結成)から革命的マルクス主義者グループを1972年に、セイロンの
  革命的共産主義者同盟サマ・サマジャ党革命から1968年結成)、米国の労働者同盟などをICFIに引き入れた。

   1971年国際主義共産主義組織OCIとICFI周囲のその支持者が第4インターナショナル再建組織委員会OCRFI結成。
   これは1979年ナウエル・モレノと融合。
   OCIはICFIをSLLの範囲を出ない小宗派と批判、OCRFIはICFIを凌駕。

   1972年4回国際会議には8ヶ国から代表参加。
   1974年SLLは労働者革命党WRPと名称変更、アイルランド、ギリシャ、ドイツ、スペイン、オーストラリア、米国、セイロン、
  ペルーのグループとICFI構成。
   1970年代末まで1960−1970年代の革命的反乱は衰退しICFIのメンバーは低下。
   1971年のICFIの分裂でSLLにも分裂が発生、1974年にはランベール派支持のブルティン・グループ結成されOCRFI参加、一方、
  アラン・ソーネット労働者社会主義同盟WSLが結成される。
   SLLのOCI支持グループは1979年社会主義者労働者グループSLGを結成し、第4インターナショナル再建同格委員会参加。
   ランベール派の内部分裂で1987年SLGの指導部の多くが再建国際センターFI−ICRのルイス・ファヴルカミロ・ゴンザレスらの
  グループ側につく。

   労働者革命党WRPの指導者は発展途上国の民族主義指導者と機会主義的的同盟に入った。
   これはICFIに混乱を起こした。WRPは英国で著名人物(著名女優ヴァネッサ・レドグラヴなど)を獲得したが全体としてICFIに
  反し独自路線を行った。
   WRPは1980年代中期組織内衝突を起こし不統一となり各グループがそれぞれのICFIを主張。
   1985年労働者革命党WRPのサダム・フセインやマハトマ・ガンジーなどのブルジョア政権やCPGPのスターリン主義者
  ゴードン・マクレンナン支持でICFIが分裂。
   ヒーリーとヴァネッサ・レドグラヴらの追放騒動がおこり、ニュースライン(ヒーリー)とクリフ・スローターの労働者出版に分裂。
  1986年、ヒーリーとノースの衝突でヒーリー派のWRP(ニュース・ライン)が分裂、デイヴィド・ノースのICFI支持派はWRPを離れ
  国際共産党を結成、これは1996年社会主義平等党SEPとなる。ヒーリー派は1986年はニュースライン(トレランス派)を追放し、
  更に分裂しヒーリーらは1987年マルクス主義党結成。
   スローター派も分裂に苦しみ一部は分裂後すぐに再分裂しモレノの国際労働者同盟に参加。
   スローター派は1990年第4インターナショナル再建労働者インターナショナル結成。

   1995年ICFI加盟の諸政党は社会主義平等党を名乗る。
   2006年には2つの活動的ICFIが生き残った、即ち、米国のデイヴィド・ノース労働者同盟(1995年社会主義平等党)と
  英国のWRPを名乗るグループ。

   現在のメンバーはオーストリア(1972年社会主義者労働者同盟として結成)、カナダ、ドイツ(1971年社会主義者労働者同盟
  として結成)、スリランカ、英国(1986年WRPから去り、1996年に改名)、米国の社会主義平等党。

  分裂
   1953年:第4インターナショナルが国際書記局派ISFIと国際委員会派ICFIに分裂。
   1963年:米国SWP(ハンセン)らがUSFIへ合流。
   1966年:スパルタクス主義者傾向(ティム・ウォルフォース)が追放される。
   1972年:第4インターナショナル再建組織委員会(ランベール派)OCRFI分裂。
   1978年:労働者社会主義同盟がUSFIに参加。
   1979年:SLLのOCI支持グループが社会主義者労働者グループSLGを結成し、第4インターナショナル再建同格委員会参加。
   1986年:英国WRPがヒーリー派とスローター派に分裂、スローター派は1990年第4インターナショナル再建労働者インターナショナル
    結成。 ヒーリーとノースの衝突でヒーリー派もノース支持の国際共産党(後の社会主義平等党)が分裂。

労働者インターナショナル委員会CWI  HP
   1974年、英国労働党で加入戦術をとるテド・グラント(1913−2006年)らのミリタント傾向グループが結成。
   ミリタント・グループはすでに1935年に労働党加入グループによって結成されている。(テド・グラントジョック・ハストン
  ゲリー・ヒーリーら)、1945年テド・グラントジョック・ハストンは西欧の経済展望でジェームズ・キャノンの米国SWPと対立。
   テド・グラントらは1950年RCPから追放され1952年頃独自に労働党加入。
   1964年雑誌ミリタント発行、1965年再統一第4インターナショナルから離脱。
   1983年に幹部が労働党から追放され、1991年に最終的に労働党を放棄(公然転換)。
   1992年CWI(ピーター・ターフェ(1942年−))はテド・グラントと分裂しやがて労働党外に1997年社会党(イングランドとウェールズ)
  を結成。テド・グラントらはグループから追放され社会主義の訴え結成。
   指導者はピーター・ターフェハンナ・セルら。
   再統一第4インターナショナルに次ぐ第2の国際組織。

   オーストラリア社会党(1985年発生)、オーストリア社会主義左翼党(2000年結成)、ベルギー・社会主義左翼党(1992年結成)、
  闘争社会党、カナダ社会主義選択、フランス革命的左翼(1992年LCRから分裂)、ドイツ・社会主義選択(1973年発生、WASG参加、
  リンケ結成で参加問題発生)、イングランド・ウェールズ社会党、ギリシャ社会主義国際組織、アイルランド社会党、イタリア社会主義闘争
  オランダ攻撃(1977年結成、社会党内、2009年禁止される)、ポルトガル社会主義選択、スウェーデン・社会正義党(1973年結成)、
  米国社会主義選択(1986年結成)、スコットランド連帯(2006年結成)など。

国際マルクス主義者傾向IMT  HP
   1993年、テド・グラントが労働党で加入戦術を継続するかどうかで終了派のミリタント傾向と分裂。
   アラン・ウッド社会主義の訴え、1944年生−)らが指導者。依然として労働党内に留まる。他国も加入戦術をとり、フランスやイタリア
  では共産党などに留まる。ラテン・アメリカで多くのグループを獲得し、2002年からベネズエラから手を引け運動に乗り出す。
   パキスタン人民党内グループ(ラル・カーン)が最大グループ。
   2009年末IMT指導部とスペイン、メキシコ、ヴェネズエラのグループが衝突、2010年これらとコロンビアのグループが
 革命的マルクス主義者潮流を結成。
   数ヵ月後IMTは更に分裂、スウェーデン、ポーランド、英国などで分裂が起き、新グループは新インターナショナルへ向けてを呼びかける。
   イランのグループもヴェネズエラのイランとの友好関係に関する問題で分裂し2011年英国の同調グループとマルクス主義復興委員会結成。

   労働者国際同盟(US)(2003年結成)、社会主義の訴え(UK)、 スイス・オーストリア・ベルギー・ドイツの火花グループ、フランス
  ・リポスト、オーストラリアカナダの反撃(ファイトバック)グループ、イタリア鎌・金槌(1986年結成)、スペイン・ミリタント(1989年
  結成)、スウェーデン・社会主義者(1992年攻撃から分裂)、デンマーク・社会主義観点、ギッリシャ・マルクス主義・フォニ
   ポルトガル共産主義者左翼など。

国際社会主義者傾向IST  HP
   トニー・クリフ(1917−2000年)のグループ、ソ連=国家資本主義説をとっていた。
   英国の社会主義労働党SWPが中心、トニー・クリフは1950年代第4インターナショナルから追放される。
   1970年代ロンドンのSWPのマルクス主義夏季学校がIST形成の基礎となる。

   1950年代トニー・クリフの社会主義評論グループSRG(1962年国際社会主義者グループIS、1977年SWPとなる)はクラブ
  (ゲリー・ヒーリー)から追放される。1950年代SRGはシャハトマン独立社会主義者同盟が1958年解散まで緩い関係をもつ。
   マイク・キドロンニゲル・ハリスクリス・ハーマンらが理論展開。指導者はクリス・バンベリーアレックス・カリニコスなど。
   1971年アイルランドのISグループが結成され以降オーストラリア、カナダ、ドイツ等にも結成。
   米国では独立社会主義者(1964年バークレイでシャハトマンらの社会党参加反対のハル・ドラッパー結成、1969年IS)と関係
  をもつ、これ(米国IS)は1978年分裂し、より近い国際社会主義者組織ISOができる。
   1960年代フランスの労働者闘争LOと協力関係に入る。
   1980ー1990年代に拡大するが1990年代に官僚制化で分裂も発生。ついにISOとSWPが反資本主義・反グローバリズムの
  問題(ISOが不熱心)で論争に入り2001年米国の国際社会主義者組織ISOが追放される。

   英国SWPの他、オーストラリア国際社会主義者組織(1970年代初期結成)、オーストリア左翼転換(1997年結成)、カナダ
  国際社会主義者(1975年結成)、デンマーク国際社会主義者(1984年VSから分裂)、フィンランド・社会主義者同盟、フランス・
  底辺社会主義(2007年LCR合流)、ドイツ左翼移行(1970年代結成、旧SAG、現在リンケ内)、イタリア・底辺共産主義
  ギリシャ・SEK(1980年代初期結成)、アイルランドSWP(1971年結成)、オランダ国際社会主義者(1988年結成)、
  ニュージーランド・社会主義労働者、ノルウェー・国際社会主義者(1981年結成)、スペイン・闘争ヘ、スウェーデン・
  国際社会主義者(2002年イギリスからの移住者結成)など。

国際スパルタクス主義傾向(国際共産主義者同盟)  HP
   米国SWPの革命傾向に起源。1964年スパルタクス主義者同盟(ジェームズ・ロバートソン)を名乗る。
   1966年ICFIから排除される。1978年国際ボルシェヴィキ傾向分裂。1996年第4インターナショナル同盟ジャン・ノードン)分裂。

   英国スパルタクス主義者同盟(WSLから1978年分裂)、カナダトロツキスト同盟(1975年結成)、フランストロツキスト同盟
  (1998年LCRから分裂)、ドイツ・スパルタクス労働者党(1990年結成)など。

○共産主義者同盟(開拓者傾向
   米国SWPジャック・バーンズ)を中心とするキューバ革命支持グループ。
   1980年代永続革命などの伝統的トロツキズムから離れ、キューバ革命やサンディニスタFSLN支持。

   オーストラリア、英国(1988年社会主義行動から追放)、カナダ(1977年RWL結成、1990年共産主義者同盟)、フランス(1999年
  共産主義者同盟)、アイスラン共産主義者同盟2001年結成)ド、ニュージーランド(1969年結成、共産主義者同盟)、スウェーデン
  (1980年代社会党から分裂)の共産主義者同盟、米国SWP

国際労働者同盟  HP
   USIFのラテンアメリカでのゲリラ戦支持に反対するアルゼンチンのナウエル・モレノが1982年結成。
   モレノ派は国際委員会ICFIに加わったが、1963年再統一第4インターナショナルUSFIに参加。
   USFIはラテン・アメリカでのゲリラ戦を支持したが、モレノ派は反対。
   ニカラグア内戦でサンディニスタを批判したが革命党建設支援のためシモン・ボリヴァル旅団を送る。USFIはこれに反対。
   モレノ派とランベール派第4インターナショナル再建組織委員会は1980年第4インターナショナル再建同格委員会結成。
   これはすぐに分裂しモレノ派は国際労働者同盟結成。ランベール派は第4インターナショナル(再建国際センター)結成。
   1994年中南米の組織が正統トロツキズム国際センターとして分裂。これは2005年解散し多くは国際労働者同盟に戻るが、
  他は国際社会主義者同盟結成。
   1990年代中に第4インターナショナル再建労働者インターナショナルと協力。
   
   英国国際社会主義者同盟(1988年WRPから分裂)、ベルギー国際労働者同盟、フランス国際主義社会主義者グループ
  ポルトガル左翼革命戦線(2000年FRPから分裂)、スペイン革命的労働者党(2001年PRT−IR合流解散)、イタリア
  共産主義者選択党(2006年結成)など。

第5インターナショナル同盟  HP
   1984年ロンドンで革命的共産主義者インターナショナル運動として発足
   最初のメンバーは英国労働者の力(1973年国際社会主義者ISから分裂、デイヴ・ストッキング)、アイルランド労働者グループ
  (1976年社会主義者労働者運動SLMから分裂)、フランスの労働者の力、ドイツの労働者の力(1982年まで存在したスパルタクス
  同盟に起源)グループ。
   ソ連以外はキューバも退廃した労働者国家説。1989年会議のあと共通綱領”トロツキスト宣言”採用。
   のち革命的共産主義者インターナショナル同盟と改名、ペルー、ボリヴィア、ニュージーランドから新規参加と、オーストリア、フランスの
  多くのメンバー離脱(指導部の世紀の変わり目で階級闘争の進展があるという説に反対)。共産主義者労働者グループ
  1995年革命的共産主義者インター・ミリタント連絡委員会などが分裂。
   1998年青年グループが独立組織革命結成。2006年追放されたグループが永続革命結成。
   2004年革命的共産主義者インター・ミリタント連絡委員会は事実上崩壊し、ニュージーランドの共産主義者労働者グループ
  国際トロツキストフラクション(南米のグループ)に参加。

国際主義者共産主義者連合
   フランス労働者闘争LO周辺の小グループ、革命は労働者階級によって起こるとし、労働者階級の革命党建設を目指す。
   フランス労働者闘争LO以外は米国の火花、英国の労働者闘争、イタリアの共産主義労働者サークル・インターナショナル
   スペインの雑誌 ”階級闘争”周辺のグループなど。

第4インターナショナル再建調整委員会
   2004年結成。ブエノスアイレスで結成。南米中心にギリシャ、イタリア、トルコなどの組織が参加。
   アルゼンチンの労働者党POが最大の党。ギリシャの労働者革命党EEKと国際トロツキスト反対派(イタリアの共産主義者計画)は
  アルゼンチンのPOと異なる起源であるがこの加入でギリシャとイタリアに小グループをもった。
   イタリアは共産主義者計画、他に米国の連帯再建と革命、フィンランド・マルクス主義労働者同盟など。

労働者人民国際連絡委員会労働者人民国際協商) 労働者インターナショナル国際連絡委員会
   フランスの労働者党ランベール派)PT周辺の種々の傾向を含むグループ。90ヶ国を越える国の労働組合と政治活動家が参加。
   1991年63カ国の代表が参加して結成。
   ドイツの社会政治・民主、スペインの労働者情報、スウェーデンの国際労働者ネットワーク、米国の社会主義者組織者(1991年
   社会主義行動から分裂)など。
   フランスの独立労働者党のダニエル・グリュックシュタンらが指導者。

第4インターナショナル再建国際センターICR(ランベール派)
   ランベール派は1972年第4インターナショナル再建組織委員会OCRFI結成、これはナウエル・モレノと短期間(1979−1980年)協力、
  これにより1980年第4インターナショナル(国際委員会)結成。しかしランベールのミッテラン支持でモレノと不和、モレノ派は国際労働者同盟結成。
  ランベール派は1981年第4インターナショナル再建国際センターICR結成。1993年国際会議に44支部参加。
   1986年にはルイス・ファヴル(パリでOCI参加、のちにブラジル労働者党参加)がランベールに批判的になる。
   ICRは労働者人民国際連絡委員会と密接に結びついて1993年第4インターナショナルを自称。
  ベルギー・労働者政治、フランス・国際主義者共産主義者潮流(独立労働者党内)、ポルトガル・社会主義統一労働者党、スペイン・
  国際主義者社会党、スイス・労働者政治サークル連合、米国・社会主義者組織者など。

国際トロツキスト反対派
   1992年、イタリアのフローレンスで結成。
   共産主義者計画がこのグループの最大組織。共産主義者計画第4インター再建調整委員会にも参加。
   米国では革命的労働者同盟RWLから分裂したトロツキスト同盟(1991−2002年)、これは2002年連帯に参加し再建と革命潮流となり
  第4インターナショナル再建調整委員会に参加。

トロツキスト・フラクションFT−CI
   1988年モレノ派の国際労働者同盟のアルゼンチン社会主義運動から追放されたグループが結成。
   アルゼンチンの社会主義労働者党、ボリヴィアの革命的労働者同盟、メキシコの社会主義労働者同盟やブラジル、チリ、コスタリカなど
  のグループが参加。
   2004年トロツキスト・フラクション国際戦略となる。

第4インターナショナル政治再建国際トロツキスト委員会 あるいは
   1984年トロツキストインターナショナル連絡委員会TILCの実質的継続として結成。
   トロツキストインターナショナル連絡委員会は1979年英国の労働者社会主義者同盟WSL(アラン・ソーネット)が結成。
   イタリアLOR、デンマーク、米国、トルコにグループが存在。
   1981年WSLに国際共産主義者同盟ショーン・マットガンマ)が合流。1983年ソーネット派とマットガンマ派が対立しTILC支持派が追放され
  労働者国際主義者同盟WIL結成、しかしこれは間もなく分裂しTILCは解散。しかし1984年旧WILメンバーが1984年革命的国際主義者同盟結成。
   TILCの多数派(イタリア、米国、英国、デンマーク)は国際トロツキスト委員会ITCとして再結集。
   ソーネットらは後にWSLから追放され社会主義者グループを結成し1987年国際グループと合同し再統一第4インターナショナル支部の
  国際社会主義者グループ結成。
   米国グループの革命的労働者同盟RWLは1980年代中にモレノ派に引き寄せられる。

第4インターナショナル再建労働者インターナショナル
  1990年、英国の労働者革命党(労働者出版クリフ・スローター)支持グループが結成。
  労働者革命党からは1988年国際社会主義者同盟が分裂しモレノの国際労働者同盟に参加。

第4インターナショナル共産主義者組織
  1992年、米国のシー・ランディらの革命党同盟国際社会主義者ISに由来)が結成。

フアン・ポサダス
  ポサダスは1912年アルゼンチン生まれ(−1981年)のイタリア移民の子。30台で社会主義革命党に参加、この党は1941年
 第4インターナショナルに参加。
  アルゼンチンのトロツキストは1941年社会主義革命労働者党PORSに合同するが間もなく分解。
  1947年第4インターナショナル・グループGCI結成。
  1950年代第4インターナショナル・ラテンアメリカ局指導者となる。
  1953年分裂ではパブロ派を支持。1959年核戦争問題で国際書記局多数派と衝突(ポサダスは核戦争は資本主義を崩壊させ社会主義
 への道を切り開くと主張)。
  1962年分裂しポサダス派第4インターナショナル結成。特にキューバ(鉄道労働者)、ボリヴィア(錫鉱山労働者)、ブラジル(農業労働者)
 などに支持者が存在。
  1960年代後半からカストロと衝突。ポサダスは晩年奇怪な行動をとるようになる。
  ポサダス派は1981年のポサダスの死亡まで斜陽化し崩壊。

ナウエル・モレノ
  アルゼンチン出身で1924年生まれ(−1987年)。
  1944年マルクス主義労働者グループGOM結成。これは1948年革命的労働者党PORとなり第4インターナショナルと接触。
  PORは英国の革命的共産党の意見を支持。
  1953年分裂では国際委員会派を支持。モレノ派はペロニスト運動に参加。
  PORは1954年ラテンアメリカ委員会を形成。1957年正統トロツキズムラテンアメリカ局結成。
  1963年の再統一でポサダスに代わりラテンアメリカ局指導者となる。
  モレノはニカラガ内戦問題等で統一書記局派USFIと衝突しランベール派第4インターナショナル再建組織委員会と1980年
 第4インターナショナル再建同格委員会結成。これはすぐに分裂しモレノ派は国際労働者同盟結成。

ランベール
  ピエール・ランベールは1920−2008年。モリニエのPOI、PCI、OCI、PTに参加(結成)。
  1953年分裂で国際委員会派ICFIに参加。
  1971年第4インターナショナル再建組織委員会OCRFI結成。これはナウエル・モレノと短期間(1979−1980年)協力、
 これにより1980年第4インターナショナル再建同格委員会(国際委員会)結成。しかしランベールのミッテラン支持でモレノと不和、
 モレノ派は国際労働者同盟結成。
  ランベール派は1981年第4インターナショナル(再建国際センター)ICR結成。



*主要人物  戦闘社会主義者 略伝


ミカリス・ラプティス(ミッシェル・パブロ)
エルネスト・マンデル
ダヴィド・コルネル
ロベール・バルシア
ダニエル・ベンサイド
アラン・クリヴィーヌ
コルネリウス・カストリアディス
ミッシェル・ヴァルガ
ピエール・フランク
ピエール・ランベール
アイザック・ドイッチャー
トニー・クリフ
テッド・グラント
ゲリー・ヒーリー
アラン・ソーネット
ピーター・ターフェ
ハル・ドラッパー
アラン・ウッド
マックス・シャハトマン
ジェームズ・キャノン
ラーヤ・ドゥナウエフスカヤ
シリル・ジェームズ
ジャック・バーンズ
ジェームズ・ロバートソン
ジョセフ・ハンセン
デイヴィド・ノース
ジャン・ノードン
ジェームズ・バーナム
アーヴィング・クリストル
リヴィオ・マイタン
ルイス・ファヴル



左翼共産主義

 左翼共産主義はボルシェヴィキ思想を批判し、コミンテルンのレーニン主義に対しより真のマルクス主義であるとする。
 その元祖ともいうべきはローザ・ルクセンブルクである。
 左翼共産主義はドイツ・オランダの評議会共産主義とイタリアのボルディガ派が主なものである。
 左翼共産主義にはアナーキズムも見え隠れする。
 レーニンの左翼小児病で批判の対象となっているのはカール・エアラー(ハインリッヒ・ラウフェンベルク、KAPD)、カール・ホルナー
アントン・パンネクーク)、シルヴィア・パンクハースト労働者社会主義連合)、オランダのトリブーネ・グループ(ダヴィド・ヴァインコープ)らで内容は
反議会主義、反労働組合主義、非妥協性、党組織論(反集中制)である。

評議会共産主義  独蘭左翼共産主義者 戦後
 主な人物はオランダのアントン・パンネクークヘルマン・ホルテルカホ・ブレンデルカンネ・メイエル、ドイツのカール・コルシュ
オットー・ルーレヤン・アペルポール・マティックウィリー・フーンアルフレッド・ヴィーラント、フランスではマクシミリアン・ルベルアンリ・シャゼ
ベンジャマン・ペレアンリ・シモン労働者情報通信社会主義か野蛮かコルネリウス・カストリアディスクロード・ルフォール、初期のイギリスの
シルヴィア・パンクハーストなど。

 →アントン・パンネクークの人と思想(人間と思想と活動の詳しい論評)  パンネクークのコルネリウス・カストリアディスへの手紙(1953年)
 →オランダとドイツの共産主義左翼
 →アントン・パンネクーク小伝(生涯・事績の概要)
 →ヘルマン・ホルテル小伝

 1920年ドイツでKPDから分裂して共産主義労働者党KAPDが結成される。
 1921年、KAPDからフランツ・プフェムフェルトオスカー・カネールらが分裂しオットー・ルーレ総労働連合統一組織AAUE結成。
 1922年エッセン・グループとベルリン・グループに分裂。
 1922年KAPDのヘルマン・ホルテル含むエッセン・グループが共産主義労働者インターナショナル結成。(ベルリン・グループは時期早々という考え)
 オランダ共産主義者労働党、シルヴィア・パンクハーストの共産主義労働者党などが参加。1920年代中期に解散。
 1926年KPD追放のエルンスト・シュヴァルツカール・コルシュの断固(エントシーデネ)左翼グループとベルリン・グループが短期間合同。
 ワイマール共和国末期のファシズム抵抗組織は赤い戦闘者共産主義評議会連合ドイツ共産主義労働者連合KAUDである。
 KAUDは1931年、総労働者連合AAUの一部と、AAUEとKAPDが結成。創設にはヤン・アペルがかかわり、オランダの国際共産主義者グループ
GICと関係をもった。世界産業労働者IWWドイツ支部とも連携した。1933年以降メンバーは赤い戦闘者共産主義評議会連合で活動。
 共産主義評議会連合はブラウンスヴァイクを拠点とし、1934年まで活動、20人ほどがナチスに逮捕された。
 アウグスト・メルゲス(1945年ナチスの悪待遇が原因で死亡)、ミンナ・ファスハウアーなどが参加。
 コルシュは1936年米国に渡り大学生活、ルーレは1943年メキシコで死亡。
 マティックは1934年シカゴで国際評議会通信(1934−1943年)責任者となる。これには、コルシュ、ルーレ、パンネクークらが寄稿。
 この雑誌は1934年アメリカプロレタリア党から分裂した統一労働者党が発行。
 雑誌は1930年年代末はヨーロッパ評議会共産主義者と名を変え地下化。
 マティックは1950年代はマッカーシズムで隠遁。
 ウィリー・フーンは1948年SPDに参加し1954年SPD歴史解釈問題で追放される。1960年代はSDSのマルクス主義派ミカエル・マウケと行動。
 アルフレッド・ヴィーラントは1950年西ベルリンでロシアにより誘拐され釈放運動により1958年解放される。SPDに参加し議会外反対派と
ブラントの東方政策に反対。晩年は左翼急進青年運動を批判。

 オランダでは1921年ヘルマン・ホルテルがドイツのKAPD兄弟組織ネーデルランド共産主義労働党KAPNを結成。
 1922年KAPDの分裂によりKAPNも分裂、パンネクークはベルリン・グループを支持、これは1927年にカンネ・メイエルらと
国際共産主義者グループGICとなる。
 ホルテル(1927年死亡)はエッセン・グループ(カール・シュレーダーアルトゥール・ゴールドシュタイン)を支持し、1922年結成の
共産主義者労働者インターの指導的支持者となる。
 他のKAPNはヴォルトフーリンク・ファン・ルテラーンとフリッツ・クニーフのもと1932年まで存続、1926年一部が国際共産主義者結成。
 ヤン・アペルは1926年オランダに移ってきてGICでカンネ・メイエルらと行動。
 小評議会主義グループ左翼労働者反対派(エドワルド・シラク、1932−1934年)メンバーのマリウス・ファン・デル・ルッベ
1933年2月のドイツ国会議事堂放火の犯人として処刑される。
  GICメンバーはマルクス・レーニン・ルクセンブルクMLL戦線から1942年結成された共産主義者同盟スパルタクスに参加。
 パンネクークは1920年代に政治から退き、戦中は天文学に専念、戦後1946年著作を発表。
 戦後パンネクークカンネ・メイエルスパルタクスを支配する。
 1947年カンネ・メイエルベンヤミン.A.シヘスらが評議会共産主義グループ'結成。これは1948年消滅。    
 カンネ・メイエルらはプロレタリアの革命性に懐疑的になりマルクス主義から離れる。
 スパルタクスは社会主義か野蛮かの(現代資本主義)影響を受け、1950年代末まで共産主義者同盟スパルタクス同盟が
スパルタクス同盟となり、1980年消滅。
 1964年カホ・ブレンデルらの”行為と思想”が分裂。行為と思想は1968年学生反乱で第3世界論に近づく。
 ヤン・アペルは1975年の最初の国際共産主義者潮流会議参加。

 1923年ボルディガ派のミケランジェロ・パッパラルディはドイツで左翼共産主義者、特にカール・コルシュらと接触していた。
 フランスではドイツ左派やフランス、ベルギーにいるイタリア左派の結集に勤め、同年イタリア共産党を離党し、1926年ロドヴィコ・ロッシ
ブルーノ・ビッベ、エウジェニオ・モルッツォらと独立共産主義者グループを結成し反ファシスト急進派の結集に向かった。
 パッパラルディはドイツ左派に接近しすぎ、オットリノ・ペッロネを指導者とするフランス、ベルギーのイタリア左派と相違が出始め組織崩壊し、
1927年共産主義前衛グループが結成され覚醒共産主義者を発行。(オットリノ・ペッロネは1928年イタリア共産党左派を結成。)
 覚醒共産主義者のドイツ・オランダ共産主義左派路線派は評議会主義者(アンドレ・プリュドモ)と1929年共産主義労働者グループ
GOCを結成。これにロシアから逃れてきたガヴリル・ミアスニコフが参加。GOCは1930年分裂し始め、1931年消滅。
 アンドレ・プリュドモジャン・ドトリーら共産主義リバータリアンは1931年スパルタクス、1932−1933年には労働者国際通信発行。
 パッパラルディは活動困難となり隠遁し1940年ブエノス・アイレスで死亡。

 マルク・シリックが1933年左翼共産主義者アンリ・シャゼらと共産主義者連合結成。これにはSFIO加入を好まなかった
共産主義者同盟もメンバー参加。
 共産主義者連合評議会共産主義に向かい、更にパリのボルディガ派、1933年分裂したトロツキストの一部を迎え、イタリア左派に次ぐ
反スターリン派組織となる。
 ハンガリー人のヴォラディ(ラング)、ジャン・ド・ラステラード、スザイコ・ションベルク、アンリ・シャゼらが中心となる。
 1937年にはスペイン内戦問題でボルディガ派反対グループの国際協議会を開催し、ベルギーの国際主義者共産主義者同盟LCI、米国の
ヒューゴ・イーラー革命的労働者同盟RWL、B.J.フィールドの革命的労働者党同盟(1934年米国共産主義者同盟から分裂)、オランダのGIK
個人ではガブリエル・ミアスニコフ、アルカディ・マスロフ、ルート・フィッシャーらが参加。戦争により外国人活動家の逮捕、逃避で1939年消滅。

 1941年評議会主義者、トロツキスト、アナーキストが革命的プロレタリア・グループGRP結成。1947年消滅。
 パヴェル及びクララ・タールマン(戦後なかば隠遁)、ピエール・ランネレーマクシミリアン・リュベル(1945年GRPから去る、戦後学究生活)
など参加。
 ピエール・ランネレーは1945年GRPを去り革命的共産主義者組織(1944−1946年、ドイツのRKDPCIトロツキストに近い活動家結集)
の分裂の後継の”流れに抗して”に参加。1946年には国際左翼共産主義者フランス・グループに参加。1950年社会主義か野蛮かに参加。
 1951年サンフランシスコ移住。
 マルク・シリックは1937年ボルディガ派に加わり、1943年スザンヌ・ヴト、ロベール・サラマ、イタリア人活動家(旧ボルディガ派)らと
国際左翼共産主義者フランス・グループを結成、1944年ボルディガ派と別れロベール・サラマセルジュ・ビリシアネらとフランス左翼共産主義者
GCFを結成、これは1952年解散し、マルク・シリックはベネズエラに移住し1968年国際革命結成に参加。これは1975年国際共産主義者潮流
結成に参加。
 サラマは1968年には国際革命結成に関係。
 国際左翼共産主義者フランス・グループFFGCIはマルク・シリックロベール・サラマが1944年に去ってから1943年にオノラト・ダメンらが
結成した国際主義共産党と結びつく。革命的共産主義者組織から分裂した流れに抗してグループ(ピエール・ランネレー)が1946年に参加。
 共産主義者連合の再建が不可能なため旧メンバーが、スザンヌ・ヴト、アルベール・ヴェガ率いるFFGCIに合流。
 アンリ・シャゼが旧共産主義者連合の縁でブルノ・マフィを通してミラノとパリの連携を行う。オノラート・ダーメンはボルディガとロシアと
労働組合問題で意見相違となりこれが旧共産主義者連合のFFGCI加入をもたらす。
 しかしスザンヌ・ヴトらのボルディガ派と旧共産主義者連合の非ボルディガ派の相違が拡大、1949年ジャン・ド・ラステラードが分裂。
 この相違は社会主義か野蛮かとの公開論争で拡大し1950年非ボルディガ派のアンリ・シャゼアルベール・ヴェガらが社会主義か野蛮かに参加。
 イタリアのボルディガ派の危機でFFGCIは1951年活動停止。

 1946年PCIのカストリアディスルフォールグループが社会主義か野蛮かグループ結成。
 1948年社会主義か野蛮かはPCIとトロツキズムから離れ、米国のジェームズ−ドゥナウエフスカヤグループに近い立場をとる。
 1951年戦前の共産主義者連合を含む国際左翼共産主義者フランス・グループの非ボルディガ派(アンリ・シャゼら)が参加。
 カストリアディスアントン・パンネクークと論争を行う。
 1951年カストリアディスルフォールが衝突、1958年ルフォールアンリ・シモンのグループが労働者連絡情報グループ結成。
 1960年代マクシミリアン・リュベルゴ・ヴァン周辺に評議会共産主義者グループが形成される。
 1960年カストリアディス(マルクス主義放棄)反対派はジャン・フランソワ・リオタールピエール・スユリアルベール・ヴェガの周囲に結集、
1963年分裂し、労働者の力Pouvoir Ouvrier結成し1969年解散。社会主義か野蛮かは1967年自動的に解散。
 労働者連絡情報は1973年解散し、アンリ・シモンは1975年からゴ・ヴァンらと交換と運動に参加。

 1960年代、スペインの第4インター支部の流れを汲むナタリア・セドヴァの影響を受けた革命的労働者推進が詩人ベンジャミン・ペレのおかげで
フランスに影響を及ぼした。革命的労働者推進は1959年フランスでグランディソ・ムニスベンジャミン・ペレらが結成。
 1960年代レーニン主義から離れ評議会共産主義者に結集。

 ギ・デボールが1957年状況主義者インターナショナルISを結成。これは評議会主義とリバータリアン組織で労働拒否と日常生活革命を支持。

 1965労働者の力の活動家(ピエール・ギヨームジャック・バイナック)がカルチエ・ラタンに古いモグラという書店を開設。
 この書店は種々の極左の書籍を販売。
 1967年古いモグラ活動家が労働者の力から追放される。翌年ジレ・ドヴェらが参加。古いモグラは1972年解散。
 ジレ・ドヴェは雑誌社会戦争(1977−1984年、ドミニク・ブラン)創設に参加。社会戦争は1980年ロベール・フォリソンのホロコースト否認支持で
分裂しジレ・ドヴェセルジュ・カドリュパニと1983年バンキーズ(流氷)創設(−1986年)。
 労働者の力の解散で一部の活動家は1971年労働者評議会権力のためのマルクス主義者グループGMPCT結成し左翼マルクス主義者となり、
雑誌継続闘争発行(セルジュ・コセロンピエール・スユリら)。これは1973年解散。

 イギリスの連帯は1960年社会主義労働者同盟SLLから追放されたグループが結成しカストリアディスの影響を受けていた。
 モリス・ブリントンを指導者とし1981年までまで全国的に存在。メンバー(アンディ・アンダーソン、ケン・ウェラー、ジョン・キング、
ジョージ・ウイリアムソン、リズ・ウィリスら)は雑誌扇動者を発行し、盛んに著述活動を行い、1960年代平和運動の100委員会や1980年代初期
ポーランド連帯運動などで活躍。
 このグループから1970年代中期国際革命が結成され、翌年共産主義労働者組織(ボルディガ派)少数派が合流。

 アメリカでは1968年の余波でポール・マティックの息子が根と枝Root and Branchをボストンで発行。1973年消滅。
 オーストラリアではメルボルンで1944年ジェームズ・アーサー・ドーソンによって評議会共産主義運動が展開されたが1949年成果なく消滅。
 スウェーデンでは1970年代始め国際労働者闘争Internationell Arbetarkampf (1973年毛派から分裂したマニフェスト・グループから発生、すぐ消滅)
統一労働者の力Forbundet arbetarmakt(1972−1985年)が出現。国際労働者闘争はパンネクークの著作などをスウェーデンに紹介。
 統一労働者の力は1972年ナーキストにより結成され1979年解散するが雑誌評議会権力Radsmaktを1981−1985年発行。


革命党国際事務局 (ボルディガ派)  HP ボルディガ派 ベルギーのボルディガ派 
 1983年イタリアの国際主義者共産党、英国の共産主義者労働者組織の発議で結成。
 国際主義者共産党は1943年イタリアのオノラート・ダーメンブルーノ・マフィらが結成。1949年アマデオ・ボルディガ参加。

 共産主義者労働者組織CWOは1970年代中期リヴァプールを拠点とする労働者の声と以前連帯で活動していたスコットランドグループの
革命的展望の連合で結成。両グループは国際共産主義者潮流ICCに参加していたが、意見不一致発生。
 労働者の声は結成間もなくCWOを去る。1976年まで残りのCWOは分裂し、少数派は世界革命に参加。

 イタリアの国際主義者共産党は1943年北イタリアで旧共産党のオノラート・ダメンマリオ・アックワヴィヴァらが結成。彼らはアマデオ・ボルディガ
共産主義左翼に接近したため追放された。社会党からはブルーノ・マッフィが参加。
 1944年まで約2千のメンバーとなりトリノやミラノで工場グループを結成しPCIの内部委員会と対立。
 ファウスト・アッティマリオ・アックワヴィヴァは1945年スターリン主義者によって暗殺された。
 解放後、中央・南部イタリアに広がったイタリア社会主義者・共産主義者左翼分派と統合し成長し続けた。
 19461月大会にはオットリノ・ペッロネのようなファシズム期亡命のフランスやベルギーの外国代表が参加、あるいはフランス、ベルギー、スペインの
1930年代、1940年代の旧イタリア共産党左派も参加。
 この時期アマデオ・ボルディガと協力を始める。
 1946年選挙では約2万4千票、0,11%。
 1952年、労働組合や民族解放闘争の評価、党組織問題等で分裂。

 ・オノラート・ダメン共産主義者戦闘(バッタリア)(1965年国際主義者共産党となる)、1979年ダメンが死亡し、1983年
 革命党国際事務局結成。
  共産主義者戦闘はフランスの社会主義か野蛮か、米国のラーヤ・ドゥナエフスカヤニュース・手紙委員会、スペインの
 グランディソ・ムニスの革命的労働者扇動、ブルーノ・フォルティキアリアッリゴ・セルヴェッティの共産主義行動、ダニロ・モンタルディ
 プロレタリア統一などの他の政治組織との協力に積極的。1977年国際共産主義者左翼グループ会議を組織、これには国際共産主義者潮流
 参加。
  1983年、英国の共産主義者労働者組織革命党国際事務所結成。

 ・アマデオ・ボルディガオットリノ・ペッロネブルーノ・マッフィの共産主義者計画(プログランマ)(1965年国際共産党となる)。

 1964年現状分析問題で共産主義者計画から共産主義者革命が分裂。
 共産主義者革命から1965年年党組織問題で独立国際共産主義者グループが分裂。
 1974年歴史解釈問題で共産主義者計画から国際共産党−共産党partitoやその他小グループが分裂。
 1980年代初めに共産主義者計画は分解し、共産主義者ボッレティノ(小冊子)、国際主義者カデルニ(記録)など発生。

 アマディオ・ボルディガ(1889−1970年)は1910年イタリア社会党に参加し、1912年若い同志とカール・マルクス・サークルを結成。
 ボルディガは代議制民主主義をブルジョア選挙主義として強く拒否。1917年には頑固革命派の鼓舞者。ロシア革命勃発で国際共産主義運動
に参加し、PSI内で共産主義棄権主義派(ブルジョア選挙参加反対)を形成。1921年トリノの新秩序のグラムシ、トリアッティとイタリア共産党結成。
 ボルディガ指導下の共産党は他のコミンテルン参加党と非常に異なっていた。素朴な労働者構成で知識人によるピラミッド型階層組織ではなかった。
 1923年ボルディガと他の指導者の逮捕でコミンテルンにより執行部が交代させられた。
 1926年秘密会議で左派はモスクワに整列する中央派(グラムシ、トリアッティ、テラチーニ)により少数派に追いやられた。
 1930年トロツキ−支持で追放される。1944年連合軍上陸で1921年の旧同志がボルディガ周囲に結集。戦後最初の党大会参加拒否し、
国際主義者共産党の機関紙共産主義者戦闘に協力、1945年国際主義者共産党参加。 

 1926年イタリア共産党大会で中央派支配が確立し、左派の活動余地はなくなり、1927年ミケランジェロ・パッパラルディが離党し共産主義前衛グループ
を結成、雑誌”覚醒共産主義者”発行。オットリノ・ペッロネのグロープはボルディガの指示で党内に留まる。
 ミケランジェロ・パッパラルディはドイツで左翼共産主義者、特にカール・コルシュらと接触していたがオットリノ・ペッロネを指導者とするフランス、ベルギーの
イタリア左派と相違が発生。覚醒共産主義者はアンドレ・プリュドモらの1929年結成に共産主義労働者グループに参加。これは1931年消滅。
 1933年マルク・シリックアンリ・シャゼらが結成した共産主義者連合にボルディガ派が参加。

 ムッソリーニの政権掌握(1926年共産党禁止)による左派グループの国外移住でフランス、ベルギー(、米国)へ広がった。
 一方にはエンリコ・ルッソ、ピエロ・コラッディ、オテッロ・リッチェリ、ブルノ・ビッビ、フェルディナンド・ボルサッキらの20代の若い労働者がいた。
 他方エルシリオ・アンブロジヴィルジリオ・ヴェルダロマリオ・デ・レオーネ、ジョヴァンニ・トルニエッリらの30−40代の知識人がいた。
 オットリノ・ペッロネ(ヴェルチェージ)はブリュッセルで、1928年イタリア共産党左派結成の中心となり、ヴィルジリオ・ヴェルダロとプロメテオ(1928−1937年)
、ビランBilan(1933−1938年)などを発行。
 ビランにはベルギーのアデマール・アンノーが協力。イタリア共産党左派結成にはベルギー、フランスとパリ、リオン、ブリュッセル、ニューヨークから代表参加。
 1931年からトロツキストとの協力(ドイツ、ベルギー、フランス)が模索されるが1932年までに失敗。
 結集はフランスではアンリ・シャゼジャン・ド・ラステラード共産主義者連合、米国ではアルバート・ワイスボード共産主義者闘争同盟ヒューゴ・イーラー
革命的労働者同盟RWL、B.J.フィールドの革命的労働者党同盟と進められたが米国ではポール・マティックのグループが多数派であった。
 1935年左翼共産主義者となる。
 スペイン戦争はペッロネヴェルダロ(スペイン戦争を国際帝国主義戦争の第1歩としプロレタリアートの独立主張)とマリオ・デ・レオーネエンリコ・ルッソ
(革命への道が切り開けるとしてPOUMに参加)のグループの分裂を巻き起こした。
 1937年共産主義者連合はベルギーの国際主義者共産主義者同盟、イタリアの左翼共産主義者少数派、革命的労働者同盟、革命的労働者党同盟、
カンネ・メイエルのGIKとガブリエル・ミアスニコフ、アルカディ・マスロフ、ルート・フィッシャーの個人に国際協議会を呼びかけた。
 少数派は1938年左派国際局を結成、機関紙は10月。1939年消滅。
 
 第二次世界大戦で多数派はオットリノ・ペッロネの理論(資本主義が労働者階級に対抗して協調する新段階に入り、戦争を局地化し兵器生産で発展し、
戦争中はプロレタリア階級は消滅する)を支持。(少数派は世界戦争はファシズムの敗北に終わる、革命のためのプロレタリア党を結成せよ。)
 ドイツのベルギー、フランス占領で地下活動に入る。
 1944年パリで国際左翼共産主義者フランス・グループが結成される。終戦で多数派は国際主義者共産党に参加し、少数派はフランス左翼共産主義者
に参加。


国際共産主義者潮流ICC  HP 歴史
 1975年フランスの国際革命、英国の世界革命(1970年代中期結成)、米国の国際主義(1970年ドゥナエフスカヤの ニュース・手紙委員会
旧メンバー結成)、ヴェネズエラの国際主義、イタリアの国際革命(1975年結成)、スペインのプロレタリア行動が結成。

 マルク・シリクは1907年、ロシア生まれで、若年でユダヤ人共産党から分裂したパレスチナ共産党結成に参加、1924年フランスに来、フランス共産党
に参加するが左翼反対派として追放され共産主義者同盟、ついで共産主義者連合、1938年には国際共産主義者左翼のイタリア分派に参加。
 1942年にはフランス分派が結成される。マルク・シリクはイタリア分派の多数派と不和となり1945年フランス分派(フランス左翼共産主義者GCF)に参加。
 1952年GCFは解散しわずかばかりだった活動家は世界に拡散、マルク・シリクはヴェネズエラへ。

 1940年代中ボルディガ派から分裂したフランス左翼共産主義者(マルク・シリク)が直接の政治的先駆である。これは1952年に解散したが
 1964年にヴェネズエラで結成された国際主義グループは強くこの影響を受けた。このグループを結成したのはマルク・シリック

 国際共産主義者潮流ICCは1968年国際革命を結成したフランス(ロベール・カモワン、ギ・サボティエ)と世界の諸グループがオランダ、ドイツ、
イタリアの左翼共産主義を標榜して1975年結成。
 ICCはイタリア左派とレーニンとコミンテルンの党の路線を批判。ICCは党の役割と過渡期の考え方でボルディガ派と異なる。
 ICCにとって党がプロレタリアを指導しなければならないがICCが党を指導してはいけない。
 労働組合主義と反ファシズム、民族解放闘争、少数派による武装闘争を拒否。
 1978年から国際主義共産主義グループ、共産主義者ブルティングループ、国際展望グループなどが分裂。

国際共産主義者潮流ICC
  1975年結成
  1968年6月の大ストライキ中にフランスで同様の立場をとる国際主義と国際革命グループが結成される。
  1972年には国際主義は1968年の出来事のなかから生じた2つのグループ(評議会共産主義手帳、クレモン・フェラン評議会組織)を結集。
  これらと英国の世界革命、米国の国際主義、イタリアの国際革命、スペインの革命行動の6者が1975年国際共産主義者潮流結成。


国際社会主義者運動  HP
   英国社会党(1904年結成)周辺のグループ。革命的マルクス主義、反レーニン主義。インポシビリズムの系統。
   カナダ社会党(1931年再結成)、米国国際社会党(1916年結成)その他オーストリア、ニュージーランド、アイルランドの組織。
   →他のインポシビリズムド・レオン主義アングロ・サクソンのドレオン主義)。



アナーキズム、アナルコ・サンディカリズム

 ピュートル・クロポトキン(1842−1921年)によるとウイリアム・ゴドウィン(1756−1836年)が最初に政治的・経済的に近代アナーキズムを
思想付けた。一方ベンジャミン・タッカー(1854−199年)によるとジョシュア・ワレン(1798−1874年)が現在アナーキズムとして知られる思想を
国家のない自発的コミュニティによって推進した。
 ピエール・ジョセフ・プルードン(1809−1865年)が最初にアナーキストと自己規定した。
 1864年結成の国際労働者協会(第1インターナショナル)にはプルードン主義者、ブランキスト、フィラデルフィアンシャルル・ノディエ)、
イギリス労働組合主義者、社会主義者など種々の革命的潮流が参加した。
 マルクス(1813−1883年)が指導的人物となり、プルードン主義者がこれに反対し政治的棄権主義を擁護。
 1968年これにミハイル・バクーニン(1814−1976年)のグループが参加。
 国際労働者協会でマルクス派とバクニーン派が対立、1872年、ハーグ会議でバクニーンとジェイムス・ギョーム(1844−1916年、ジュラ連合
が追放され、アナーキスト・サン・イミエール・インターナショナルを結成。これは主にイタリア、スペイン、ベルギー、アメリカ、フランス、スイスの支部より構成
された。
 国際労働者協会(第1インターナショナル)は1976年解散され、サン・イミエール・インターナショナルは1877年まで続いた。
 1881年、アナーキストは黒色インターナショナル(国際労働人民協会IWPA)を結成。
 アメリカでは1881年社会主義労働党SLPからアナーキストグループが離れ革命的社会主義者労働党を結成した。
 これは1883年他のアナーキストと国際労働人民協会に合流。(この辺ウィキペディアに混乱あり)
 一方バーネットハスケルが19881年国際労働者協会IWA(赤色インターナショナル)を結成。
 1886年ヘイマーケット事件により1887年アルバート・パーソンズオーガスト・スピーズらのアナーキストが処刑され、アナーキスト運動は散り散りになる。


アナーキスト連合インターナショナル  HP
  1968年、フランス、イタリア、スペインのグループが中心となり結成。
  ブリテン・アナーキスト連合(1986年結成)、フランス・アナーキスト連合(1945年結成)、イタリア・アナーキスト連合(1945年結成)、
 イベリア・アナーキスト連合FAI(1927年結成)など。

国際労働者worker協会  HP
  1922年結成の国際アナルコ・サンディカリスト連合。
  AITポルトガル、スペイン・労働者全国連合CNT(1910年結成)、ドイツ・自由労働者連合(1977年再建)、ノルウェー・NSF−AIT
 (1916年結成)、英国・連帯連合(1979年結成)、イタリア・サンディカーレ連合(1912年結成)、オーストラリア・
 アナルコ・サンディカリスト連合など。

国際リバータリアン連帯
  2001年スペイン労働総連合CGTが組織した国際集会に引き続き結成された。
  その結成は国際労働者協会によって改良主義、アナーキストの分裂と混乱を引き起こすと拒絶された。
  南北アメリカ、欧州、中東、アフリカから参加。
  北東アナルコ共産主義者(米、加)、フランス・自由選択、イタリア・アナーキスト共産主義者連合イタリア底辺Unicobas連合
 スペイン労働総連合スウェーデン労働中央組織、フランス・自由共産主義者組織、フランス・自由社会攻撃
 フランス・絶対反ル・パン・セクシオン、フランス労働総連合、スイス自由社会主義者組織アイルランド労働者連帯運動など。

黒色旅団インターナショナル HP
 2001年結成のアナーキストの相互援助ネットワーク。
 北米、南米、東欧にノードnodeがある。





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